猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

戦争は国民が起こしたのか、政府や軍人に責任はないのか

2020-12-20 23:26:13 | 戦争を考える


4年前に、ヤフーのブログに「軍人がいるから戦争が起きる」と書いたことがある。ここで「軍人」とは「兵隊さん」ではなく将校などの職業軍人のことだ。この言葉は、イノベーション論で有名な、資本主義大好きの経済学者、ヨーゼフ・シュンペーターの言葉だ。

そのとき、「戦争は国民が起こす」というコメントが早速ブログに帰ってきた。

また、きょう古新聞を整理していたら、11月28日の朝日新聞の《オピニオン&フォーラム》に、真山仁が「開戦を支えた民意 礼賛報道が刺激した」「振興メディア 熱狂」という見出しで、日本が戦争に至った要因を論じていた。かれの主張は「日本国民自身が開戦に加担していた」ということである。

日本国民とはなんなのか。人間は、それぞれ違う過去の体験の記憶で動く泥人形なのである。それゆえ、人間はそれぞれ考えがちがう。1つの意志をもつ日本国民なんて存在しないのである。

しかも、戦前の大日本帝国憲法には「国民」という言葉はでてこないのである。大日本帝国憲法は、天皇が「朕カ親愛スル所ノ臣民」に対する約束の明文化なのだ。

真山仁はつぎのように書く。

〈首相が、日本という国家の全ての決定権を握る責任者であった。したがって、軍人だけで勝手に戦争ができたわけでもない。中でも、国民の意向を無視して開戦などありえなかった。〉

大日本帝国の主権は天皇にあり、首相の権限がそんなに強いわけではなかった。陸軍、海軍を統帥するのは、天皇であって、首相でも内閣でもない。しかも、首相が内閣のメンバを更迭できない。

加藤陽子の『戦争まで』(朝日出版社)につぎの話がのっている。

1941年の日米交渉で、近衛文麿は、ホノルルで、5月までにローズヴェルトとの頂上会談をやろうとするが、外相の松岡洋右が抵抗するので、実行できない。それで、近衛内閣は総辞職し、再度、内閣を組閣し、外相を豊田貞次郎に代える。

もっと、ひどい話ものっている。

関東軍がかってに満州国を建設したとき、国際連盟に中華民国が提訴した。国際連盟のリットン調査団が日本にやってきて、その時の首相、犬養毅に会っている。その犬飼は、「満州国が建国されたとき、日本政府としては承認するつもりはない」と言ったが、軍部の怒りを買い、5.15事件で暗殺されてしまう。

一国の首相が、法の保護も受けずに、簡単に殺されてしまう。

これを知ったリットンは、平和的なアプローチを望んでいる日本人がいることを認めながら、いっぽうで、「大衆は多く事実の真相を知らず」、また、「日本における自由主義的な意見は、テロリズムのために抑圧されている。リベラルな考えの人も、生命の危険なしには、その意見を発表することは、まったく不可能な状態にある」と話していたという。

総体としての日本国民というものは、いまも昔も存在しないのである。暴力に訴えるものが、まるで、国民の代表に見えてしまうのだ。そして、伊藤隆によれば、「革新右翼」と言われる若手官僚、若手軍人がヒロイズムと野心に燃え、政治の前面に出てくる。

新聞やラジオが戦争を礼賛したからと言ってすまされる問題ではない。というのは、「革新右翼」のつくる熱狂に新聞やラジオが動かされたともいえるからだ。日本にもファシズム運動があったと見るべきである。伊藤の主張は、「革新右翼」が完全に権力を収めたのではないということである。「革新右翼」の熱狂が統制を受けた結果、日本に無責任体制ができあがったということだと私は思う。

1945年に日本が敗戦を迎えたとき、政府も軍部も開戦の責任を否定した。昭和天皇さえ、「下剋上」のせいだと言った。

私の母方の実家は、日蓮宗、しかも田中智学の国柱会に傾倒して、戦争に反対した。それで、祭りになると、いつも、神主が若者を煽り、神輿をぶつけ、家を壊していったという。神主の息子が戦死してから、その暴力が止まったと聞いている。

戦前と言うと、特高が拷問をしたという話も親から聞いているが、母の実家は特高に巻き込まれなかった。私は、国柱会が天皇制を否定せず、特高から共産党とは無関係だと思われていたから、と思う。

結論として、暴力的な「革新右翼」が戦前に勢いをもったのは、大日本帝国政府が共産主義者や社会主義者を徹底的に弾圧したので、「革新右翼」にしか、不満をもつ国民の直接行動の行き場がなかったからだ、と思う。

そして、加藤が『戦争まで』で指摘するように、政府と軍部の革新派も統制派も、何度も立ち止まるチャンスがあったのに、虚栄心の自縛から戦争に追い込まれていく。

加藤陽子は、戦前の誤りを繰り返さないために、大衆の教育がだいじだと言う。しかし、私は、単なる「教育」は「洗脳」で危険だと思う。多様な考えを知り、、自分の力で真実を求めることが、だいじだと思う。そして、自分の考えを発信することである。

小さな小さな関東州の守備隊の関東軍が かってに満州を占領した

2020-12-19 21:33:28 | 育鵬社の中学教科書を検討する
 
きょうのきょうまで、冷蔵庫のクラフト「切れているチーズ」をカマンベールチーズだと思っていた。しかし、味が納得できず、外箱をよくみると、「カマンベール入り」のプロセスチーズとあった。私は間抜けである。
 
そういえば、加藤陽子の『戦争まで』(朝日出版社)を読むまで、「関東軍」を日本の「関東地方」の陸軍のことだと思っていた。私の父は、戸籍が東京都の文京区にあったので、赤紙で東京に呼び出され、中国の戦地に行かされた。
 
私は間抜けである。「関東軍」の「関東」が、中国の「関東州」の「関東」であることを知らなかった。私は高校のとき、暗記を重んずる日本史の先生がきらいで、日本史を勉強しなかった。いつも白紙の答案を提出していた。
 
しかし、「関東州」はいまや中学の教科書にも出てくるのだ。育鵬社の『新しい日本の歴史』につぎのようにある。
 
〈 大戦〔第1次世界大戦〕のさなか、関東州・南満州鉄道(満鉄)の租借期限の延長などを中華民国政府に要求しました。〉211ページ
 
〈 また満州には、わが国が権益をもつ関東州と南満州鉄道を守るための日本軍部隊(関東軍)が置かれていました。〉226―227ページ
 
関東軍は租借地「関東州」と南満州鉄道の権益を守るための日本陸軍の一師団であったのだ。
 
育鵬社の教科書を使う中学校の先生方は「租借地」や「権益」をどう教えるのか、私は気になる。
 
ところで「関東州」とはどこか。地図で探すと、中国遼東半島の先端の3,463平方キロメートルの小さな地域である。現在の大連市の南半分で、日露戦争の激戦地、旅順を含む。上の地図の下の赤色の小さな地域が「関東州」である。
 
日露戦争は、第1次世界大戦開戦のちょうど10年前のことである。
 
〈 陸軍は、ロシアが築いた旅順の要塞を攻略するため、乃木希典の率いる軍を送り、多くの犠牲を払った末に旅順を占領し、奉天会戦でも勝利を収めました。〉191ページ
 
〈 一方、わが国の兵力や武器、弾薬、戦費は底をつき始め、ロシアでも革命の動きが高まっていたため、1905年、アメリカの仲介でポーツマス条約が結ばれ、わが国の勝利で戦争は終わりました。この条約でわが国は、韓国での優越的な立場が認められたほか、旅順大連の租借権、長春以南の鉄道の権利、北洋での漁業権、樺太の半分を得ました。〉191ページ
 
ロシアも日本も降伏したわけではないから、育鵬社の「わが国の勝利」は言い過ぎである。日本は、たった1年の戦争で「兵力や武器、弾薬、戦費は底をつき始め」たにもかかわらず、「わが国の勝利」に酔いしれて、日露戦争を期して、軍国主義の道に進む。
 
〈 しかし国内では、犠牲の大きさに比べ、ロシアから賠償金が得られず、手に入れた権益があまりに少ないとの不満がわきおこり、暴動にまで発展しました(日比谷焼き討ち事件)。〉191ページ
 
戦争反対の暴動でなく、ロシアから奪ったものが少ないと皇居の前で暴れるなんて、なんて情けない日本人なのだろう。もちろん、日本が勝った勝った、と宣伝した大日本帝国政府に責任の半分があるが。
 
さて、小さな「関東州」と南満州鉄道の権益を守るための「関東軍」は、大日本帝国政府を無視して、トンデモナイ戦略を立て、軍事行動を起こす。
 
〈 こうした情勢の中で、関東軍は問題の解決をはかって満州の占領を計画しました。1931年9月、関東軍は、奉天郊外の柳条湖の満鉄路を爆破して中国軍による爆破と発表し、満州の各地に軍を進めました(満州事変)。〉227ページ
 
〈 日本政府は関東軍の動きを抑えようとしましたが、関東軍は満州の主要都市を占領し、満州の有力者の一部を味方につけ、その翌年、清朝最後の皇帝だった溥儀を元首とする満州国を建国しました。事態がこのように動くなか、政府も関東軍の行動を追認しました。〉227ページ
 
育鵬社の教科書は、中華民国から満州の利益を守るために、関東軍は満州を占領し、満州国を建国したとある。育鵬社の教科書は伊藤隆の監修である。伊藤隆に指導を受けた加藤陽子は『戦争まで』で、つぎの別の見方を紹介している。
 
〈 1931年9月18日に起こされた満州事変は、日本の関東軍参謀、石原莞爾によって、2年前から周到に準備され、起こされた事件でした。〉98ページ
 
〈 石原が事変を起こした理由は明快でした。ソ連がいまだ軍事的に弱体なうちに、日本とソ連が対峙する防衛ラインを、山脈など天然の要塞で区切られたソ連の国境線まで北に上げることで楽にしておくということです。〉99ページ
 
伊藤隆は陸軍と政府から見た視点で中華民国を敵国とし、加藤陽子は関東軍の視点からソ連(ロシア)を敵国とする。歴史の結果は、満州国はソ連の侵攻であっという間に総崩れで、日本人開拓民の引き揚げ(逃亡)やシベリアへの日本兵の捕囚で多くの犠牲者を出す。軍事的には、ソ連に対する軍備の備えが必要だったのに、満州国の軍備がソ連の5分の1以下であったのに、陸軍はインドシナ、フィリピンへの南攻に兵を移動させたのだ。
 
私の父は、旧制中学卒業であったので、将校にしてやるから、南方戦線に行かないかと誘われた。しかし、父は、南方にいくまでに海で死ぬという噂を聞き、二等兵で中国戦線に残ることを選択し、負傷兵として終戦を病院で迎えた。帰国に1年かかったが、中国から生きて帰れたのである。
 
加藤陽子は、庶民の立場ではなく、政府や軍首脳の立場から、どこで、国策を誤ったかを『戦争まで』に書いている。まあ、加藤も伊藤もどっちがどっちであるが、なぜか不思議なことに、菅義偉は加藤の日本学術会議会員任命を拒否した。政府や軍の誤りを指摘すると、「自虐史観」になるようだ。日本には「学問の自由」がない。
 
小林英夫は、満州国政府が関東軍の完全な傀儡であったと『アジア太平洋討究』No. 23に書いている。
 
〈 中国人官吏は無論として日本人官吏も関東軍の了解なくしては満洲国の官吏に就任することはできなかった。〉
 
〈 関東軍司令官が満洲国の中央,地方官署の日本人職員の任命権および解任権を持っていたからである。しかも関東軍は,正面には中国人を立てながら,背後から日本人がこれを制御する「内面指導」を実施した。〉
 
また、ソ連の侵攻に対する日本の陸軍の備えはなかったと小林が書いている。終戦後の満州国で起きた日本人の悲劇は、陸軍と日本政府に責任があるのである。伊藤は、その責任をスターリンひとりに押し付けているが、それは彼の共産党嫌いからくる誤りであると思う。

中小企業対策での生産性向上は意味ある政府の提言か?

2020-12-17 18:39:17 | 経済と政治


きょうの朝日新聞の《耕論》は『生産性ですべて計れる?』である。このタイトルはちょっと視点がずれている。論者の3人、中里良一、伊藤真美、関満博は「生産性向上」が中小企業にとって意味ないと言っているのだ。しかも、3人のうち、中里と伊藤が中小企業の社長である。

関によれば、1960年代から菅政権にいたるまで、政府は中小企業の生産性を向上させるという政策を繰り返してきたという。そして、「生産性向上」は中小企業対策に限られない。魔法の言葉のように政府によってあらゆる方面の政策に使われてきた。すなわち、「生産性向上」は意味のない言葉になっている。

安倍晋三は今年の1月20日の所信表明で、「農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます」と話している。
安倍政治を継承すると言う菅義偉は10月26日の所信表明で「人生百年時代を迎え、予防や健康づくりを通じて健康寿命を延ばす取組を進めるとともに、介護人材の確保や介護現場の生産性向上を進めます」と話す。

教養のないふたりのことは忘れて、問題を論理的に考えてみよう。公益財団法人日本生産性本部は、生産性を
  生産性=産出÷投入
で定義する。産出と投入の単位は目的によっていろいろである。例えば、
  生産性=生産量÷労働者数   ①
  生産性=生産量÷(労働者数×労働時間)   ②
などである。

「生産性向上」とは、同じ単位を使い、その時間的推移をみて、増加していればよいとするものである。したがって、企業が儲かるとか労働者の賃金が上がるとかとは、「生産性向上」は無縁なのである。

市場が増加しなければ、生産量を増やすことができないから、定義①の生産性向上は、労働者の失業を招く。そして、企業にとって、生産性向上のために行なった設備投資は回収できない。ますます経営は困難になる。定義②でも同じである。労働者は労働時間の減少にともなって収入が減る。あるいは、企業は労働者を解雇するかもしれない。

中里は、次のように語る。

〈 短時間に大量生産するために最新の機械を買います。古くなったら、また最新の機械を買い、また古くなり、また買って……。町工場が生産性を追いかけると、借金地獄に陥るのが関の山です。〉

すると、生産性向上は物が足らなかった戦後の復興期の政策でしかない。にもかかわらず、1960年代以降も続いたのは、アメリカの市場に進出できたからである。しかし、その結果招いたのは、日米経済摩擦である。日本が生産性を上げ、余剰の生産量をアメリカに売り込めば、アメリカの労働者が失業や賃下げで悲鳴を上げるのはあたりまえである。

中小企業の経営で一番大変なのは資金繰りである。無理な事業拡大をしなくても、自由経済には景気の波があるから、資金繰りの困難が生じる。景気の波を小さくするとか、資金繰りの問題を政府融資で和らげるとかが必要である。また、リーマンショックや消費増税のような、明らかに経済政策の誤りから生じる市場の縮小を避けるべきである。

新型コロナの場合も、観光事業に軸足を置きすぎた政府の経済政策が、意味不明な菅の感染対策とともに、日本経済への打撃を大きくしている。

日本は、「生産性向上」を目指す社会では もはやない。

すでに物があまっていて、しかもエネルギー消費を抑えた方が望ましい脱炭素社会である。この新しい社会の経済政策について、もっともっと、オープンに議論すべきだろう。

保育や教育や看護や介護のような、人間が人間にたいするサービスで、働き口を増やすのが、あたらしい経済対策になるかもしれない。あるいは、せかせかと働くのではなく、のんびりとして、どうしたら、みんなと仲良く楽しく暮らせるかと考える時間を増やすことかもしれない。また、福祉への財政支出の増加も望ましい経済政策になるかもしれない。人混みを作らない個人的文化の消費を掘り起こすのも良いかもしれない。

とにかく、もっともっと考え、議論し、やってみることだろう。

安易なベーシックインカム導入は福祉の切り捨てになる

2020-12-16 22:36:10 | 経済と政治

きょうの朝日新聞の《耕論》は『ベーシックインカム考』である。インタビューを受けたのは、山森亮と宮本太郎のふたりである。ベーシックインカムとは、すべての人に一律に給付金をくばり、あとは個人の才覚でお金を儲け、あわせて、個人の所得とすることで、各個人の最低所得を保障するというものである。

「個人単位」「無条件」のベーシックインカムの導入は収入がなくて困窮している人を漏れなく救うことができると、山森は言い、導入に賛成する。彼はつぎのように言う。

〈 毎月の収入が生活保護基準以下で暮らす人のうち、2割前後しか実際には受給していない状況です。自動車の保有状況などさまざまな受給要件のほか、親族との関係などプライバシーまで調査が及ぶため、申請しづらい傾向があります。〉

これに対し、宮本は、現在の福祉制度を充実させることが、先決であり、安易なベーシックインカムの導入はかえって生活困窮者の切り捨てになると言う。私は、宮本に同意する。

現在のベーシックインカム導入論は、山森の「漏れのない福祉」を実施したいからではなく、じつは(1)福祉にかかる財政支出を下げたい、(2)福祉にかかる行政の手間を削りたい、の2つの動機からくる。

国民健康保険は、突然やってくる病気の医療費の負担を軽くするものである。また、失業保険は現在の生活スタイルを一時的に支えるためのもので、住宅や車などのローンを一時的に支えるためにある。

このように現在の福祉諸制度はいろいろな理由があって存在する。ベーシックインカムの導入で不要となるのは生活保護ぐらいのものだろう。そうすると、ベーシックインカムの導入によって、漏れのない福祉が実現すれば、大幅に福祉の財政支出が増えるわけである。

また、山森が挙げた生活保護を申請しづらい現状は、生活保護への政府支出を下げたいという方針をうけて、役所の窓口が申請者のプライドを傷つける態度をとるからである。
窓口業務の手間がかかるのは、政府が細かい要件を生活保護の受給につけるからである。すなわち、福祉行政の複雑さは福祉の対象者を絞り、福祉への財政支出を減らそうとするからである。

「個人単位」「無条件」のベーシックインカムは漏れのない福祉として魅力的だが、福祉の財政支出を削減するという話しが出てくるかぎり慎重にならざるを得ない。

また、ベーシックインカムは所得の正確な把握を必要とする。現在のような源泉徴収方式でなく、欧米のように、株や債券所得を含む所得を個人単位で自己申告する制度に移行する必要がある。源泉徴収方式では、アルバイトや金融商品による収入を課税から落としがちになる。

現状では、漏れのない福祉の実現を重視したいなら、生活保護の細かい要件をとりはらったほうが良い、と私は思う。

菅義偉は 政治が経済に優先する「革新右翼」の生き残り

2020-12-15 22:32:58 | 叩き上げの菅義偉
 
この間のコロナ対策を見て、菅義偉が戦前の「革新右翼」の流れを引き継いでいると感じたが、伊藤隆の『大政翼賛会への道 近衛新体制』(講談社学術分文庫)を読むとそれが確信になった。
 
序章で彼は、新体制確立を図った近衛文麿の考えをまとめている。つぎは、それを私が要約したものだ。
 
〈 資本主義が発達し、独占の段階に達し、自由貿易がやんで、資本主義国間の対立と闘争が激化し、また、国内的にも階級間の対立が先鋭化し、議会、選挙、政党などの立憲政治が金権政治になった。〉
 
〈 そこで、世界的傾向として国家はますます政治経済生活のあらゆる領域に干渉せざるを得なくなり、また自由放任の経済に全体的公益の立場より統制を行わざるを得なくなり、そしてそのために権力分立、牽制均衡を捨てて、むしろ強力なる国家権力の集中を図り、その集中的政治機関として執行権を強化せざるをえなくなった。〉
 
「革新右翼」の近衛は、強い政府を求めているのだ。「権力分立」とは三権分立だけでなく、「大学の自治」とか「検察権力の独立性」とかいろいろなものを含む。いまなら、「日本学術会議の独立性」や「官僚が内閣の方針に口出すこと」を含む。菅も自分に はむかうものを許せない。国民の税金を使うものは内閣総理大臣のイエスマンでないといけないと考える。
 
近衛は、そのために、大日本帝国憲法第8条、第14条,第31条,第70条などを適宜に活用すべきと言っている。
帝国憲法第8条は緊急勅令、14条は戒厳令、31条は政治における国民の権利義務の制限、70条は緊急時の勅令による財政処分に関する規定である。
 
これに呼応し、現在、自民党は憲法に「緊急事態の宣言」を加えることを提案している。
 
自民党改正案98条「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」
 
自民党改正案99条「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。」
 
外交政策においても、近衛は、「受動的態度では、東亜の安定勢力たる帝国の任務を果たせず、むしろ、来たるべき世界秩序の建設に指導的役割を演ずるべきである」という。
 
これは、安倍晋三のいう「積極的外交」「世界の中心の日本」ではないか。
 
最後に、近衛は、「政治体制強化と統制経済体制の整備は補完関係にあり、統制経済の確立」を主張する。
 
安倍晋三は、労働組合を無視して、企業に従業員の給料を上げることを要請し、菅義偉はデジタル通信会社に携帯の通信料の値下げを要請する。
 
政府が、政治家が、正しい経営判断をできると、安倍や菅や自民党は思っているのだ。しかも、政治が経済の自立性に干渉すると、自分たちの支持者へのお金のバラマキに落ち込む危険を無視している。
 
率直に言おう。安倍や菅は日本会議に支えられている。戦前の「革新右翼」の亡霊はいまなお生きているのである。それだけでなく、日本維新の会、公明党にも戦前の「革新右翼」の亡霊が生きている。公明党と戦前の「革新右翼」と差異は、戦争に対する態度だけになっている。
 
そう考えると、菅が日本維新の会や公明党との太いパイプが納得いく。彼らは、「革新右翼」の郷愁で心情的に深く結びついているのだ。
 
伊藤隆は「革新右翼」というが、私はファシストと呼んでも いいように思う。