朝の内に「 shy…、the Vespula 」のセット依頼を受けていた発送を済ませ、少々、ヤバイかな?と、思ったが、諏訪大社:下社の山出しに行って来た。
大御柱!は、 当然、国道を遮断してのビックイベントである。 腰痛明けの長距離歩行! 少々気になってはいたが、血が騒ぐ! 行く事に決めた!!!
車で下諏訪まで飛ばし、知り合いの駐車場に置かせて貰い、そこから片道6~7kmの道程を歩く・・・
木落とし坂に着くと案の定黒山の人だった!!!
見上げる木落とし坂は背面斜度50~60度! お凸の凹タンも直し、小笹を植える! これが滑りを良くするので、御柱は滑らかに滑り落ちる!!!という訳・・・
着くなり、間髪をおかず春4が落下して来た!!! 物凄ウ迫力がある・・・
氏子衆は大成功にヤッセヤッセの上機嫌!
覚束ない腰を気にしながら急坂を駆け上る。 そして、追い掛け綱切断見物の好位置を確保する。 待つ事1.5時間。
3時半に秋の4の木落としが始まる。 今度は、上からの見物… 特に追い掛け綱切断を注目する事にした。
内心冷や冷やの追い掛け綱切断係長、見事一発で切断し、TV局のインタビューを盛んに受ける・・・
イヤァ~見事だった。
3本目は秋2の太い御柱。
好位置を確保した積りだったが、目の前は氏子衆で塞がれ、木落としの鼻先をチョコンと見ただけで終わってしまった。 クソ~~~
一寸、油断があった!!!
明日か?明後日も行く積りで居るので、今度はヌカリなくやろう!!!
イヤァ~、それにしても下社の木落としは迫力がある!!! 背面斜度50~60度の急坂を丸太に乗り、150m滑り降りるのだから勇気がいる!!! どんな心境で載っているんだろう?
丁度、通いのいい“ヘボ”の巣の生彫りに似た心境だろうと思われる。 yも生彫りを始めた頃はドキドキものだった。 段々に慣れも手伝って平常心を保てるようになったが、初期の頃は生きた気持がしなかった。 当時は防護服も自家製の貧弱なもので、攻撃蜂に入り込まれ顔中ボコボコ!!!!! 当然、会社に出掛ける時は酷いものだった。 言い訳してもバカにされるだけ!!!
御柱男は、yの若かりし頃は、馬鹿な男?だといわれ、相手にされない時代が続いたが、時代も変わり、今では、英雄視されている!!!
30歳頃まで諏訪の家に居たが、御柱の動員等は露知らず?仕舞いで青年時代を過ごしたが、御柱は親父さんが動員されていたのだろう? そんなノンビリした時代だった。
それにしても下社の木落としはワクワクする!!!
上社のメドデコに川越え、下社の木落としこのセットで諏訪大社の御柱の意義を感じる・・・
何時も何時も思うのだが、諏訪の衆は、団結心が厚い!!! この纏まる力らは、どこの地域に行っても通用するだろう・・・
会社等でもアッチ向いてホイ!という人間は見当たらない? 決めたとなると、鉄の結束力がある!!! yも諏訪人。 鉄の結束力は人一倍強いと自負している・・・
これが、会社活動や地域社会の活力の基本になっているような気がする・・・ 何時も思うのだが、諏訪人の結束力の高さの象徴だろう・・・