『人権』???
判っているようで判り難い言葉だ!!!
行政の端末を負かされていると、時々、訳の判らない行事に引っ張り出される・・・
昨日は、この『人権』なるものの学習視察会に出掛けた。そう遠くはないが、山梨県のニュウ合併都市:北杜市への旅だった。
総勢20人近く。マイクロバスに乗り、高速道を、一路、北杜市に向かった。
10時過ぎ、北杜市:旧高根町の『淺川資料館』に付いた。
『淺川資料館』は、高根町の『生涯学習センター』の一角にあり、かなりのスペースを占拠し、淺川兄弟の業績を大々的に発信している・・・
淺川兄弟 と 『人権』?、一体如何なる関係があるのか?判らないまま参加、一寸、関心も膨らんでいた。
件(くだり)はこうだ。
淺川兄弟、つまり、兄:伯教(のりたか)、弟:巧(たくみ)は、明治末期高嶺町に生まれ、地元の中学、師範学校を出て、就職する。兄:伯教は、教師となり友人先の家で朝鮮陶磁器に惚れ込み、この道に嵌って行く。一方、弟:巧は、秋田の林業試験場へ就職。
朝鮮磁器・陶器にノメリ込んだ伯教は、朝鮮に渡り、磁器・陶器の研究に没頭する。
巧は、伯教を慕って朝鮮に渡り、朝鮮総督府林業試験場に勤務する。
ここから二人の朝鮮文化へのノメリ込みが始まる。
伯教の功績は、朝鮮陶磁器窯跡の調査分析で数々の業績を残し、その研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献として今日に至る・・・ 一方、巧は、山野の緑化に取り組むと同時に兄:伯教の調査に同行、朝鮮文化を愛し、後に朝鮮民族美術館を設立する。
朝鮮人を愛し、愛され、木工芸の価値を見出し、名著『朝鮮の膳』を発表する。巧みには、数々の名著があり、『白磁の人』等は、近年、多くの高校生に読まれ、一時、ブームになった。
この兄弟が活躍した時代:大正初期、朝鮮は、日本の植民地下におかれ、日本人の朝鮮人に対する扱いは酷いものだった!!!
その陣頭指揮を執っていたのが総督府といっても過言ではなかろう?
yが育った昭和10年代、朝鮮人は、かなり下に見られ、『朝鮮人!朝鮮人!!!!』で馬鹿にされ、一目も二目も下におかれていたので、推して知るべし、理解出来る。。。
こうした状況下で、伯教・巧は、常に、朝鮮人の味方をし、現地人に慕われたという!!! して、多くの韓国人は、今でも伯教・巧への尊敬の念は厚く引き継がれていると言う・・・
こんな事が判ったのは、ついつい、12~3年前で、地元の人すら知らなかったと言う・・・
韓国側から林野庁に淺川兄弟の問い合わせがあり、見直される事となる!!!
当時の高根市長が陣頭指揮を執り韓国訪問、お墓参り等繰り返す内に、『淺川兄弟を偲ぶ会』が発足し、資料館設立となる・・・
資料館には、生い立ち、数々の陶磁器、掛け軸、朝鮮松等が陳列されており、一見に値する。
人権問題が騒がれて久しい。 この学習視察会に参画して、何となく、『人権』なるものが判り掛けたような気がする・・・
辞書を開いても『人民の権利』としか載っていない。平たく『弱い者に対する思いやりと労わり・尊重・・・?』と、解釈すればいいのだろうか?
で、思った。
我々頭の黒い“ヘボ”の天敵:蜂狂、『ヘボ権』も考える時が来ているのでは!!!と・・・ 汗汗・・・冷や汗!!!