猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

自分を表現し人に見てもらい集まっておしゃべりするのは、文化的

2024-04-16 17:10:04 | 働くこと、生きるということ

私は、NPOで子どもたちの指導を始めて13年目、文芸誌と称して子どもたちの作品を集めて発行し始めて7年目になる。これまでに30号をだした。

私は子どものときのから、文化的なことに 憧れがあり、そういう活動が好きだった。作品を書いて、あるいは、描いて、あるいは、創って、人に見てもらいたい、という気持ちがあった。演劇にも、憧れがあった。

NPOで一人黙々とイラストを描いている女の子の、本当はイラストを見せ合っておしゃべりしたいという気持ちがよく分かった。が、何もしなかった。

7年前の春、てんかんの持病をもつ中2の男の子がインタネット上の『小説家になろう』のサイトに投稿しているのに気づいた。そのとき、突然、NPOに集まってくる子供を集めて、文芸誌を発行したいと思った。強引に私の担当している子どもたち8人の作品を集めて、文芸誌1号を出した。

そのときから私は文芸誌をデジタルで発行してきた。「非売品」と表紙につけて、NPO内だけの回覧である。デジタルだから、イラストや工作や立体造形も簡単に載せることができる。私が、大学でガリ版印刷で同人誌を出していたときと比べると、なんと便利な時代になったものだ。

いつのまにか、NPOのほかのスタッフも作品を集めてくれるようになった。NPOは現在5つの教室からなるが、各教室から作品が電子メールで送られてくるようになった。編集を手伝ってくれるスタッフも4人いるようになった。

私が勝手に出し始めた文芸誌が、NPO公認の文芸誌になった。

私は、文化的活動が、自己表現であり、自己肯定であり、生きていく心のかて(糧)となる、と信じている。それは学校のテストの成績や学歴と何の関係もない。送ってきた作品はすべて文芸誌に載せることにしている。作品の質は問わない。だから、だんだん、文芸誌が重くなっている。

おととしの夏から、文芸誌に載った子どもたちの作品について、スタッフが集まって感想をかわす会を催すことにした。18世紀後半のドイツでは、文学や音楽についておしゃべりするサロンが流行したという。作品を創るのも文化的活動だが、作品について話し合うのも文化的活動である。

感想会のほうは参加者の人数がなかなか増えない。ようやく、今回9人になった。まあ、これくらいが良いのかもしれない。Zoomミーティングを使い、オンラインで行っている。載った作品すべてについて話しあうと、1時間半を超えてしまう。いつも、感想会で編集の時に気づかない発見がある。とっても楽しいひとときである。