猫じじいのブログ

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岸田文雄の施政方針演説を批判する

2023-01-25 22:37:48 | 政治時評

今月の1月23日、第211回国会開会にあたり、岸田文雄が施政方針演説を行った。昨年1月の施政方針演説に比べ、格調高く、はじまった。スピーチライターが優秀なのだろう。

ところが各論にはいると、その言っていることは滅茶苦茶になる。スピーチライターが優秀でも、政策補佐官がボロでは、まともな施政方針の原稿ができあがらない。さらに、知的に劣る岸田が、生前の安倍晋三が促成栽培したごろつきの安倍派議員の突き上げを食い、焦って何かやっているフリをするので、将来に悔いの残る施政方針演説になってしまった。岸田は何もしないことの美学、善行を知っていて欲しかった。

演説の「防衛力の抜本的強化」は全くいただけない、どこにも、「5年間で43兆円の予算を確保」する必要性が述べられていない。支出する項目を羅列しただけで、それでは、予算確保の理由にはならない。

第1の疑問は、なぜ、アメリカ軍の下、中国軍との戦争を準備しなければならないのかである。歴代の日本政府が悩んだのは、アメリカの市場から日本が追い出されることを恐れて、どの程度、アメリカ政府の要求、たとえば、日本の国土をアメリカ軍の基地にささげ、その基地維持費をはらい、海外のアメリカ軍との共同作戦への参加するなどの要求に答えていかなければならないのか、ということである。

アメリカの政治家は、他国を敵に仕立て煽ることで、アメリカ国民の統合を図るが、直接参戦することにとても慎重である。それは、政府の意図にかかわらず、アメリカ国民は戦争に加ることが嫌いで、政権党が選挙で不利になるからである。まともなアメリカ国民は殺されることも殺すことことも大嫌いである。このまま、軍事力を増強していけば、台湾有事の際に最前線に日本の軍隊が押し出される可能性がある。しかも、アメリカ軍は後衛に下がって直接の参戦を避ける可能性が高い。

アメリカが全世界に軍事基地を置いたのは、アメリカのビジネス・ルールを各国に押しつけ、資本を輸出するためである。アメリカと日本との関係は対等ではなく、日本はアメリカに従属してきたのである。まず、アメリカと日本のあるべき姿を「防衛力の抜本的強化」の前に議論すべきである。バイデン政権にほめられるようでは、日本の利益も日本の正義も守られていない。

第2の疑問は、日本が どれだけ お金をかければ、中国に対する侵略の抑止力になるのか、また、そもそも、中国が日本に侵略する可能性があるのか、という問題である。「抑止力」となる攻撃力の軍事費が膨大になるのなら、侵略の可能性を精度高く予測しなければならない。防衛庁が行っている中国との戦争のシミュレーションは、もと自衛隊幕僚長によれば、アメリカ軍の基地への攻撃であり、日本の都市への攻撃ではない。

中国はすでに日本の3倍のGNP(国民総生産)にある。日本が中国と対等な軍事力をもつことは無理である。軍事力に頼らない道を日本は選択すべきである。これからの10年、中国のGNPは日本の5倍以上になるであろう。

これと関連して、演説の「まず優先されるべきは積極的な外交の展開です。同時に、外交に、裏付けとなる防衛力が必要です」はまったくのウソである。軍事力に裏付けされて外交するのでは、「国際紛争を武力で脅して解決」することになる。軍事力がない国こそ、外国との交渉力が求められるのだ。政府に外交能力がないし、外交能力を向上させる意志もないと、岸田は告白していることになる。

施政方針演説の「あたらしい資本主義」も根本的に間違っている。

「権威主義的国家からの挑戦に直面する中で、市場に任せるだけでなく、官と民が連帯し国家間の競争に勝ち抜くための、経済モデル」が「新しい資本主義」だとしている。ここの「官と民」は、政府と民間企業をさしている。「新しい資本主義」とは、豊かな階級と貧しい階級に社会が分かれていく問題を解決することではなかったのか。「骨幹の競争に勝ち抜く」ためではない。

「世界のリーダと対話を重ねる中で」の「リーダー」とは統治者のことである。各国の首脳と話し合っても何の解決にもならない。問題のすり替えが最初からなされている。

あすも、「新しい資本主義」についての議論をつづけたい。



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