猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

白井聡の『未完のレーニン』、ソヴィエトと前衛党

2021-08-01 23:02:53 | 思想

白井聡の『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』(講談社選書メチエ)に再び挑戦している。あいかわらず、言葉が難しい。目の調子も悪い。

読んでいるうちに不思議なことに気づいた。

レーニン、トロツキー、スターリンも本名ではない。世をはばかるための筆名である。

レーニンは1917年の2月革命の後、亡命先から4月にロシアに帰国する。そして7年も たたない1924年1月に死ぬ。その2年前に脳梗塞で倒れている。帰国時には言葉を通じてカリスマ性があったのだろうが、組織をどれだけ握っていたのかの疑問が生じる。

1979年にイランでイスラム革命が起き、ルーホッラー・ホメイニーは帰国して10年生きている。それに対し、レーニンは帰国して7年も生きていない。しかも健康なのは帰国後の5年間である。

レーニンは帰国して、党ではなく、ソヴィエトに権力を集中させようとしたが、そうはならなかった。

ソヴィエトと党との違いは何なのだろうか。

白井の『未完のレーニン』の中に、つぎの記述がある。

《『国家と革命』のレーニンは、無政府共産制の理想を堂々と語り、その行論においては直接民主制の機関としてのソヴィエト制度が重視され前衛党は後景に退いている。》p.24

私は「前衛党」とは何か、という疑問を長らく持っていたが、つぎの記述で明確になった。

《資本主義的生産様式の内部における日々の労働に追いやられ、革命の大義よりも目先の生活改善に直結する事象に注目せざるを得ないプロレタリアートは、みずからの歴史的運命を自然に学び取ることができない。ゆえに、プロレタリア階級の真正な階級意識は、プロレタリアそれ自身から自然に生まれるのではなく、この階級の客観的状況と歴運を彼ら自身よりよく理解したブルジョア・インテリゲンツィアによってプロレタリアートに注入されなければならない。》p.44

「歴史的運命」を「歴運」と簡略化したり、仲間内だけで通用する難しい言葉「注入」を使ったりで読みにくいが、要は革命の大義と必然性を理解したブルジョア知識人がプロレタリア階級を指導しなければならない、と言っているのだ。

ということは、前衛党は科学的に革命を理解している知識人の集まりで、誰でもが入ることができる組織ではない。それに対し、ソヴィエトは誰にでも開かれている直接民主主義の組織である。

国外逃亡をしていたレーニンやトロツキーと比べ、国内にとどまっていたスターリンは、党をしっかり押さえていたのだろう。1917年に帰国したトロツキーは弁舌巧みにソヴィエトを組織化したが、党内闘争に敗れた。

加藤陽子は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)で私と違った見方を書いている。

《レーニンが死んだとき、軍事的なカリスマ性を持っていたトロツキーではなく、国内に向けた支配をきっちりやりそうな人、ということでスターリンを後継者として選んでしまうのです。》

この文には主語が欠けているが、「党」と思われる。

《トロツキーは、内戦を戦った闘将でしたし、第1次世界大戦の戦列からロシアを除くために、敵国ドイツとの単独講和にも踏み切った英雄でした。》

《トロツキーは、第2のナポレオンになる可能性がある。よって、グルジアから出てきた田舎者のスターリンを選んだ方が安全だと。》

この文にも主語が欠けているが、「党」と思われる

とにかく、権力闘争においては、スターリンと党が、トロツキーとソヴィエトに勝ったのである。その結果、本人の意思に反して、死後、大きなレーニン像が建てられ、70年後にすべてが壊されたのだ。新約聖書の『マタイの福音書』23章29から31節に書かれていることが起きたのである。

レーニンがなぜ当時の人びとに人気が高かったか、確かに、彼自身の書いた『国家と革命』を読む価値がありそうだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿