19人が犠牲になった相模原市の障害者施設殺傷事件から26日で半年。元職員が入所者を襲うという痛ましい事件は、地域との共生を模索してきた障害者や支え手に、今も暗い影を落とす。防犯強化と地域開放をどう両立するか、障害者や施設への偏見をどう取り去っていくか、関係者は悩みながら前へ進もうとしている。
高さ1・5メートルほどのコンクリートの壁を、手にしたハンマーで砕く。昨年8月16日。神奈川県愛川町の特別養護老人ホーム「ミノワホーム」で、そんな光景が繰り広げられた。相模原の事件から1カ月もたたない時期。施設の防犯強化が叫ばれる中、あえて壁を取り払うことに対し、常務理事の馬場拓也さん(40)にためらいはなかった。
壁をなくして地域の人が気軽に立ち寄れるようにするアイデアは、建築家や大学生と半年前から練っていた。2010年、両親が運営するミノワホームにアパレル業界から転身してきた馬場さんがまず違和感を覚えたのが、建物を取り囲む壁や鉄門だったという。
毎年のホームの夏祭りには町民ら800人が集まり、一定の交流はあったが、事件後には職員から防犯面の懸念の声も出た。「外壁を高くして有刺鉄線を張り巡らせたら、相模原事件のような加害者を止められるのか。起きる可能性が低い事件に備えて壁を造るような対策は、入居者の家族が隔離された世界に大切な人を預けることになる」。馬場さんは全職員にメールで考えを伝え、計画を貫く方針を明確にした。
壁を取り払った後の庭には花壇やミニ菜園を作り、しゃれた日よけの下にテーブルとベンチを置いて誰でも座れるようにした。花壇は腰掛けにもなり、菜園は車椅子でも手が届くように腰の高さのテーブル状にするなど、随所に工夫を凝らした。野菜やイチゴなどはすべて地元の人が持ち込んで植えてくれた。
庭は近くの保育所の園児の散歩コースになり、窓越しに入居者との会話も自然と生まれる。今月14日には、地域のイベント会場の一つになった。ここで暮らすお年寄りが窓辺にずらりと並んでイベント参加者を待ち受け、披露されるダンスに笑い声が上がった。
馬場さんは警察官に頼んで、巡回するたびにポストにカードを入れてもらうようにした。道路向かいの24時間営業のガソリンスタンドには「何かあったら教えて」と声をかけた。「セキュリティーとは、隠すことでなく見せること。壁を高くするのでなく、人とのつながりを高める」。それが信念だ。
事件があった「津久井やまゆり園」も、神奈川県が入り口周辺の門や塀を撤去する建て替え構想を示している。一方、安全確保を最優先にと、防犯カメラやフェンスで侵入しにくくしようとしている施設も多い。
60人が入居する岡山県倉敷市の「瀬戸内学園」は、国の補助制度を使い、入り口のゲートや防犯カメラ3台などを新設する予定だ。ゲートは約30年前に地域交流を進めるため撤去していたが、相模原事件で入居者家族から心配の声が上がったという。宮本勇統括園長は「リスクをつぶす上では必要と思う」と話すが、同時に「ゲートがあると、施設が閉じている印象を与える気がしないでもない」と、迷いものぞかせる。【堀井恵里子】
障害者支援、残る偏見
相模原の事件の後、周囲から厳しい目を注がれる施設や支援者も少なくない。
「いろいろ問題が起きてますよね」。昨年9月、東京都内でNPOがうつ病患者らの就職をサポートする事業所の開設を計画したところ、地元住民が相模原事件を暗に示して難色を示した。事件の容疑者に措置入院歴があったことを指摘する住民に対し、NPO側は容疑者が精神障害者かどうかは確定していないことや、障害者が事件を起こす確率は一般の人と比べて高くないことを説明した。
NPO関係者は「通所する当事者に会ってもらったりして理解を得たい」と話す。ただ、地域とのあつれきも生みたくないので、他の場所を探すことも考えているという。
知的障害者と家族らでつくる「全国手をつなぐ育成会連合会」にも、各地の施設や新設計画への風当たりが強まっているとの声が届く。久保厚子会長は「事件後、障害者施設への就職を家族が引き留める例もある」と支援の担い手不足の深刻化を危惧する。中部地方のある障害者施設によると、誰かに恨まれて襲われるのではないかと怖がり、戸締まりに固執する入所者もいるという。
福祉の人材を育成する日本社会事業大(東京都清瀬市)で精神保健福祉などを教える非常勤講師の西隈(にしくま)亜紀さんは昨年9月、こんな経験をした。講義の冒頭で事件に触れ、終了後に感想文を集めたところ、「自分は容疑者のようにならない、と言い切れる自信はない」と不安をのぞかせる学生がいた。
自身でも精神障害者のグループホームを運営する西隈さんは、事件の容疑者が元職員だったことや、施設内での高齢者や障害者の虐待が後を絶たないことが、福祉を志す若者の不安の背景にあるのではないかと推し量る。次の講義の時、学生を励ました。「そう意識しているなら大丈夫。働き始めて不安になったら、周囲に相談して」【熊谷豪】
「共生」の理念、明確に 厚労省、基本指針見直しへ
相模原事件は、障害者を病院や福祉施設に閉じ込めるのではなく、健常者とともに暮らす社会への移行を掲げてきた政府にとっても大きな打撃だった。厚生労働省は施設の安全を強化する一方、それが高じて交流を遮断しないよう、障害者の地域での生活を後押しする方針を打ち出している。
厚労省の検討チームが昨年12月にまとめた再発防止の提言では、容疑者の障害者への偏見と差別意識が背景にあるとみて「個性を尊重し共生できる社会の実現」を掲げた。自治体に策定が義務づけられている障害福祉計画について、国は従来も一般住宅で生活するグループホームの充実や計画策定過程での地域参加を求めていたが、事件を踏まえて「共生」の理念がより明確になるよう基本指針を見直す予定だ。
一方で、事件で浮上した防犯面での「脇の甘さ」も是正するため、昨年9月に防犯カメラや補助錠などのチェックリストを作成して確認を求める通知を出し、補正予算で防犯設備への補助金118億円を計上した。ただ、通知の中では「利用者が地域に出て、住民と顔の見える関係作りをすることが極めて重要」と、交流の必要性も強調している。