猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

岸田首相の施政演説は言葉だけなのか 緻密なのか 何が問題なのか

2022-01-18 21:36:39 | 政治時評

1月17日、岸田文雄首相は第208回国会において施政演説を行った。その演説は、言葉だけが散りばめられているだけのようでもあり、そうでなく緻密に考え抜かれているようでもある。一体全体どうなんだろうと思うのは私だけでないかもしれない。

ここでは、演説の「三 新しい資本主義」に絞って、もっともな点、合意できない点、意識的に言及されていない点を明らかにしたい。

すぐ気づくことは、岸田はアリストレスの「中庸主義」を採っていることだ。

演説から言葉をひろうと、「市場に依存し過ぎた」「市場や競争の効率性を重視し過ぎた」「行き過ぎた集中によって生じた」「自然に負荷をかけ過ぎた」「分厚い中間層の衰退」。

言葉遊びのようでもあるが、最後を除いて「過ぎた」が現在の諸問題の根源と考え、「過ぎた」状態を是正すれば、問題の解決にいたると、岸田は考えている。だから、岸田は資本主義には本質的問題がないと考える。

「中間層の増大」を今回かかげず、演説では「中間層の維持」を「分配戦略」の第3の柱におく。この点では、これまでの所信演説より、慎重になっている。私としては、あくまで、「貧困の解消」であるべきと考えるが、岸田は「中間層の衰退」を憂い、「中間層の維持」を願う層を代表していると言える。

岸田は、「市場に任せれば全てが上手くいくという、新自由主義的な考え方が生んだ、様々な弊害を乗り越え、持続可能な経済社会の実現に向けた、歴史的スケールでの『経済社会変革』」を行うと宣言している。それが彼の「新しい資本主義」なのである。

「市場に任せない」とは何なのか。

「成長戦略」で「規制・制度の見直し」を進めることを挙げているが、そのすぐ後で、「単なる規制緩和ではなく、新しいルールを作る」ことと言い直している。これまでの政権のように「規制緩和」ではなく、「新しいルールを作る」には賛成だが、それは政府の「政令」や「省令」であってはならない。少なくても、国会の審議を経た「法」でなければならない。私は、国民が「新しいルールを作る」のでなければならないと思う。

「市場に任せない」ために政府が命令するのであっては、個々人の意思が尊重されず、一部の人の思いこみに他の人たちが振り回される危険がある。

岸田は、安易に「官民の投資を集め」と言うが、これも、一部の人の思惑に他の人を振り回すことになる。これは、たぶん「気候変動」における「利益誘導」による「二酸化炭素温暖ガス規制」に影響されたのだと思うが、「新しいルール」の下に「公平」が実現されれば十分で、政府が、投資する資金をもった人々(資本家)を「利益誘導」する必要は全くない。

岸田にとって、「利益誘導」を是とするところが「資本主義」の良い点なのだろう。この点は、賃上げを行った企業には税を優遇するところと同じ発想である。

岸田は、「官民のイノベーション人材育成を強化」というが、「官民の投資」と同じく、「官民」という言葉には違和感を私は いだく。岸田の頭には戦前の天皇のもとの臣民としての「官民」という言葉が生き残っているのではないか。

ここでは、「同調圧力」に負けない心を育てるので良いのではないか。強いものに巻かれない心を育てるので良いのではないか。先例主義やマニュアル主義に落ち込み、トンガ海底火山噴火では、たとい前例がない大規模でも、津波が起きないとした、今回の気象庁の失敗を思い浮かべると、問題が「イノベーション人材育成」ではないことが、わかってもらえると思う。

「イノベーション」ということも岸田はわかってないと思う。「イノベーション」というのは新発見や発明などをいうのではなく、思いこみにとらわれず、新しい技術を産業などにとりいれ、新しいビジネスを起こすことをいう。

したがって、あくまで、「イノベーション」は企業家の仕事であって、政府の仕事ではない。政府の仕事はあくまで国民へのサービスである。岸田は戦前の国家主義を引きづっているところがある。

「産学共同」があっても良いが、企業がすべきことを大学が担うよう政府が強要してはならない。政府から自由に研究をしたり教育をしたりする所が社会にあることこそが、本当の未来への投資である。

政府が「半導体製造工場の設備投資や、AI、量子、バイオ、ライフサイエンス、光通信、宇宙、海洋といった分野に対する官民の研究開発投資を後押ししていきます」と言うのは馬鹿げている。これらは「民間」に任せれば良いのである。

岸田の言う「中間層維持」の具体策、「公共施設の運営を民間に任せるコンセッションの一層の活用、ベンチャー・フィランソロフィーによるNPOや社会的企業への支援、社会的インパクト投資」は、マイケルサンデルの批判する新自由主義のもとの「スマートな政策」そのものではないか。

金儲けは良いことなのか。

施政演説で、岸田は、結局、困っている人びとを見捨てて、新自由主義的政策を「新しい資本主義」の柱に据えていると思う。

いまこそ、社会主義的や共産主義的政策を唱える人びとが出てきて、今のなし崩し的な新自由主義的政策を批判し、中庸をあるべき位置に戻す必要がある。岸田のいう中庸は、中庸ではない。

[補足]

1月19日の朝日新聞に、政府に原発推進室ができるとのニュースがあった。岸田文雄は人の声に耳を傾けるという。しかし、色々な人がいて、色々な意見がある。それを判断していかないと、声が大きな人、巧みに話す人の声に従ってしまう。他人の声に振り回されないためには、常識をもつこと、自分の頭で考えることが大事である。


トンガ海底火山大噴火に伴う津波を予見できなかった気象庁

2022-01-16 22:27:54 | 科学と技術

きのう、トンガの海底火山の噴火によって引き起こされた津波の日本到達を気象庁が予測できなかった。津波が到達してから気象庁は津波警報をだした。

気象庁が津波を予測ができなかったのはある意味ではしかたがない。これまでになかったことだから、予測できないこともあるだろう。責めるわけにはいかない。

しかし、深夜の午前2時の気象庁の記者会見がいただけない。弁解が先だち、起きている事象の説明がほとんどなかった。そして、起きた事象は「津波」でないとまで言う。津波でないが、津波の警報システムを使って、津波の警報を発信したと言う。

たぶん、海底火山の噴火があったとき、どうすればよいかのマニュアルが気象庁になかったのであろう。また、津波予測ソフトは地震のマグニチュードと震源の深さと位置の情報がないと機能しないのであろう。

しかし、日本以外の太平洋沿岸諸国は津波の警告を出していた。日本はわざわざ津波が来ないという予測を津波到達の前にメディアに流していた。

今までない事態に対してどう行動するのかが、その人の能力である、と私は思う。

海底火山の噴火がどうやって津波を引き起こすのか、という機構がわからなくても、海底でこれまでに例のない大規模な噴火が起きたのだから、津波ということを心配する人が気象庁にいても良かったのではないか、と思う。

トンガの海底火山の噴火は、気象庁の観測衛星「ひまわり」にも、アメリカの気象衛星NOAAにも映っていた。噴煙の影を見ると、噴火は2段の重ねの爆風を引き起こしている。水平方向に広がる噴煙の直径は300kmを越えている。

トンガの大噴火は日本時間で午後1時10分ごろ、日本の奄美大島に津波が到達したのは、午後11時50分だから、日本到達に10時間と40分かかっている。トンガと日本との距離は、8150 kmであるから、時速800km弱で到達したことになる。太平洋を伝わる津波としては普通の伝達速度である。決して音速で伝わったのではない。

大気中を伝わる波は、周期が短かろうが、長かろうが、衝撃波であろうが、音速で伝わる。気圧の変化が日本に音速で伝わったが、海面の波は普通の津波の速度で伝わったのである。

気象庁は、潮位の変化が10分前後の周期を示していたことを、津波でない証拠にあげていたが、周期をもって津波か否かを論ずるのは不適切である。

大きい変動がごく短時間で起きる現象では、発生する波の高周波成分が大きくなる。これを衝撃波ともいう。すなわち、突然の海底火山の大噴火と、比較的ゆっくり海底で断層が広がる大地震とでは、発生する波の周期は異なる。

発生の機構にかかわらず、潮位が大きく変動すれば、津波とすべきである。爆風が上から波を引き起こしたのか、噴火が下から海面を押し上げたかは、津波を警告してから、ゆっくりと議論すれば良いのである。

いままでの気象庁のマニュアルやソフトではどうしようもなかったというのは本当だろう。しかし、マニュアルに従わないで判断できる「能力のある」人が他国にいて 日本にいなかったのも本当だと思う。

日本人が「能力がない」と私は思わない。ただ、気象庁は「能力のある」人を雇わないだけだ、と思う。「能力のある」人は、慣例やマニュアルに従わず、常識に従う人である。常識があれば、いままでに例のないことが起きたら、マニュアルになくても、心配して情報を集めるはずである。

[補足]

1月18日の朝日新聞が、トンガで最大15メートルの津波があったと報道していた。15日、トンガとの通信が途絶えたというのに、トンガには80センチの津波しか起きなかったというニュースだけが、世界をめぐった。

いま、トンガの港湾施設が使えないとか滑走路が使えないというニュースが世界をめぐっているが、そんな施設は昔なかったわけだから、それでもトンガ支援はできる。港湾施設がないときは、大きな輸送船からボートを下ろし、ボートで島に物資を運べる。また、滑走路がなくても、パラシュートで上空から物資を落とせる。

教育の欠点は、教えられないことをできないと人びとが思うようになることだ。常識をもって、自分の頭で考えることの重要性を、トンガ海底火山噴火の事例は物語っている。


共通テスト東大会場前での切りつけ、稚拙な稚拙な思いこみか

2022-01-15 22:36:05 | こころ

(無関係の人)

きょう、1月15日午前8時35分ごろ、大学入学共通テストの会場となっていた東京大学弥生キャンパス前の路上で、72歳の老人と 受験しに来た高校生2人の背中を、高校2年生の男の子が相次いで刺した。

弥生キャンパスは、道路を挟んで、安田講堂のある本郷キャンパスの隣にある。弥生キャンパスには農学部と地震研があるが、医学部は本郷キャンパスにある。地下鉄東大前駅に出て、誰でもよいと、すぐ犯行に及んだのであろう。

大学共通テストの会場は地元の受験生が受けるのであって、別に会場になっている大学を受験するとは限らない。なんの理由もなく、刺されたのであろう。幸い、刺された3人は命に別状がないということで、彼(その男の子)は殺人犯にならないですむ。

彼は、学生服のまま、名古屋から高速バスで上京した、という。地元の警察署には14日夜になって家族から行方不明届が出されていた。届け出た際に「学校に行っていると思っていたが登校しておらず、帰宅していない。成績不振で悩んでいた」と家族が相談していた。

彼は、取り調べに対して、

「医者になるために東京大学を目指して勉強を続けてきたが、1年くらい前から成績があがらず自信をなくしてしまった」「目指している医者になれないのなら、このまま自殺しようと考えるようになった」「自殺する前に、人を殺して罪悪感を背負って切腹しようと考え、包丁やナイフ、金属ノコギリを買って用意した」

と話しているという。

稚拙である。意味不明である。

医者になるには、東京大学に別にいく必要がない。どこでも いいはずである。なまじ、東京大学に入ると医学の使命に目覚め、一生貧乏な研究者になるかもしれない。もしかしたら、一生結婚できないかもしれない。

彼は、現実をしらないのだと思う。何か、自分自身が課したプレッシャーに押しつぶされて、自己を見失っていたのだろう。医者になるというより、東大に入るということのほうが彼にとって大きかったのではないか。成績が落ちて、東大に入れないことが、汚辱のように考えていたのであろう。人生において何をするかより、他人が自分をどう見るかが、気になっていたのだろう。そして、他人が自分をどう見るかは、自分自身が作った思いこみ、偏見であると気づかなかったのであろう。

親がその偏見を作ったかもしれない。高校や塾がその偏見を作ったのかもしれない。メディアやSNSがその偏見を作ったのかもしれない。社会が偏見に押しつぶされているのかもしれない。

学歴も職種も、人間の価値とは、なんの関係もない。何も恥じることではない。思いこみに支配されない人間にならないといけない。


オミクロン株の猛威にもかかわらず経済の優先を唱えるメディア

2022-01-13 21:37:05 | 新型コロナウイルス

きょうテレビで東京の新型コロナ新規感染者数が3124人と言っていた。来週の終わりには9500人にもなるかもと言っていた。

オミクロン株の感染力はすごい。

きのう、NPOからの帰りに電車に乗ったが、たまたま座った席の隣の人が咳をしていた。その人に申し訳ないと思ったが、やっぱり不安で席を立った。席を離れて見返すと、その人はマスクをしているが、鼻をマスクから外に出して咳をしていた。

きょうテレビで、国債医療福祉大学大学院教授の松本哲哉から行動抑制が必要と聞いた。

日本医科大教授の北村義浩は、テレビで、緊急承認の薬やワクチンの効果は試験管内での反応だったりして、大規模に使用してのみ、その効果がわかると言っていた。

同じく、テレビで、4カ月間隔でワクチンを接種していると免疫機能が落ちると言っていた。

息子に聞くと、ほとんどの医療関係者は、オミクロン株がたいしたことがないとは、言っていない。逆に、このまま、放置することを心配しているという。オミクロン株に心配がいらないと言っているのはメディアだけだと言う。

政府が前倒しでワクチンの接種をすると言っているが、前倒しは3月以降になるという。去年の7月末までに2回接種した人は、少しも前倒しにならないのだという。これでは、3回接種がほとんど進まないうちに、1月の終わりには、オミクロン株のピークが来るのではないか。

それにワクチンや薬は人によって効かないかもしれない。

息子には、電車で隣に座っていた人が ずっと咳をし続けていたとは、言えない。息子は私以上に心配性だ。

メディアは、根拠のない安全であるとか安全でないかとか言う前に、オミクロン株も、人と人が接触しなければ感染しないのだから、行動抑制を言うべきではないだろうか。三密(密集、密接、密閉)を避けることの重要性を言うべきではないだろうか。

経済が経済がと言うのはやめてほしい。

いつまにか、社会機能が維持できないと、感染者や濃厚接触者を無理やり職場復帰させる話に転化している。いつまにか、新型コロナに感染して、高熱に苦しんでも、死んでも、かまわないという話しになっている。

欧米での濃厚接触者の自宅待機期間が短いからといって、日本でもそうするというのは甘いのではないか。感染爆発を防げなかった欧米はやけくそになっているだけかもしれない。待機期間は、抗体検査やPCR検査でもう人にはうつしませんとわかってから、解除するのでないとオカシイと思う。

これからオミクロン株の感染爆発を迎える日本では、行動抑制は まだ有効だろう。岸田文雄も、誰からも反対されないことはあきらめて、行動抑制に踏み切るべきである。


権威に逆らうことはとっても楽しいだゲームだ

2022-01-12 22:11:45 | 愛すべき子どもたち

先日、九州にいる息子が、あかんべーをしている孫の動画を送ってきた。3歳を過ぎたばかりであるが、親に逆らって、わざと変な顔をする楽しさに、孫は気づいたのだろう。

逆らうことは楽しい。妻といっしょに笑いながらその動画を見ていた。

この9年間、NPOで、知的に発語が難しい子ども(22歳)の言語指導を私は行っている。自分の思いを言えないとストレスが溜まるだろうし、外で虐待されても話せなければ訴えることができない。会話の練習をしているのだが、その子は、ときどきストレスが溜まって、私に逆らいたくなるように見える。そんなときは、わざわざ、逆らうように私は仕掛ける。

「リンゴが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。本当はリンゴが好きなことを私は知っている。「バナナが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。これも、好きなのである。私はつぎつぎと果物の名前をあげていき、その子はすべて「好きじゃない!」と答える。つぎに「ケーキが好き?」とお菓子や飲み物に移る。それも終わると、料理に移る。「好きじゃない!」というゲームを終えたいときには、「お母さんが好き?」と言えばよい。すると、その子は「好き!」と答える。

それでゲームはおしまいになって、その子は上機嫌になる。

逆らうことは本当に楽しい。

私も、中学生や高校生のとき、先生をからかったり、逆らったりした。その楽しさが、わかる先生は、みんなの前で、そのゲームに参加してくれた。ところが、たまに、それがわからないで、みんなの前で、「そんなことをしていると、ろくな人間にならない」と真顔でお説教する先生がいた。権威に逆らうことの楽しさを理解できない先生がいた。