猫じじいのブログ

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どうして言葉を理解でき、言葉を話せるのか、『言語の起源』

2021-01-04 00:19:59 | 脳とニューロンとコンピュータ


1週間前に、ダニエル・L・エヴェレットの『言語の起源 人類の最も偉大な発明』(白揚社)を読み始めたが、むずかしすぎて、いま、読むのをやめている。つぎの人が待っているから1週間後に図書館にその本を返さないといけない。無理をして、これから読むしかない。

私は、発語か大変な子どもとか、どもりの子とか、ディスレクシアの子とか、自閉スペクトラム症の子とNPOでつきあっている。したがって、「言語とは何か」でなく、「どうして言葉を話せるのか」に私は興味をもっている。

私は、NPOで働く前は、定年になるまでITの会社の研究所にいた。だから、人間の脳とコンピューターとの違いには敏感である。ITの研究所で行っているAI(Artificial Intelligent)は、あくまで外から見れば、コンピュータ―が人間であるかのような知的な活動をして見せることである。コンピューターと人間の脳との稼働原理はまったく異なる。

1.コンピューターは言葉をビット列で処理するが、人間の脳にはビット列というものが存在しない。人間の脳で行われているのは、興奮の四方八方への伝達である。すなわち、興奮があるか否かである。
2.コンピューターにはアドレスでビット列がいつでも取り出せる記憶装置があるが、人間の脳にはそのような記憶装置がない。アドレスで記憶を取り出せないのである。

 

人間の脳は神経細胞(ニューロン)の集まりからできている。1つの神経細胞は、細胞体と一本の軸索と多数の樹状突起からできている。

軸索上の興奮は、細胞体から軸先の先端に一方向に、電圧の変化として伝わる。軸索は他の神経細胞の樹状突起と接していて、シナプス結合という。結合といっても10から20ナノメートルの隙間がある。原子が数十から百個ならぶ距離である。軸索上の興奮は、シナプス結合部で伝達化学物質を放出させ、樹状突起がそれを受け取ることで興奮が伝わる。

軸索上を興奮が走ることを発火という。樹状突起が伝達化学物質を受けとっても、受け取り側の神経細胞が発火するとは限らない。確率的現象と捉えてよい。確実に興奮を伝えるためには、2つの神経細胞間に いくつものシナプス結合を作ればよい。

また、複数の神経細胞から同時に興奮を受け取れば、発火の確率が高まる。軸索のシナプス結合から放出される化学物質によっては、受け取り側の発火を抑える。このことは、複数の神経細胞から同時に化学物質を受け取れば、興奮の演算が行われること意味する。

このように、神経細胞の集団は興奮を伝える回路を作っており、神経細胞の1つ1つはコンピューターの演算素子に当たると言える。1つの神経細胞がもつシナプス結合の数は数千から数万といわれる。コンピューターと異なり、脳は非常に複雑な回路を作っている。

神経細胞をもつ生物、人間などの長期記憶は、シナプス結合で作られる回路を書き換えることでなされる。人間の脳の回路は書きかえ可能であるが、コンピューターの回路は書きかえできない。コンピューターは、電気をためる素子(コンデンサー)の集まりで、内部にビット列を保管する。これを記憶装置と呼ぶ。

ここまでくると、つぎの疑問がわく。異なる神経細胞から同時に興奮を受け取らないと、神経細胞は演算素子として機能しない。どうして、それが可能なのか。

脊椎動物では、爬虫類の脳といわれる大脳基底核の神経細胞が、脳での時計の役割を果たし、同時性に寄与している。これらの神経細胞が、他からの刺激がなくても、一定のリズムで、自律的に発火する。これらが大脳皮質の神経細胞の発火を制御している。

それでも、脳の中にビット列が存在しないのに、どうやって情報処理をしているのか、という疑問がわく。感覚器官からきた1つの興奮が脳全体に広がり、時間差をおいてきた次の興奮、あるいは別の感覚器官からきた興奮の広がりと広域に演算を行うことで、脳の情報処理が行われる。すなわち、興奮が四方八方に広がることで、ビット列の代わりをしている。このためには、興奮を神経細胞の局所的集団で持続させるメカニズムが必要となる。

このように考えると、人間の言語理解の機構は、音声と書物とは異なるのではないか、と思う。ここで、エヴェレットの議論についていけなくなる。文法の議論は、書物の言語の世界である。文法の議論は、「どうして言葉を話せるのか」や「どうして言葉を理解できるか」に答えてくれない。再帰構造にしろ、階層構造にしろ、コンピューターの言語処理に意味があるかもしれないが、生身の人間が脳の中でやっていることと関係しない。

人間は過去の長期記憶(脳の回路)にもとづいて理解していくが、脳に入力された刺激はつぎとつぎと脳の中で興奮として広がり、その興奮の広がり同士が干渉しあって、言葉を理解していくのではと思う。すると単語はつぎの単語の解釈に、あるいは、それ飛び越えて後にくる単語の解釈に影響していくのであって、再帰とか階層とかとはまったく関係ない世界ではないかと私は思う。

人間は、書くという手段を獲得して、はじめて、論理的思考ができるようになったのだ、と私は思っている。だから、書いて自省しない限り、人間は論理的思考はできないとも、思っている。

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