猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

愛すべき子供たち、ひらがなが読み書きできない

2020-06-24 11:00:58 | 愛すべき子どもたち


私のNPOでは、毎年、その年までに二十歳になった子どもたちを集めて「成人式」を行っている。自治体から補助がでる「放デイサービス」は、養護学校高等部を含む高校までの子どもたちが対象である。それがすぎると来なくなる子が多い。うまく社会に適応できたか心配になる。それで同窓会のように、NPO独自の成人式を行っている。

今年は、NPOの組織も大きくなったので、時期をずらして教室ごとに成人式を行うことにした。ところが、まずいことに、新型コロナウイルスの流行がはじまり、2月2日の成人式ができたが、3月1日予定していた成人式は中止になった。

2月2日の成人式は、去年職場に通えなくなったという女の子が来てくれた。職場にまた通い出したとのことで、何かほっとした。バスの運転手になりたいという男の子は、無事思いがかなって、静岡のバス会社の研修所に入ることが決まった。

その後の新型コロナウイルスの流行が、せっかくの自立をくじかないように、祈っている。

以下は、昨年の成人式の思い出である。

  ☆   ☆   ☆

私の愛すべき子どもたちに、ひらがなの読み書きができない男の子がいる。この子も、ことし、成人式を迎えた。

私のNPOでも2月に成人式を行った。中身は、みんなで、ゲームをし、お菓子を食べることだ。
この子がゲームに参加できるか、心配したが、自分から参加した。それも、「わたしはだれでしょう」というゲームである。
このゲームは、自分の頭の上の三角帽子につけられた絵が、(お菓子とか動物とかテレビアニメの主人公なんだが)、何かを、言い当てるものだ。周りの子どもたちがヒントを与えるが、本人からはその絵が見えない。

私の同僚がその子にかぶせた絵は「ドラえもん」である。
この子が見るテレビ番組は歌番組だけである。ストーリーのある番組についていくのがむずかしい。
ひらがなが読めないから、漫画も見ない。

しかし、その子は「ドラえもん」を言い当てたのだ。あとで、お母さんに聞くと、やはり、テレビアニメは見ていない。どうも、最終的に「ド」のヒントで、頭の中の記憶から「ドラえもん」という言葉が引きだされたようだ。

私が指導を引きついだのは、養護学校中等部の1年の終わりだった。この子が、同僚の女性指導員の手首をつかんで離さない,という理由からだった。

指導の現場を見せていただくと、指導員がその子の手首をつかんで、無理やり、線をひかせたり、字を書かせたりしている。これをやめて、この問題はすぐ解決した。
その子に自傷行為があったが、抑圧(虐待)されているのではと思ったので、母親にその旨を告げた。それを受け、母親は養護学校側と話し合いをもった。この自傷行為も止んだ。

しかし、ひらがなが読めないだけでなく、口からでる言葉がモノの名称だけであった。人と会話ができない。手に入る教材は、ひらがなが読めることを前提としている。どうしたら、言葉が話せるようになるか、私は途方にくれた。

45分の指導と言うことで、その子を預かったが、私は45分を持たせることができなかった。母親は私に預けた間に買い物などの用事をすませるのだが、子どもを迎えにくると、ホットする私であった。

私は何をするにもその子の意思を確認した。絵を描かせたり、色々な遊具を使かったりしても、すぐ飽きる。「好きじゃない」、「やりたくない」と言う。部屋から飛び出す。トイレに行く。水を飲みに行く。ガラス窓や鏡に映った自分に口づけをする。

そのうち、いくつかのことに気づいた。

その子はハッキリと自分の意思を持っている。自我は誰にでもあるのだ。
ほかの子と隔離し個室で指導していたのだが、たまに、大部屋で指導すると、飛び出しが少ない。他人の存在が嫌ではないのだ。うまくつきあいができないだけだ。

母親はその子を「自閉症」と言うが、本当は「知的能力障害」であるだけなのだ。

あるとき、その子は私に「水を飲みたいです」と言った。チャンと文になっている。単語を教えるのではなく、文を教えるべきなのだ。文字を読めるより、会話ができることが大事なのだ。

オウム返しができる。私の言っていることが、ちゃんと聞き取れているのだ。意味が理解できていないが、短期記憶力がしっかりしている。

そのうち、NPOが新しい教室を増やすことになり、ケアプラザの大きな一室を借りることになった。これを機会に指導方針を大きく変えた。

ほかの子たちから隔離しない。遊具を使わない。教材は私が自分で作る。一緒に声出しをする。飛び出しを止めない。水やお茶を飲みたければ、座席に持ってこさせ、自由に飲ます。単語を覚えさせるのではなく、文を教える。

例えば、私が、6つの絵を提示し、「お母さんが包丁で人参を切っている。どれかな、これかな。あれかな」と言う。今では、私の問いかけに、正しく答えられる。また、大きい傘の絵と小さい傘の絵を見せ、「これはどんな傘?」と聞く。ちゃんと「大きな傘」、「小さな傘」と答えられる。

コップの洗い方や、歯の磨き方や、レジでの買い物の仕方などを、私は毎回話すようにした。焼き芋屋さんとか、弁当屋さんとか、魚屋さんなどのモノマネもした。何回も何回もするうちに、面白がって、声を合わせるようになった。

歯の磨き方では、「歯磨き粉のふたをとります、歯磨き粉を歯ブラシにつけます、歯ブラシで歯をごしごし磨きます、良く磨いたら、水で口をゆすぎます、ゆすぎ終わったら、歯ブラシを洗います、最後に歯磨き粉と歯ブラシをかたづけます」と私がいうのだ。

焼き芋屋さんでは、「やきいもー、やきいもー、ほかほかの 焼き芋、いりませんか、おじさん、焼き芋 ください。どんな 焼き芋かな、大きな 焼き芋 ください、はい、大きな焼き芋、200円ください、ありがとうございました」と私がいうのだ。

スーパーのチラシの写真から好きなものを選んで、電卓にその金額を打ち込んでもらう、これもその子が大好きな指導項目である。ほとんどの商品名を言えるようになった。
それから、私の財布のなかの硬貨を数える。硬貨の金額はいまだに覚えられない。100円玉が1円玉になったりする。

指導の最後は、きょうの天気はどうか、学校に行ったのか、学校で何をしたか、何を食べたか、家で何をするのか、を聞き取って、私が書き留めるようにした。
いまは、「学校」が「作業所」に変わっている。
使える語が着実に増えている。

とにかく、いまは、45分があっという間にすぎるようになった。飛び出さない。映った自分の顔に口づけもしない。昔のその子を知る指導員たちは「よい子になった」と言う。

もちろん、ひらがなはまだ読めない。ほとんどの仮名は識別できる。形状認識はできているのだ。しかし、人が字が読めるということは、もっともっと、むずかしい知的行為なのだ。

社会生活を一人で送るには、まだまだ指導すべきことがあるのだが、とにかく、人に愛される子に育っている。親子の間に、笑いがあるように、なっている。


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