猫じじいのブログ

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サンタクロースは いるの?にどう答えるか、チャーチの場合

2021-12-24 23:53:24 | こころ
 
きのうの朝日新聞に、120年前のアメリカで、「サンタクロースは、いるの?」と8歳の子どもに聞かれて、社説で真面目に答えようとした記者の話があった。
 
この話は、森本あんりによると、アメリカ人にとってとっても有名な話だそうである。アメリカで「そうだよ、ヴァージニア(Yes, VIRGINIA)」と言うと、誰もがすぐに「サンタはいるんだよ(there is a Santa Claus)」と続きを返してくるという。
 
ヴァージニアは新聞社にそれを聞いた女の子の名前 Virginia O'Hanlonである。答えたのはチャーチ(Francis Pharcellus Church)というベテラン記者だ。森本は、次のように言う。
 
〈 南北戦争の悲惨さを伝えて記者になったチャーチは、迷信を排する冷徹な皮肉屋だったという。おそらく、日頃の自分自身に向かって書いたのだろう。そういう彼の内心の声を社説に据えて正面から世に問うたところに、世界の善を信じるこの新聞の矜恃が見える。〉
 
しかし、どう答えるべきかは、とても難しい問題だと思う。私にとって、サンタクロースは存在しないからである。聖書のどこにもサンタクロースのことは出てこない。北ヨーロッパにキリスト教が土着化したことによって、生まれた物語である。
 
私のNPOに通う子どもたちには、中学を卒業しても、「閻魔大王がいて、ウソをつくと舌を抜く」と信じている子がいる。存在しないものを、「そうだよ、いるんだよ」と答えることが、正しいとも思えない。
 
森本はつぎの問題も指摘する。
 
〈 少女は「サンタなんかいない」と言う子がいる理由も悟っていた。自分は何不自由ない暖かな暮らしだが、プレゼントなどもらえない子もいるのだ。19世紀末のニューヨークなら貧富の差は歴然としていただろう。〉
 
それだけでない。ユダヤ人の家庭では、クリスマスは別に祝う日ではない。クリスマスの日に寂しい思いをした子ども時代を語るユダヤ人も多い。
 
私の母も日蓮宗の信者だから、私はクリスマス・プレゼントもなかったし、神社に初もうですることもなかった。
 
この「サンタクロースはいるの」の話しがほほえましいのは、キリスト教の家庭と、クリスマスを商業上の大イベントとする小売業だけかもしれない。
 
ヴァージニアの『サンタクロースっているんでしょうか?』の邦訳と出版に携わった中村妙子は、1977年、つぎのように言ったという。
 
〈こどもの質問だからとちゃかしたり、また単に夢をもっていればいいのだと甘やかすのではなく、ここには、目にみえない心の問題がどんなに大切かを訴えたチャーチの考えがうかがえます〉
 
児童文学者の松岡享子は、1973年の朝日新聞への寄稿でつぎのように訴えたという。
 
〈 本当らしく見せかけることによってつくられる本当と、本当だと信じることによって生まれる本当を、子どもはそれなりに区別している。むしろ、見えないものを信じることを恥じ、サンタクロースの話をするのは、子どもをだますことだというふうに考えるおとなが、子どもの心のふしぎの住むべき空間を、信じる能力を、つぶしているのではないだろうか〉
 
そんなに問題が簡単だと思えない。「心の問題が大切」というのはわかるが、「信じる能力」が大切だというのは理解しがたい。何を信じるのか、それを信じることは社会に害をなしていないか、の問題が必ず生じる。
 
チャーチの答えの中に、
 
〈 Of course not, but that’s no proof that they are not there.(もちろん、みた人は、いません。けれども、それは、いないという証明にはならないのです)〉
 
という文がある。これは、神の存在を主張するときに、いつも出てくる言葉である。もし、オウムの信者がそう言ったら、あなたはどう思うか。
 
記者のチャーチは、サンタクロスの存在を、「愛を与える人」の存在にすり替えることで、子どもの難しい問いに苦労して答えている。チャーチの答えは簡単なように見えて、じつは理解するに難しい。難しい単語も出てくるが、屈折している。ヴァージニアは賢い少女だったから、チャーチの心の葛藤を感じとったのではないか。
 
[補遺]
チャーチの社説の全文は次で手に入る。
https://www.newseum.org/exhibits/online/yes-virginia-there-is-a-santa-claus/


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