コメントでKanai師匠から反応があった!!! 『井伏鱒二の「庵」に遅まきながら蜂を飼ってやろうじゃぁーないか!!!』と・・・ これも何かの縁で、供養になると・・・
kanaiの旦那は、蜜柑箱で“ピン”ちゃんを、yには、三宅式で“軍”を飼え !!! という・・・ こりゃぁーグッド・アイディヤでアリンス!!!
この発案は、遺族の了解さえ得られれば実行されるだろう・・・
それにしても、巨匠:井伏鱒二が、今日までご存命だったらどんな事になっていただろう? 奇妙な巡り会わせと言えよう・・・
話を元に戻そう・・・
井伏鱒二は、ヤッさん、ロカさんと言う蜂狂に恵まれ耳学問を積み重ねていく・・・ そして、東京の自宅近郊で、“スガレ追ひ”をどうしても実現したいと言い出す。それには、更なるノウ・ハウが必要だ。
またまた、面倒見のいい幼馴染Masa坊とヤッさんに“スガレ追ひ”の実務に長けた蜂狂の紹介を頼む事になる。。。
そこで登場するのが、富士見駅前の鮨屋:中野屋の御隠居だ!!!
だが、この年、春先、別格寒く、その上、長梅雨が続いた為、“スガレ”は不作だった。
この年、井伏鱒二は、中野屋の隠居から自慢話の“ヘボ談義”を聞かされる事になる・・・
伊那や山梨を“スガレ追ひ”で荒らし捲くった話、大月辺りで、“スガレ”を燻していて、巡査に補導されこっ酷く取っちめられた話、これには落ちが付く!!!
巡査の家に病人が居て、背負い込んでいた梨と林檎をどうしても譲ってくれ!、と、頼まれ、形勢が逆転した。それ以降、取っちめられた巡査と懇意になったとか・・・
釜無川には、“イハナ(岩魚)”釣りに行き、仰山取ったまではいいが、野宿(山泊り)し、その晩、カワウソに、皆、食べられた話等、吹き捲られている・・・
釜無川を知るようになり、川釣りの館:武智鉱泉と言う木賃宿に出掛けた・・・
そこで、俳人:飯田竜太と会う!!!
竜太とは、以前から、懇意にしていたようだが、その晩、武智鉱泉で始めて『蜂の子』を食べたと言う・・・
因みに、飯田竜太は、俳人:飯田蛇笏の倅で、発句の世界では超有名人だ!!!
偶々、yの親父が発句をやっていて、飯田蛇笏の弟子の一角だった。山梨の境川辺りの出身で、当時、この流派『雲母』は、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。
無理もない。蛇笏は、高浜虚子や若山牧水等と親交が厚い!!!
だから、飯田竜太と聞き、何となく懐かし思いがしてきた。
話は横道に逸れたが、竜太は、『蜂の子』入りの薄焼きを食べ、上手かった!!!、と、言う話をしてくれたと言う・・・
『蜂の子』にも色々な食い方があるもんだ!!!
井伏鱒二の“スガレ”に対する好奇心は、底知れない域に嵌り込んで行く!!!
素朴の人柄で、憎めない蜂狂になりつつあった!!! カツレツ屋:山彦の女将さんの話からも伺える・・・
今日の画像は、井伏鱒二と飯田竜太(右)、山梨県笛吹き川にて・・・