猫じじいのブログ

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なぜ天皇は一般市民にならなかったのか、本郷和人『天皇にとって退位とは何か』

2020-07-29 23:18:55 | 天皇制を考える

先日、駅前の本屋の前で古本市が立ち、本郷和人の『天皇にとって退位とは何か』(イーストプレス)を500円で売っていた。2017年1月27日出版であるから、3年半で、定価1400円が500円に下がったわけだから、ちょっと気の毒に思う。

本書は、平成天皇が2016年8月8日にNHKにビデオメッセージを送り、公務が忙しいから天皇をやめたいと国民に向けて言い出したことに対して、歴史学者の立場から、「天皇の退位とは何か」を国民に提示したものである。

私からみれば、天皇が終身制か否か、別に憲法の規定がないから、やめたければ、さっさとやめれば良いと思っていた。

本郷和人から見れば、右翼が、退位問題について、どうどうとウソの歴史を語っているのに、歴史学者の誰もが、天皇制を認めたことになるのを恐れて、退位問題について発言しないのに、我慢ができなかったようだ。

本書のアマゾンの読者評価は非常に低いが、それは、右翼しか買って読まなかったからだろう。じつは、私は、その古本市の立ち読みで、読む価値ありと判断し、図書館に予約した。きのう、本書が手に入り、1日かけて読んだ。そして、読む価値ありの私の判断は正しかったと確信した。

本郷和人の批判は、平成天皇の退位の有識者の議論は、明治維新以降の「先例」とか「皇室典範」とかに基づいており、それは、結局、戦前の国体を引き継ぐか否かという、すなわち、右翼の国家観を復活させるか否かにすぎない、ということにある。政府の有識者会議に歴史学者が含まれていないのである。

明治以降の天皇制の慣例は、あらゆる点で、それ以前とかけ離れているという。「先例」に基づいていないのだ。

天皇が実権をもっていたのは、平安時代の前までであると本郷は言う。実権とは、政治と祭祀に加え、軍事を行う力である。

天皇が実権を持たないということは、象徴であるということである。したがって、万世一系の天皇制というが、象徴であるからこそ、続いたと本郷は言う。

もちろん、象徴天皇が必要だとみんなが思っていたのではなく、多くの時代の庶民は、天皇の存在さえ気づかなかった。単に、京都の住民だけが、和歌などの お稽古ごとの先生として天皇がいることを知っている時代もあったわけだ。

天皇親政復活をはかった南朝・北朝分裂期でも、足利尊氏の家来の高師直は、「天皇を島流しにしてしまえ」「天皇が必要ならば金で鋳るか、木でつくるかしろ」と言っていたと本郷は言う。

私も、象徴ならそれで良いと思う。いまなら、AIを繰り込めば挨拶ぐらいしてくれる金ぴかのロボットを作れると思う。

明治以前は、天皇の退位はめずらしいことではないと本郷は言う。象徴であることは、誰かによって利用できることである。藤原摂政家が天皇を操ったことは、子どものとき教科書で教えられたが、もうひとつは、上皇が天皇を操ることもおこなわれ、これを院政という。天皇を退位して、上皇になるということは、そういうことだ。

操つる側にとって、操られる天皇は、幼いか、バカでないと困る。

明治維新は、薩摩や長州の下級武士たちによる軍事クーデターであるが、このとき、天皇を利用し、尊王攘夷の大義名分で、幕府軍に勝った。

したがって、伊藤博文は、天皇制が自分たちに逆らう勢力に利用されないよう、天皇を実際の政治から遠ざけ、祭司に役割を限定し、そして、天皇が退位することを許さないよう皇室典礼をつくったと本郷は考える。上皇など作らなければ、天皇家が力をもつことないと考えたわけである。

ところが、伊藤博文は、自分たちを天皇の権威で守るために、操り人形の天皇を絶対的君主かのような明治憲法(大日本帝国憲法)をつくってしまった。
維新の元老たちは、天皇が操り人形であることに合意しており、集団指導体制で国民を統治し、幸徳秋水ら革新派を天皇暗殺容疑で根こそぎ殺してしまうことができた。

ところが、時代がすすみ、明治憲法を言葉どおりに信じる者たちがいて、昭和の混乱が起きる。昭和天皇がいかにバカで駄々っ子であったかは、NHKのドキュメントのほうが詳しい。

日本国憲法は、天皇を「象徴」と第1条に明文化するだけでなく、第6条に「国会」の、「内閣」の、第7条に「内閣」の操り人形だと書く。

その平成天皇がなぜ退位を希望したのか、なぜ、退位後、皇室と縁を切り、一市民とならず、上皇になろうとしたのかを、本郷は色々と推測する。

平成天皇は安倍晋三にバカにされながら操り人形を演じることに疲れたこともあるのではないかと、私は思う。

しかし、昨年、平成天皇は退位したが一市民とならず、上皇となった。また、令和天皇は、明治に作られたニセの儀礼を恥ずかしげなくも、この現代に、繰り返した。ふたりとも、人間として生きることを選んでいない。

アマゾンの評価に騙されず、本郷和人の本書を読んだ方が良い。


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