日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 今回は勝手ながら雑談及び楊子削りとさせて頂きます。標題の通りです。

「台湾」
「台湾人」

 という言葉を耳にすると、私はもう無条件で言い様のない情感と好感を覚えてしまうのです。

 ――――

 前回の「楊子削り」の冒頭で、
「ときに落ち着いて来し方を振り返ってみたりするのですが、どうも私は典型的な留学生崩れの道を歩んでいるようです」と書きましたが、誰も好んでそうなった訳ではありません(笑)。私だって駆け出しはマトモだったのです。ただ選択を誤ってしまいました。

 当時はバブルの末期で就職戦線は売り手市場。いくらでも口があったのですが、そこは若年客気、できれば小さな会社で自分の働きが会社の業績に反映されるようなところがいいと考え、新卒で中国貿易をメインとする商社に入社しました。他にも色々内定をもらったのですが、
「会社が人を選ぶのと同様に、こちらも会社を選ぶのだ」という不遜な考えでしたから、内定を蹴ることに何の罪悪感も感じませんでした。

 さて入社した商社ですが、上述したように当時はバブルの末期。その会社も御多分にもれず、実は土地を転がして利鞘を稼ぐことで商売が成り立っており、対中貿易も色々やっていたのですが赤字部門のようなものでした。

 小さな会社です。むろん研修めいたものなどなく、私は入社2日目から先輩に連れられて営業をやらされました。後に香港で真価を発揮することになる「口先三寸」技(笑)はどうやら生来のものらしく、ほどなく1人で動くように命じられました。

 むろん得意先を任されるのではなく、それを自分で見つけてこいという飛び込み営業です。でもこれで海外営業の第一歩を踏み出したのだという喜びがありました。……というのは嘘でして、こんなことをやっていて一人前になれるのだろうかというのが本音でした。「こんなこと」が何かは内緒ですが、あまり誇れる内容のものではありません。あ、もちろん法に背く行為ではありませんでしたけど。

 ――――

 で、繰り返しますがバブルの末期です。そのころには、いわゆるバブル崩壊はたぶん一部では始まっていたのでしょう。その証拠に土地転がしで稼いでいた私の勤務する会社があれよあれよという間に暗転していき、入社後3カ月で倒産してしまったのです(笑)。いや笑い事じゃありません。倒産、あれは実に呆気無いもので、変だな?妙だな?……と気配の微妙な変化に気付いたときにはもうどうにもならず、片目をつぶっていました(1回目の不渡り)。

 その後は営業どころではありません。債権者が押し掛けてくる前に会社の資産である商品やらリースしたコピー機をあちこちに運んで隠す仕事ばかりでした。士気もすっかり落ちて、勤務時間中に再就職先を探したり、終業後は専務とかがボトルキープしている店に出かけてそれを空にするまでみんなで騒いだり。この間のあれやこれやを具体的に書くだけで読みごたえのあるドタバタ劇になるのですがそれは割愛。

 ともあれ私も就職先を見つけなければいけません。営業部長とその得意先であるアパレルメーカーの社長の酒席に呼ばれて、「上海に工場を出すから現地駐在員になってくれないか」と誘ってもらったのですが、そのときは「もう対中貿易は勘弁」という気分がありましたし、中国語を使えるのは嬉しいものの、仕事でその社長に接していて呆然とするような現地の縫製技術を目の当たりにしていましたから、折角ですがと辞退しました。これは正確な選択だったと思います(笑)。

 ――――

 そのうちに新聞の片隅に香港の日系企業の求人広告が出ました。中国語の技術が問われる職種で、それならと思って応募してみました。しかし倒産当時のダラダラ気分が残っていたせいか、面接試験の時間に遅刻する始末。しかも軽い翻訳テストと面接と聞いて案内されたのは大部屋で、いかにも仕事の出来そうな女性や遣り手のビジネスマンといった風情の男性が黙々と翻訳に挑んでいるのです。

 試験は2回に分けて行われたらしいのですが、私のときだけで50人はいました。翻訳自体は鼻歌まじりの楽な文章でしたが、遅刻までした私は競争率の激しさにこりゃもういかん、帰っちまおうかと思いました。

 ところが、これに合格してしまったのです。百数十人受けて採用2名という話なので信じられませんでしたが、これには事情があって、

「中国語も一応できるようだし素直そうでいい(若いころ私が得意とした擬態ですw)。若いから給料も安くて済むし、営業が出来そうだから使えなかったらそっちに回そうと思った」

 と後に社長から直々に聞かされました。仕事に関しては全くといっていいほど期待されていなかったようです(笑)。

 そして7年に及ぶ香港生活(最初で最後の日系企業)がスタートすることになるのですが、意外なことは続くもので、回された仕事が大学時代の専攻と私が関心を持っている分野にドンピシャでした。それで重宝されることとなり、期待されていなかった分だけ過大な評価を受けることとなりました。

 海外に出て来たのに試用期間の3カ月でクビを切られたらどうしよう、と常に不安だったのですが、
「お前はよくやっている」と、正式採用と同時にドーンと給料を上積みしてくれました。それだけではなく、社長に呼ばれて旧正月期間の休暇中に台湾出張を命じられました。何で休み中に仕事?と思ったのですが、

「仕事はしなくていい。エアチケットとホテル代を出してやるからのんびり遊んでこい」

 と豪儀な話です。私はといえば、本当に期待されていなかったんだなあと実感したものです(笑)。

 ――――

 ようやく台湾の話となりました(笑)。1990年代初頭のころです。初日は夜遅くの便で台北入りしてホテルにチェックインして寝ただけで終わったのですが、翌日いきなりガツンとやられました。とは、旧正月ですからレストランなどが軒並み休業していて、ホテルの洋食レストランを別とすれば、あとはマクドナルドとかケンタッキー、あるいはデパ地下といった場所しか食べるところがなかったのです。

 いや、最初のガツンは床屋でした。「先生、要不要舒服?」(気持ちのいいサービスの方もいかが?)というアレではなく、正真正銘の散髪屋です(笑)。驚きました。広東語一辺倒の香港と違って、北京語がそのまま通じるのです、北京語が。……台湾なんだから当然といえばそれまでですが、髪型の注文に加えて、カットしてもらいながら散髪屋のお姉さんと北京語で世間話ができた、ということが例えようのない快感であり、広東語によるストレスが一気に散じられる思いでした。

 そのあとに台湾の新聞でも読んでみるかとコンビニに入りました。入った途端、店員に
「歓迎光臨」(いらっしゃいませ)と言われて再びガツンです。大袈裟でなく耳を疑いました。だって当時の香港のコンビニでそんな挨拶をされることは絶対あり得なかったからです。残念ながら新聞は売り切れていたので何も買わずに店を出たのですが、そこでまた一言、中国語は思い出せないのですが「有り難うございました」と言われたのです。

 衝撃でした。香港なら何も買わない客に聞こえるように「チッ」と舌打ちしてみせたりするのが常識でしたから。どうやら違う、台湾は違うようだということに気付きました。日本と同水準の、マニュアル型の受け答えをこなせるレベルのサービスがしっかり根付いているということです。

 そこでマクドナルドに行きました。ああ、やはり香港と違いました。営業スマイルから始まって最後まで日本同様の応対ぶりです。念を入れてケンタッキーにも行きましたが、やはり同じでした。マニュアルをこなせるのです。そういう店と違い、デパ地下の安っぽい食堂や街角でまれに開いていた豆乳の店などでも香港とは正反対の、客を客として丁寧に扱うことがリピーターにつながって長い眼でみると得、という考えに基づいたサービスが根付いていました。

 あるいはそれはサービスの観念とかではなく、台湾人の対人接触に一種の優しさがこもっていることに起因しているのかも知れません。いずれにせよ、私は社長からの御褒美による台湾出張で得難いものに接することができました。そのときの別種の体験(台湾独立派の新聞記者に会ったり、アマチュア専用のライブ喫茶へ行ったり、そごうの喫茶店で隣席のお姉さんたちを捕まえて色々話を聞いたり、コンビニで『non・no』が売られていて驚いたり)も含め、これが私の台湾観、台湾人観の基礎となったのですが、その後仕事で何度足を運んでも不愉快な目に遭うことがなく、台湾は常に香港生活でストレスが蓄積された私を癒してくれました。

 ――――

 その後歳月が流れ、私が香港・台湾メディアと関わっていたころ、とある台湾の出版社にスカウトされました。副業で書いていた中文コラムを読んで社長が私の物の見方を評価してくれたとのことで、そんな殺し文句を言われたら私も動揺します(笑)。ただそのころは香港とのつながりが深く、仕事も重要な時期にあったのでそのときは辞退し、様々な経緯から数年後に改めて招請を受け、その台湾企業に入りました。

 最初は社長室付の東京駐在員だったのですが、何年かして社長から台湾本社への異動を打診されました。どうにも元気がなく業績も上向かない編集部があるのでそれを建て直してほしい、ということで、いわば再生工場役なのです。もっとも私も台湾出張を重ねていましたから、会社にいくつかある編集部の中でそこだけは手の付けようがないことはわかっていました。

 その編集部だけ士気も低いし、元気もないし、制作レベルも低いのです。ただそれは責任者の問題によるもので、下っ端にも機会をどんどん与えて、じっと我慢して褒めて伸ばすことで自信を付けさせ、その過程で本当に使えない者を整理しつつ外から人を入れて戦力強化すれば何とかなるだろうという目で私は東京から眺めていました。

 ただ営利企業ですからそう長くは待ってくれません。採算を考えるなら盲腸を切るように潰した方がいいだろうと考えていたのですが、他人事ではなくなってしまったのです。潰せばいいのはわかっているが、草創期に会社の柱として活躍したその編集部に思い入れが深いので何とかしてほしい、というのが社長の弁です。

 私はこの社長が好きで、現在に至るまで、この社長ほど英気溌溂としていて人間的にも尊敬に値する、また人生の師とするに足る人物には巡りあっていません。浪花節ですが、最初にスカウトしてくれたときからの恩顧に応えるべく、討ち死に必定であることを承知しつつ異動を受け入れました。

 ――――

 これでまず喜んだのが他の編集部で、着任したところ社内で唯一広東語に通じた人間(笑)と重宝されて、香港からの電話を通訳させられたり、挙げ句は香港誌に載せる広告の広東語コピー作成を頼まれたりしました。「ひとりだけ日本人」状態は相変わらずです。……仕事では苦しいことが多かった割に、頭に浮かぶのは楽しい思い出ばかりです。

 以下はちょっと劇的なのですが、私が赴任して編集部長兼編集長のようなものになり、社長の支持とそれなりのポストであるのをいいことに、かなり無茶な、破天荒なやり方で建て直しと意識改革の手を次々と打つうちに、編集部が生まれ変わったように元気になり、士気も高まって、会議でも開けばみんな下を向いて黙然としていたのが、どんどん手を挙げて積極的に意見を言うようになりました。

 機会を与えられれば嬉しいでしょうし、その仕事ぶりを褒めてやればヤル気も出るのでしょう。その気になれば相応に仕事の質もよくなりますし、それゆえ積極的にもなるもののようです。非常にベタな展開なのですが、現実にこんなマンガみたいなことがあるのかと私自身が信じられませんでした。

 もちろん無茶で破天荒な分だけ秩序紊乱な部分もあるため抵抗勢力による排撃も相当受けたのですが、私はそのたびに白髪を増やしボロボロになりつつ(笑)、辛うじてそれを跳ね返し、編集部を守るという姿勢を崩しませんでした(配下に対する演出・演技という側面もあります。そりゃもう元「漢方医」ですからw)。あるいは、そういう私を間近で見ていたので部下たちが哀れんでついてきてくれたのかも知れません。

 唯一心残りなのは、親が病気になったため1年ばかりで退社して台湾生活を切り上げる破目になったことです。そのため任務も完遂するまでには至らず、社長にも部下にも申し訳ない気持ちがあります。ただ、仕事が忙しくて観光するヒマもありませんでしたが、日常生活で接した台湾人たちはみんな親切で優しく、私の台湾と台湾人に対するイメージは最初のガツンから損なわれることなく、より好もしく強固なものとなりました。

 ――――

 そして楊子削りとなる訳ですが、これは紹介するまでもなく皆さんは一読した御経験がおありかと思います。私は文学というものが苦手で、小説といえば故・司馬遼太郎氏の著作ばかり読んでいましたが、散文に傾くようになってから出た『台湾紀行』は氏の著作のベストテンに入れる価値のある名作だと思います。

 もう一冊の『台湾人と日本精神』は討ち死に覚悟で台湾に赴任する際、何かすがるものが欲しくて愛読書たる『台湾紀行』に加えて選んだのがこの本でした。仕事で苦労するたびに、「日本精神」という言葉に勇気づけられたものです。

 長くなったついでに司馬遼太郎の作品の中で私が最も好きで影響も受けた『峠』も加えておきます。深い部分でヲチの基礎にもなりました。ただ御家人を再生産してもロクなことはありませんから、前途のある真面目な学生さんは万一を考えて読まない方がいいかと思います(笑)。

『ワイド版』 街道をゆく 40 台湾紀行

朝日新聞社

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台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい

小学館

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峠 (上巻)

新潮社

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峠 (中巻)

新潮社

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峠 下  新潮文庫 し 9-16

新潮社

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コメント ( 17 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (90)
2005-12-19 21:25:02
御家人さんの就職当時のお話、興味深いです。いや、活気の溢れる職場(最初の就職先は?ですが)で凄いですね。うちの会社も台湾に工場があります。活気は全然違いますが、中国とは比較にならないよい所です。



司馬遼太郎の台湾紀行ですが、私はこれの中国語版が台湾の本屋で売っているのを見つけ購入しました。でも、その後全然読んでいません。ずぼらです。



中国は近頃とみにおかしくなっていますが、それが台湾にとばっちりが行かないことを祈ります。
 
 
 
華人とは (司馬ファン)
2005-12-19 22:13:04
思わず、クアラルンプールで過ごした十数年前の記憶が彷彿と甦りました。技術指導で降水量のデータを取らせていたとき、記録用のノートを借りたら、その間のデータがない!現地担当者は「だってノートがないもん!」唖然でしたネ。意味も分からず記録してたんですね。その夜、「この国のかたち」を読んで泣きました。僅か数年で郵便制度を作り上げた祖国の侍の話に・・・・。KLの旅行代理店では、女子事務員同士が客の前で笑いながら書類を投げ合っていたのに度肝を抜かれたのも懐かしい思い出です。ベタだなあ・・・



 
 
 
デビューは野太いですね (muruneko)
2005-12-20 00:29:23
御家人さん、



随分と野太い社会人デビューを飾られて居るのですね。安楽な生活を送ってきた私とは比べるべくも有りませんが。



北京での留学生活・香港・台湾のでの話、キラリと光るイイ話が多くて楽しみにしています。



私、中華文化圏には旅行と出張以外で出かけた事有りませんが、USに暫く住んでました。当地にて台湾系数人(Chinese と言わず Taiwanese と呼びます)と友達になり、幾度もご両親交えてパーティ等で歓待して貰いました。



いい人たちですよね>Tainwanese



蛤日族(漢字に自信有りません)の長女に真顔で「台湾と日本は何時か一つの国になったらイイね。」と言われた時には、少し困りましたけど。
 
 
 
Unknown (大暴動と聞くとワクワク)
2005-12-20 01:42:49
1万人の大暴動事件

http://www.epochtimes.jp/jp/2005/12/html/d38476.html



10月16日の事件らしいですが、大紀元では12月19日の記事で取り上げられてますね。

その後どうなったんでしょうか?
 
 
 
Unknown (Unknown)
2005-12-20 02:04:37
なんかこれって台湾人のアイデンティティと似てませんか。なんの前触れなんだろう??

http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=051219163038X315&genre=soc
 
 
 
宣伝工作の一環でしょう (蒼穹如是閑)
2005-12-20 07:35:01
>なんかこれって台湾人のアイデンティティと似てませんか。



恐らく、中国誌に8月に発表された「琉球の主権の帰属は未確定」という論文の意図と、同一線上にある広報活動の一つでしょう。

林泉忠氏のこれまでの主張から鑑みて、アンケートが恣意的に操作された可能性は否定できません。

沖縄独立というより……沖縄を支那にとっての「台湾」と同じ形に分断しようとする勢力が工作を行っているイメージがあります。

♯民主党のマニフェストで、沖縄を一国二制度にしようという内容もありました。



沖縄には沖縄人という、台湾人と似た意識は確かにあると思いますが、

それが、独立方向、二制度方向に向かっているかと言うと疑問です。
 
 
 
微笑ましいお話でした (一読者)
2005-12-20 11:03:13
御家人さんの記事をいつも拝見させていただいて感じるのは、御家人さんの人間的魅力です。

人々は上も下もなく、お互いに相手を観察し評価している訳ですが、御家人さんの発するいろいろなものから、人々が感じるものは【物凄くプラスのもの】だということだと思います。リーダーシップも、人々の笑顔もそこから自動的に生れるものです。

御家人さんの、すばらしい人々とのめぐり合いは、御家人さんご自身が引き出しておられるものだと思います。これからも御家人さん周囲は幸せに包まれて行くものと思います。
 
 
 
Unknown ( )
2005-12-20 11:38:52
>御家人さんの記事をいつも拝見させていただいて感じるのは、御家人さんの人間的魅力です。



私は、御家人さんの台湾に対する深い愛情と中国・韓国に対する強烈なまでの憎悪に、御家人さんの悪魔のような二面性を感じますね。

もっともそれも人間的魅力なのでしょう。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2005-12-20 12:01:36
台湾に対する素直な愛情と中国、半島に対する屈折した愛情だと思います。御家人さんのは。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2005-12-20 12:49:56
>御家人さんの台湾に対する深い愛情と中国・韓国に対する強烈なまでの



うーん私としては、御家人さんには”かつての中国”と”現在の中国”とで

150°くらい(…なにその差30°は?)愛情の差を感じます。



そして半島原住民に対しては、通常は思考外にしてはいるものの

時折無視できない事をしでかしてくれるので

怒りも一層…になるのかと。

(正に「余計な事してくれるなよ!」的な怒り…)



とはいえ、そんな気持ちの中でも分析の平行感覚を維持できるのは流石と思います。
 
 
 
いや~羨ましい経歴で (dongze)
2005-12-20 17:34:44
御家人さん、

いや~大陸留学組の中ではいやはやどうして、いい経歴じゃあないですか!何が羨ましいって中国(大陸)→香港→台湾とシゴトの地を変えることが如何に難しいか、フツーは逆が多いと思いますけど。。。
 
 
 
台湾行きたいな・・ (ddzggcd)
2005-12-20 17:40:15
 北京で留学生活を始めた頃、人も多いし賑やかだったにもかかわらず妙に寒々とした感じがしたのを覚えています。しばらくして、大八車(のような荷物運搬機)に作業員の死体が載せられて工事現場から出てきたのを目にした時、寒々が殺伐に変わりました。

 春が来て六四前のデモが始まった頃、その“殺伐”が街中から消えて、気温とともに一気に暖かさを感じたのですが、結局“殺伐”に逆戻りでしたね。中国人の友人が徒歩で故郷四川省まで逃げていくのを見送った時、この国で生きていくのは悲しいことなんだなぁとしみじみ思ったものです。

 台湾は行ったことがないけれど、きっとこういう“殺伐”や“悲しさ”が街中に漂っていないんでしょうね。御家人さんの文章を読んで行きたくなりました。
 
 
 
感動しました (Harimao)
2005-12-20 18:05:43
つい先日台湾から帰りました。

実は小生も卒業時日中友好商社に入り、その後紆余曲折(転職)し、一時台湾に駐在していました。

その会社も今は無く、社長は行方不明です。



なんていいますが、自分で言うのはなんですが、

我国政府は中国語ができる人材を粗末にしていますね。

そりゃ英語ができるに越したことないけど、

下手に英語堪能な奴ってことアジア関係において

影でなにか言われていても当然わからないし、

現地新聞、雑誌が読めない。

うわべだけの付き合いみたいなんですよ。

まああとは自分の力でやるしかないですが。

あと語学のことを言いましたが、語学だけでは

勿論だめですね。

世渡りと人脈でしょう。



とある韓国語堪能が人物知ってますが、語学だけで一般常識や裏技をしらないから先見えています。

それを周囲、特に年配者がなにか助言してあげても

わかっていない

というかんじです。





 
 
 
Unknown (浦東小僧)
2005-12-21 01:14:33
御家人さんの言う台湾人とは恐らく台湾本土を祖先とする本省人のことだと思います。

少なくとも馬英九や連戦などの外省人ではありませんよね。



偏見はよくないですが、傾向として外省人は

中国寄り、本省人は独立志向だと私はあえて

ぶった切っています。国民党と民進党そのま

まに。。。
 
 
 
みなさんコメントありがとうございます。 (御家人)
2005-12-21 10:22:32
>>90さん

早いもので、元旦の靖国神社でニアミスしてからもうすぐ1年ですね。『台湾紀行』中文版、羨ましいです。私は中文版だと『竜馬がゆく』しか買えませんでした。誠品館書店?でしたか、24時間営業の大手書店がありましたね。店内もゆったりしていて私は好きでした。職場は活気が溢れるというか戦場のようなものです。紙媒体でもデジタルコンテンツでも少人数で制作しますので、ひとりひとりの実力次第。それだけにクリエイター同士のぶつかり合いもあって熱いです。それをまた有機的に結合させないといい作品にならないのですが、みんながまとまってひとつリズムでノリ始めると凄いパワーになります。いまは一人で動いていますからあの神がかったような空気がときに懐かしくなります。



>>司馬ファンさん

物凄い御経験ですね。何と言うか、埋め難い溝、超えられない壁というか懸絶した実力差のようなものにぶつかって呆然とすることは私にもありました。その懸絶した低レベル側の代表者として日本側と接しなければならないときは辛いです。ええ、いまでも辛い(笑)。司馬ファンさんはすでに「思い出」になっているのが羨ましいです。でも客の前で書類を投げ合うというのは想像を絶する光景ですね。全然ベタじゃないですよそれは(笑)。



>>murunekoさん

社会人になりたてで「片目をつぶった」なんて言葉を覚えちゃいけませんよね(笑)。台湾人は親しみやすい上に、価値観を共有できる部分が多いのでありがたいです。そういう国は、東アジアでは台湾だけだと思います。1987年に40年ばかり続いた戒厳令が解除されて、確かそのころ日本の音楽や映画もようやく解禁になった筈です。それから僅々20年で哈日族が陸続と出現するんですから驚きます。オタク文化をはじめとする日本のサブカルチャーも凄いですけど、台湾にしっかりと根付いていた親日の土壌にも目を見張ります。台湾でタクシーに乗ると、ときに全然聞いたことのない日本語の古い歌を流している運転手がいます。戦前の流行歌なんでしょうけど、運転手の年齢からすると親譲りの趣味なんだと思います。



>>一読者さん

人間的魅力なんてそんな御冗談を(笑)。私は留学生崩れです。崩れるくらいですからよほど傾斜した性格、あるいは欠陥人間であることは間違いありません。それからリーダーにも不向きです。部下はやっぱり可愛いものですから、死地に赴かせることができません。それまでは組織といっても仲間のような関係で仕事をしてきたので、台湾では考課表を作成するのにすごく悩みました。あれは辛い作業なのでもう二度とやりたくありません。大枠の中で自分で判断しつつ物事を進められる現在の遊軍めいた仕事環境がやっぱり一番です。



>>Unknownさん

>うーん私としては、御家人さんには”かつての中国”と”現在の中国”とで

>150°くらい(…なにその差30°は?)愛情の差を感じます。

>そして半島原住民に対しては、通常は思考外にしてはいるものの

>時折無視できない事をしでかしてくれるので

>怒りも一層…になるのかと。

全く仰る通りだと自分でも思います。ヲチには観察対象への関心(愛情)がやっぱり不可欠ですから。私の中ではチナヲチと反中共というのはそれぞれ独立した娯楽で、このブログも別に反中共ゆえに書いている訳ではありません(読者が増えれば中共は面白くないでしょうけどw)。現在の中国にはもどかしさと哀れみを感じます。でも私も歳ですから面倒臭くて昔のように構ってやらないだけです。だから関心を持ちつつも、勝手に潰れて勝手に死ねば?と突き放した姿勢になります(笑)。南北朝鮮には全く関心がありません。好きか嫌いかと問われれば、私自身の対鮮人接触経験、それに報道などを通じて伝わってくる基地外っぷりに照らして「大嫌い」と答えます。可視範囲内にはいてほしくないですね。あ、でも当ブログで鮮人ネタをやるとなぜかアクセス数が急増するので、その点は有り難く思っています(確信犯だったりしてw)。



>>dongzeさん

>いい経歴じゃあないですか!

そうなんです。何たって地獄から極楽へ回るコースですからね(笑)。ただ趙紫陽時代までの中国は日本人にとって現在ほど地獄ではなかったように思います。戒厳令下の台湾の方が怖かったかも。



>>ddzggcdさん

私と同じ時期にddzggcdさんは北京にいらしたんですね。イデオロギーのような余計な物を纏っている分だけ中国は空気が重かったのを覚えています。蒋介石時代の台湾も恐らくそうだったと思います。余分なコストをかけて政権運営をしている訳ですからいつか破綻しますよね。中国は巨大であるだけにイデオロギーがいよいよ不可欠なのでしょうけど、現在はさすがに階級闘争なんて言葉も出て来ませんし、資本家も共産党員になれるのですから、一党独裁という大枠はそのままですけど、空気も幾らかは軽くなったのかも知れません。でもその代わりに歪んだ経済成長で狂躁してしまって等身大の自分を見失っているのと、歴代王朝の伝統ともいえる地金が出てきてしまっていますね。台湾は人も優しくて親しみやすいのですが、余計な物を捨てて身軽になった社会の明るさ、これを堪能できるのもたまらないところです。中国や香港から台湾へ行くと本当に極楽です。



>>Harimaoさん

仰る通りです。あの香港でも英語一本で通すのはキツいかと思います。仕事に支障がなくてもローカルの連中との間にどうしても距離ができてしまいます。結局はそれが仕事にも反映されてしまうことになります。語学はできて当然ですよね。現地に行けば5歳児だって立派に喋っていますから。世渡りは私は苦手なのでダメですけど、人脈は本当に資産だと思います。引き抜きとかにしても、引き抜く相手が目的ではなく、そいつが持っている人脈をごっそり頂くために好条件でスカウトしてくる、ということもままありますし。香港でそういうケースをいくつも目にしました。



>>浦東小僧さん

 本省人です。台湾にいたとき部下とダベっていて、ちょっと際どいかなと思いつつ聞いてみたら、やはり外省人への反感のようなものは今もあるようです。ただ外省人も3代目、4代目となれば「土着」していくのではないかと私は思います。国民党政権が復活してもすぐ統一とはいかないでしょう。中共が武力侵攻をチラつかせるので現状維持派が多いだけで、独立してもいいという環境になれば台湾人は間違いなく独立を選択すると思います。楽天的な見方をするなら、現状維持の形が続けば続くほど、中共に対する違和感や台湾人意識が浸透しまた強化されるので、独立派には有利だと私は考えています。

 
 
 
台湾在住していたのは (Harimao)
2005-12-21 16:55:35
御家人さん

レスありがとうございます。

ちなみに小生が台湾在住していたのは

1988-90年ごろです。



ご指摘の通り、”まず英語”とか無礼に言う奴に限ってローカルとうまくできませんよ。



ただし前述韓国語堪能者の様に”世渡り””人脈”というものがわからないのであれば1級保持者でもだめです。



あとですね、どうも韓国好き人間って”韓国の理論、基準”を持って台湾を無理にでも推し量ろうとする。

韓国嫌いな人間をまるで悪人の様に言う傾向があります。

誰だって好き嫌いあるし、育った環境もDNAだって違うんですが。



小生思うに朝鮮半島の人間とそれにかなり影響された日本人って民主とか自由って麻痺する、独裁思考がありますね。





 
 
 
反日国民党は台湾の癌! (Harimao)
2005-12-22 00:04:17
それから反日国民党は台湾の癌です。

さっさと切った方が良い。



参照:

http://www4.rocketbbs.com/14/bbs.cgi?id=Etetsuro
 
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