猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

歳をとると怒りっぽくなる、被害妄想になる

2022-01-23 21:32:16 | こころ

いま、私の妻に、妻の姉から 日に3度か4度 電話がかかってくる。妻は電話を受けているうちに、いら立ってくるのが、そばにいる私にも伝わる。姉が被害妄想に落ち込んでいて、周りの善意の人びとの悪口を私の妻に言ってくるからである。

老人は怒りぽっくなりがちである。被害妄想に落ち込みやすい。夫婦が互いにいがみあって、異なる老人ホームに入れられることも少なくない。

私の母は80代になって、夫に死なれたとき、私の弟夫婦が世間体が悪いと母の家に転がり込んできた。私が実家に帰ると、母は、隅に小さくなって、ニコニコして、黙っているようになった。気の強い母が いやに おとなしく、そんなに若い世代に卑下しなくても良いと私は思った。

私の母は80代の終わりに心臓発作を起こして倒れた。心臓の冠動脈にステントをいれて、日常生活に戻った。数年して、私の弟は,医師の診察がある老人ホームに母をいれた。私が母に会いに行ったら、怒りまくっていた。気の強い母だったが、あんな不機嫌な母は見たことがない。母の10年以上に渡るニコニコは装っていただけで、みんなと一緒にいたいから我慢していたのだ。母は、老人ホームに入れられて、1年して怒りながら死んだ。老人ホームにいれられると、多くの老人は数年も経ず、死ぬという。

妻の姉も、若くして離婚し、子どもを連れて実家に戻った。姉の父が人望家の高校教師だったので、父の教え子たちに、姉は ずいぶん助けられたはずである。年を経て、いつのまにか、姉の父が死んで、母が死んだ。たった一人の子どもは東京に就職したまま帰ってこない。彼は、土曜、日曜には上司のゴルフにつきあう、いわゆる交際上手のタイプである。そのおかげで、上場1部の会社の部長になった。

姉からみれば、愛する自分の子どもが出世して偉くなってほしいが、いっぽうで、帰ってきて老いた自分のことを心配して欲しいのである。電話でも良いから、頻繁に声を聴かせて欲しいのである。自分の気持ちを抑えているうちに、その怒りをまわりの善意の人にぶつけるようになった。周りの人が勝手に家に入り込む、何かを盗む、汚らしい、などと言いまくるようになった。ひとり息子に見捨てられたと認めたくないのである。

人間の脳は衰える。理性を失う。自分を無理やり抑えず、被害妄想にならないように注意すべきである。私も、あと何年、理性を保てられるだろうか。いまは、思考のスピードが遅いだけで、機能しているが。


トンガ海底火山噴火の津波予測の失敗はマニュアル依存やコンピューター依存

2022-01-22 22:13:33 | 科学と技術

いま、トンガの1月15日海底火山噴火による津波の警告を、日本の気象庁が出せなかったことの反省が、なぜか、うやむやになっている。

気象庁は、当初、気象庁は「被害の心配なし」と発表したのに、午前0時ちょっと前、日本に1メートルの津波がきた。津波が到達してから、気象庁は、明け方まで、津波警報や津波注意報を出しつづけ、アイパッドには明け方まで、警報、注意報がなりひびいた。(もっとも、これは私の妻はアイパッドの切り方を知らないだけであるが)。

とにかく、トンガの10メートル以上の津波の被害の大きさもさることながら、日本にも、1メートル前後の津波が漁業関係者を中心に大きな被害をもたらした。

いっぽう、ハワイにある太平洋津波警報センター(PTWC)は、火山噴火から一貫して「津波」の警戒情報を出し続け、太平洋の島々や沿岸に注意喚起を行った。

気象庁地震津波監視課の調査官は、つぎのように、事情を説明した。

《事前に注意報を出せなかったのは、注意報を出す根拠が何もなかったからです。津波注意報を出せば自治体が動くし、漁業関係者もいろいろな対応をします。でも、そのとき、『津波注意報を出した根拠は何ですか?』と問われたら、答えようがありません。》

もっともなようで、もっともでない、おかしい説明である。「津波注意報」がはずれたら、責任が問われるから出さなかったというのである。ということは、津波がきても、事前に注意報を出さなかった責任が問われないということである。

これは、何を言っているのか、というと、マニュアルに従ったり、コンピューターのソフトに従ったりしている限り、津波が来る前に警告を出さなくても、良いと言っているのである。

気象庁の観測衛星「ひまわり」には、トンガの海底火山の噴火が映っていた。観測衛星の高度は約36,000km、地球の半径は約6,400km、非常に高いところが直径300km以上の噴煙を観測していたのである。夕方の映像であるから、噴火の影が映っている。影から、噴火の高さが推定できる。噴火の噴煙は2段重ねになっている。中央の円がが垂直な噴火、そして、水平方向に広がるのは爆風。また、観測衛星は16バンドの観測スペクトルがあるから、岩石を噴き上げていることぐらいは、わかっているはずだ。時間変化からも爆風の速さがわかる。

とてつもない規模の噴火にもかかわらず、気象庁は、当初、「津波被害の心配なし」と発表したのである。私は常識がないとしか言えない。

たしかに、地震のマグニチュードのように、火山の噴火の規模を示す指標がない。したがって、噴火が起こした津波のデータベースが整理されていないのであろう。しかし、これまでも、噴火が起こした津波の先例はある。

気象庁は、「今回、特異な潮位変動をとっさに伝える手法がなく、今後より良い伝え方を検討する」とか「きちんとした数値モデルに基づいた計算結果なしには、注意報や警報を出すことはできない。その数値モデルをつくろうにも、データを集められるような事例がない」と言い訳ばかりしないで、マニュアル依存、ソフト依存に陥らず、注意報、警報は人間が出しているのだ、という自覚を持ってほしい。

誰かさんが作った津波数値モデルやコンピューターに頼りすぎるのは、科学ではない。

[補遺]

ウィキペディアによれば、火山噴火の規模を示す指数(Volcanic Explosivity Index)があるという。噴出物の量を指数とするという。歴史上の大噴火は、地上に残された火山灰でしか測れないから、しかたがないのだろう。トンガの海底火山噴火のVEIはまだ報道されていないが、宇宙からの映像からは、最高位の指数になるだろう。


サリンジャーの名前がでてこない、老いの困りごと

2022-01-21 23:23:41 | こころ

(ホールデンとは無関係)

NPOで私の担当している子に本が読めない子どもがいる。「子ども」といっても二十歳過ぎなんだが。

本を読めないのは、読んでいて著者との意見の相違がわかると、読み続けるのが苦痛になるのだと言う。あるときは、そうでなくて、小学校のとき、読書感想文の提出を強要されたことがトラウマになって、読めなくなったのだとも言う。

色々な理屈がでてくるが、とにかく、彼は、10ページか20ページまで読んで、後が読めなくなる。太宰治の『斜陽』も伊藤亜紗の『どもる体』も買って、はじめのところで放棄している。

それで、彼の母がお金を出してくれて、月1500円のオーディオブック契約したという。何を聴いたら良いか、彼が私に聞いてきた。太宰治も伊藤亜紗もだめだったから、ほかが良いと言う。

私は、とっさに、サリンジャーを思いうかべた。「サ、サ、サ」とまで声がでたが、後が思い出せない。老人特有の記憶障害である。私の頭の中で、言葉探しが始まったが、出てこない。突然、「キャッチ」と「ライ」が思いだされ、「キャッチ・ミー・イン・ザ・ライ」と声が出た。彼は『キャッチャー・イン・ザ・ライ』と私の言葉を言い直した。彼はアイパッドを即座に操作して、正解に到達したのだ。私もガラケーをやめて、スマホかiPadに買い替えないといけない。

とにかく、老人になると、とっさに言葉が出てこなくなって困る。

彼は非常に繊細である。不条理を敏感に嗅ぎ取る。私は、太宰治よりサリンジャ―が向いている気がした。

サリンジャーの『The Catcher in the Rye』は、療養中の少年ホールデンが1年前のクリスマスの2日間の出来事、ニューヨークの街をさまよったことを語るという物語である。

その中で、スコットランド民謡 “Comin Thro' the Rye”の歌詞、If a body meet a body coming through the ryeの「meet」を少年ホールデンは「catch」と勘違いして、いとしい、いとしい妹、フィービーに訂正されるのが、タイトルになっているのだ。

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「あの唄は知ってるだろう。『誰かさんが誰かさんをライ麦畑で捕まえたら』っていうやつ。僕はつまりね――」

 「『誰かさんと誰かさんとライ麦畑で出あったら』っていうのよ!」とフィービーは言った。「それは詩よ。ロバート・バンズの」

 「それくらいは知っているさ。ロバート・バンズの詩だ」

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この歌は麦畑で逢引してキスを浴びせるという歌で、なぜか、日本では「夕空晴れて秋風吹き」という文部省唱歌になって、もとの色っぽい歌がわからなくなっている。

ホールデンが思いうかべていた歌詞は、穂の高いライ麦畑が崖に囲まれた丘のうえにあって、フィービーのような可愛い子がたくさん走り回っている。先が穂で隠れて崖から落ちないように、自分が見張っているというのだ。

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「で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どこからとなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」

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子どものもつ無邪気さ、ピュア、イノセンスを守りつづけたいとサリンジャーは言っているのだ。自分も暗い闇の世界に落ちていくのが怖いのだ。

なんとなく、彼が気にいってくれるのでは、と私は思ったが、残念ながら、オーディオブックのなかにサリンジャーの作品は1つもなかった。著作権をもっているサリンジャーの遺族がオーディオブックに同意しないからである。

著作権は作家が死んだら、切れるのでよいのではないか。死後60年間も、誰かが著作権を「私的財産」として引き継ぐというのは、おかしいと思う。文学作品は人類共有の財産ではないか。


オミクロン株の感染爆発のなかの不機嫌で実りのない尾身茂会長取材

2022-01-20 21:27:33 | 新型コロナウイルス

きょう、1月20日の新規感染者数が、東京都で8638人、全国で4万6199人、どちらも過去最高である。

いっぽうで、18日の岸田文雄首相と会談した後の、また、19日の有識者会議「基本的対処方針分科会」の終了後の尾身茂会長の発言が、メディアをにぎわしている。オミクロン株がたいしたことがないと思う人は、尾身の発言に、我が意を得たりという顔ではしゃいでいる。オミクロン株も感染拡大を抑えるために行動規制が必要だと思う人は、怒っている。

18日も19日も記者会見でなく、取材という形の非公式の場の発言である。しかし、私は、この一連の尾身の発言は丁寧さを欠き、投げやりの発言のように思える。

18日の段階では、取材に対して、「オミクロン株の感染力は従来の株とは異なるとして、特徴にふさわしい効果的な対策を早期に講じることが重要だといった考えを、岸田総理に伝えました」といっており、ここまでは、そんなにおかしな点はない。

ただ、「人流抑制より換気」「人流抑制より人数制限」といっており、「従来の株と異なる」と絡んで憶測を生みやすい火種があった。

19日の取材での尾身の発言は毎日新聞の報道が一番詳しい。どこにも、オミクロン株に感染しても大したことがないから、感染しても仕事に出かけようとは言っていない。

昨日につづいて、尾身はつぎのように応えている。

《オミクロン株にふさわしい効果的、メリハリのついた対策を打つ必要があるのではないかというのが(分科会の)コンセンサスだ。「人流抑制」ではなく、「人数制限」というのが1つのキーワードになる。》

このあと、

《声を出したパーティーや会食。酒も飲むかもしれない、マスクも外すかもしれない、換気も悪いかもしれない。そういうことがリスクが高いとわかっている。》

市中感染が全国に広がっている現状では、どこでもオミクロン株に感染する。したがって、県をまたがっての移動を制限しても、もはや、効果がない。

尾身の思いでは、年末年始には移動するなと言ったのに、多くの人が帰省し、旅行し、感染を全国規模にすでにしている。また、成人式なんぞ、やって欲しくなかったのに、各自治体は行い、20歳の若者に感染を広げてしまった。

「わかっている」という表現に尾身の不機嫌さがにじみ出ている。この「わかっている」という発言に、つぎが続く。

ゼロコロナにしたいわけではない。大きなクラスターが発生しないようにすることが重要だ。感染リスクの高い場面での人数制限に、みんなが協力することが求められている。》

尾身は、自分の唱えた「行動規制」が批判されているいう被害妄想に落ち込んでいる。これが「ゼロコロナにしたいわけではない」という言葉ににじみ出ている。そして、つぎのように言う。

《今回は感染拡大スピードが速いから「先手を打つ」という先手を、今までよりもう一歩早く打たないと、あっという間にピークが来る。ピークが来るとだらだらと重症者、入院者が増えることは欧州の例でわかっている。今回、いろんな対策はとにかく早めに打った方がいい。》

また、「わかっている」という不機嫌な言葉がでてくる。

《4人ぐらいとか、いつも一緒にいる人と静かにやって、話すときはマスクをする。そういう行動をしてもらえば、店を閉める必要はないと思う。》

《東京都が4人としているから例に挙げた。4人という数字を議論したわけではない。》

《今回はなんでも全部やめるということや、ステイホームも必要ないと思う。リスクの高いところに集中する。》

感染したら「ステイホーム」するか「入院する」かは当たり前のことで、感染していない人の「ステイホーム」が必要がない、と言っているのである。

飲食店だけ注意してもしかたないので、至るところで、大声でパーティーをしない、家でも職場でも注意する。そこを抑えることが極めて重要だ。》

「飲食店だけ」の「だけ」に注意してほしい。どこにも感染の危機があると言っているのだ。

《家族やいつも一緒にいる人とはいいけれど、同窓会は年に1度しか会わないし、大人数はリスクが高い。酒を飲むと気が大きくなる。そういうことをみんなが注意して、この時期にやることが重要だ。》

やっぱり、成人式とか新年会が行われたことに怒っている。

重点措置を変えるということはなくて、重点措置が出たことを契機にみんながそれぞれ工夫することが、自分を守るし、おじいちゃん、おばあちゃんを守るし、社会にも貢献するということだ。》

いままで通りのことを、いままで以上に力をいれてやってほしいと言っている。

気になることもハッキリ言っている。

《なぜパッケージを、国は中止したか。オミクロン株で、ワクチンの感染予防効果はかなり低くなっている。パッケージをわれわれが提案したときは、ワクチンの感染予防効果が一定程度あり、ワクチンを打てない人は検査ということで、社会経済活動の制限を緩和するのに有効な手段だと考えた。パッケージを再開するのであれば、当初と同じようにワクチンが非常に有効で、ワクチンを打てない人は検査ということになる。》

「パッケージ」とは、個人が行動規制を受けないというために、ワクチン接種の証明や直前検査での陰性証明を使うことである。しかし、3回接種してもオミクロン株の感染を予防できないから、「パッケージ」は役にたたないと言っているのである。

重症化しないということと、感染を広げないということは別である。感染を広げないために「パッケージ」が提案され、その効果がないので中止されただけである。

なにか、尾身会長の取材は非常に険悪な雰囲気で行われ、まったく実りのないものになったようである。記者はおだてて本当のことを聞き出すものと思うのだが。


岸田文雄首相は「ぬえ」なのか「ルイ・ボナパルト」なのか

2022-01-19 22:20:52 | 政治時評

きょうの朝日新聞の編集委員、高橋純子のコラムを読むと、世論調査をすると、岸田文雄首相をよくわからない人だと見ている人びとが多いらしい。産経とか日経は、岸田政権の支持率が上がっているとか報道しているが、事実はそんな簡単なものではないという。

もっとも、中庸というスタンスはそんなものかもしれない。

高橋は、たとえるなら、ぬえ(鵺)だという。「ぬえ」は伝説上の怪獣で、「頭は猿、胴は狸(たぬき)、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという」のことをいう。

岸田がよくわからないという思いが みんなにあるのは、岸田は安倍晋三と戦っているとか、新型コロナで経済優先の勢力と戦っているとか、のイメージがあるからである。岸田を支えないと安倍の発言力が増し、保守派の強権政治が進行し、日本が戦争する国となると恐れるからである。

しいていうなら、現時点の国民の気持ちは、夫に暴力が振るわれても本当は優しい男だと思って別れられない女の人の心理状態に似ている。

岸田は施政演説で「官民」の一体化を唱えているが、「官民」とは ずいぶん古臭い言葉で、官僚と実業界とが協力して日本を統治することを指す。こんな言葉がでてくるのは、ハト派でもリベラリストでもなんでもなく、戦前の身分制社会から抜け出ていない時代錯誤の政治家にすぎない。

そして、きょうの朝日新聞に、岸田政権が、炭素ゼロのゼロカーボン社会の実現のために、原子力発電を推進するというニュースが出た。

考えてみるに、岸田が安倍政権で外務大臣のとき、敵基地攻撃の能力をもつことを主張していた。北朝鮮を攻撃する能力を日本がもたねばならない、というのである。

岸田は安倍と同じスタンスの人である。違いは、岸田は人の声に耳を傾けるポーズができるが、安倍は耳を傾けるようなポーズをしたら弱い政治家と見られると思い、ポーズさえ拒否したことにある。

憲法学者の石川健治は先見の目があった。去年の10月に朝日新聞紙上で、岸田を「民主的皇帝」と呼んで、19世紀のフランスで起きた革命騒ぎのなかで出てきたルイ・ボナパルトに たとえた。強者と弱者との両方から支持され、皇帝になった男である。

カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメールの18日』のなかで、ルイ・ボナパルトの出現を「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」と書いたのである。私は、この「喜劇」をフランスの国民の愚かしさをさしていると思う。

石川健治は、この寄稿で、《これ(再生エネルギーによる発電)に対して、経産省・トヨタ・電力会社による猛烈な巻き返しが行われ、その受け皿になったのは岸田文雄現首相である》とちゃんと書いてある。岸田は、腰が低くとも、安倍と同じ戦前型の保守政治家である。日本政治を喜劇にしてはならない。

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