指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『東京裁判』

2022年08月20日 | 映画

これは、1946年から行なわれた極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判の記録フィルムを基に、昭和の歴史も交えた記録映画である。監督小林正樹の作品は、私は1本以外、全部見ているが、これが一番面白いと思う。

                 

この東京裁判の記録は、裁判の最中から話題になっていて、

「米軍は湯水のようにフィルムを使って記録しているらしい」と言われていたそうだ。

事実、重要な場面は、複数のカメラで撮影されて、同時録音である。

これだけを見ても、未だに公文書を公開しない日本に比し、アメリカは記録をきちんと取り、公開するのは、行政の客観性と公平性で凄いが、これだけでも日本がアメリカに負けた理由の一つだと思う。

混ぜられた日本側の記録は、日本映画社の『日本ニュース』がほとんどで、この官許ニュースしか日本の記録はそれ以外はなかったのだ。

この米公文書館には、この記録があり、ある方がそれをコピーして持っていたが、いろいろな経緯があり、講談社に持ち込まれた。当初は、写真集のつもりだったようだが、途中で講談社創立70周年記念事業として映画にすることになる。

監督は、はじめ黒澤明のところに話が行ったが、黒澤は、「これの監督は小林正樹だよ」となる。戦争に全く行っていない黒澤明は、自分が作るのは、さすがに気が引けたのだと思う。

小林正樹は、1942年3月松竹の助監督の時に徴兵され、最初は満州ハルピンの郊外に、そして戦争末期の1944年には、宮古島に移り、そこで8月15日を迎える。

『映画監督・小林正樹』の小笠原清によれば、1981年1月に彼は編集作業スタジオに呼ばれ、当初は6月公開の予定だったが、延びに延びて翌年の公開となる。

原盤のフイルム、証言や発言の記録との照合、さらに日本側の政治等の動きの記録との照合・編集は実に大変だったと思う。

現在では、『日本ニュース』以外の記録映像もあるが、当時はほとんどなかった時代である。

そして、公開試写では、大好評で、ある将校が、「自分は戦争に従事していましたが、背景がこうだったのかと初めて知りました」と興奮気味に言ったという。

その通りで、今は昭和史の動きもさまざまに表現されているが、戦前、日本の政治と世界の動きなど、ほとんど報道されおらず、それらを知っていたのは、天皇と宮中の方、そして政治と軍部の上層だけだったのだから。

この映画では出てこないが、木戸幸一の『木戸日記』と同様に、当時の記録として重大なものに西園寺公の言を記録した原田熊男の『西園寺公と政局』となる「ハラ・クマ日記」もあった。

軍側の被告たちは、これが米の検事団に引用されるたびに「また、ハラ・クマか」と苦々しく言ったそうだ。

だが、これを見て感じたのは、この映画には主人公が不在だと言うことだ。

昭和史の主人公は、言うまでもなく昭和天皇であり、マッカーサー及び米国の判断で、昭和天皇は、裁判出さないことがあらかじめ決められていたのだが、この映画でも分るのは、昭和時代の主人公は昭和天皇だと言うことだ。

近衛文麿、木戸幸一らは善玉側の脇役で、東條英機、松岡洋右らは悪玉だが、やはり脇役である。

国民はと言えば、ただの「ガヤ」、群衆にすぎなかったと言うのが、この映画を新たに見ての感想であった。

横浜シネマリン

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。