梅雨どきに雨が降ると、高橋留美子の漫画「妖怪アメフラシ」を思い出す。
ある男の子が、運動会がいやで、村はずれの道祖神に雨で運動会が中止になるよう お願いをする。陰で聞いていた妖怪アメフラシ(女の子)が、自分と遊んでくれたら雨を降らしてあげるという。男の子は約束し、約束通り 運動会の日に雨がふる。
あめ、あめ、ふれふれ、もっとふれ。
そう、運動会が嫌な子がいるのだ。高橋留美子もそうだったのではないか。NPOで私の接する子には、運動も勉強もだめな子が結構いる。
しかも、日本の運動は遊びでないのだ。集団行動の訓練だったり、闘いだったり、競争だったりする。
オリンピックやパラリンピックのために、なぜつらい練習をするのが偉いのか。決められたルールで競争するのは、権力者が催す見世物に出ることではないか。スポーツは遊びであるべきだ。
アスリートが見る者に勇気を与える??
何をバカなことを言うのだ。国のために死ぬ「爆弾三勇士」と同じく、国民を愚弄する権力の道具だ。
つらい練習をするアスリートは、つらい受験勉強する受験生と同じく、バカものである。決められたルールの中で争うことを素晴らしいと考えるのは、本当にバカである。権力はそれで国民を飼い馴らす。
きょうも緑道を歩いていたら、小学校で運動会の練習をしていた。佐渡おけさの曲に合わせて踊っていた。佐渡おけさを集団で踊っていて、何が楽しいのだろうか。それを指導する先生もバカだ。運動会の練習をさせる校長もバカだ。
人間は、自分の頭で判断でき、自分の意志で行動できて、はじめて人間になる。それまでは、ペットか家畜か奴隷にすぎない。
そして、新型コロナ感染のまん延時に、オリンピックもパラリンピックもやる必要がない。ばかげている。