猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

だいじなことは、わかりやすい日本語で話そう

2021-07-24 23:05:15 | 思想

図書館から白井聡の『未完のレーニン 〈力〉の思想を読む』(講談社選書メチエ)を借りてきたが、むずかしくて読めない。言葉がむずかしい。もちろん、最近、目の調子が悪いのもあるが。

《政治的なものの隠蔽によって、社会に内在する敵対性を隠蔽することによって成り立っている。まさにこのことが、通常の政治が抱えている巨大な「秘密」であり、社会に根源的敵対性が内在的に存在することを告白することとは、共同体の不可能性を告白することにほかならない。この「秘密」が秘しておかれざるを得ないところから、あらゆる政治的欺瞞、さまざまなイデオロギーが発生する。》p21

私は、書き手が言葉によって酔っているのではないか、と思う。

私はやさしい日本語で書いて欲しいと思う。

理系の私がNPOで子どもたちや若者たちが言葉を出せるように指導しているのは、第1に虐待を受けていることを他人に訴えることができるように、第2にコミュニケーションを通じて周りの人との人間関係を友好的に保ち、本人もこころ穏やかに過ごせるためである。

ダウン症の男の子(20歳)が作業所から泣いてやってきた。私が「どうしたの」と聞くと、自分で首を絞める真似をする。暴力を受けたのだとわかる。しかし、誰が暴力を振るったのか、何か原因かがわからない。その子の話す日本語が聞き取れないのだ。横から、同じ年の女の子が「いじめがあったら先生と相談するのよ」という。その男の子のかかえる問題は音韻をうまく作れないことだ。聞く方で、イエスかノーかをつうじて時間をかけて判断していくしかない。

発声に問題がなくても、言葉の意味が分からないので、話せない子(22歳)もいる。毎回、きょうの天気を聞くのだが、雨がふっていても、晴れとなる。きょうのことと、きのうことと、ずっと前のことと区別がつかない。毎回、言葉を交わすのだが、私を喜ばしたいがために、なんでも、イエスとなる。そして、とつぜん、すべてにたいして、「……じゃない」という応答になる。きょうの夕飯は何かという話題に対しては、信頼性の高い返事が返ってくる。それでも、量に関してすべて「3つ」となる。「餃子3つ」を食べるとなる。

うつの子も男女ともに母親とコミュニケーションがとれない。ともに二十歳をこえているが、知的なのにである。話すことの楽しさを体で感じて欲しいと思い、私はひたすら対話を続けている。また、内に閉じこもらないために、文章を書き続けることをすすめている。

さて、冒頭の引用句は、「階級闘争が隠蔽されている」の説明である。社会に何か尽くしたいと思う人は、相手にわかるようにしゃべるべきで、そのことにより、自分自身が言葉に酔うことを防げるのではないか、と思う。

悪意のある者だけが、わかりやすくしゃべる社会では困る。



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