難民と日本 「未来描く手助けを」「余裕あるのか」
シリア難民の受け入れが世界的な課題になっています。難民を巡っては、欧州や中東、日本国内の出来事を「難民 世界と私たち」として随時掲載しています。日本に暮らす難民申請者の姿に、特に多くの反響が寄せられています。わたしたちは難民とどう向き合っていくべきなのか、集まった意見をもとに考えました。
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「難民 世界と私たち」では、9月28日、3年前に来日し、難民認定を求めながら幼子を抱えて暮らすシリア人一家の暮らしや思いを紹介。「一家を支援したいので連絡先を教えてほしい」などのたくさんの反響が寄せられました。
また、緒方貞子・元国連難民高等弁務官が、今の日本の難民受け入れについて「物足りない、の一言」「島国根性でやっていけるのか」と提起したインタビュー記事にも、様々な意見をいただきました。パリの同時多発テロを受け、特にシリア難民を取り巻く状況は厳しくなっていくことが考えられます。これからも、母国を逃れ、世界や日本で生きる人々の姿を伝えていきます。
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「こんなにも近くにいるのに、彼らの孤独な状況を黙って見ているわけにはいきません。子どもの心のケアや学習支援をしたい」
母国から日本に逃れ、埼玉県で難民認定を待つシリア人一家に関する記事が東京本社版に掲載された9月28日、こんなメールを送ってくれたのは、東京外国語大2年の青木優奈さん(19)です。大学でアラビア語を専攻し、所属するサークルでは、シリアで日本語を学ぶ小学生らとスカイプで交流しています。
青木さんは子ども時代、「イスラム」に偏見を持っていたといいます。生まれ育った埼玉県川口市は、隣の蕨市とともに、トルコ系クルド人が多く住んでいます。地元の中学にも毎年のようにクルド人の子どもが入学してきます。言葉や文化の違いからクラスになじめず、不登校になる子も多かったそうです。青木さんも、耳にピアスをした同級生に「カッコつけて」と距離を置いたり、夜遅くに家族で出歩く姿に「素行が悪い」と思ったりしました。
ただ、ある時「世界でこれほどたくさんの人が信じている宗教ってどんな魅力があるのだろう」とイスラム教に関心を持つようになり、今年8月にはヨルダンに短期留学をしました。青木さんはそこで、中学時代の「誤解」に気付くことになります。中東では、女の子は生まれた時にピアスをすることや、夜遅くまで家族がお茶をする生活習慣があることを知りました。「文化の違いを正しく認識するのって難しいと改めて感じました」
青木さんは、今のシリアでは子どもや若者が自分の未来を描けないと感じています。「日本では若者が『やりたいことが見つからない』と言っているけど、そんなことを言えることすら幸せなんだ」。命懸けで逃げてきた人たちが、何とか暮らしていけるように、国や地域が何ができるか考えてほしい。「それが、先進国のつとめだと思います」
兵庫県尼崎市の田辺訓正さん(72)は「大震災の時は多くの日本人に加え海外の人がボランティアで支えてくれた。困っている人がいれば支え、他者への思いやりを大切にできる国であるべきだ」と言います。一方で、「日本に来ても受け入れ態勢が出来ていなければ孤立してしまうかもしれない」として、「例えば中東に進出している民間企業に中東からの難民を雇用し、給与の一部を国が負担してはどうだろう」と提案しています。国だけではなく、社会に何ができるか、一人ひとりが具体的に考えることが必要だと感じたそうです。
難民受け入れには難題が多いとの意見も多く寄せられました。
東京大大学院で緑地計画を学ぶ研究員の新保奈穂美さん(28)は「外国人の割合が高い大学内でさえ、日本人学生と留学生・外国人教員との交流はスムーズとは言えない」と感じています。異なる文化的背景を持つ人と接する機会の少ない日本で「準備もないまま難民を受け入れたら、衝突が生まれる可能性がある」という意見です。
新保さんは、都市の空き地を住民が野菜や草花を育てながら交流する場として活用できないか研究しています。欧州諸国では、移民や難民と、元からの住民との「コミュニティーガーデン」(交流の場)としての役割を果たしているそうです。
「国際的な立場や人道的な見地から、難民は受け入れた方がいいとは思いますが、政府が難民受け入れにかじを切ってから準備をしていては大変です。異文化の人との共同作業を通じて、少しでも理解し合える場を用意した方が良いと思います」と話してくれました。
また、東京都に住む非常勤地方公務員の女性(54)は「頭では難民を受け入れるべき、と分かっていても、実際に電車の隣の席にどこの国か分からない人が座っていたらイヤだろうなあ」とのメールを寄せました。勤務先の最寄り駅にいるホームレスの姿を見るたびに、「ただでさえ、お金も家もない人や、ネットカフェ難民と呼ばれる若者がいるのに、本当の難民が来たらいったいどこに住むと言うのだろう」という疑問を抱くそうです。
「東日本大震災の被災者も仮設住宅に住んでいる日本で、難民を受け入れる余裕はあるのか」(茨城県の40代男性)という意見もありました。
神奈川県内で約25年間、ボランティアで外国人向けの日本語教室を開いてきた女性(65)は「安易に難民を受け入れるべきではない」と話します。「言葉だけでなく、日本の文化や慣習、日本人の考え方も合わせて教えないと、日本社会に溶け込むのは難しい」と感じるからです。
一方、難民の身元チェックは大丈夫か、受け入れ先でテロが起きないかと心配する声もありました。パリ同時多発テロの余波で、こうした声が増える可能性もありそうです。
■早稲田大国際学術院教授・川上郁雄さん
戦後の日本は、祖国へ戻れず日本にとどまった韓国・朝鮮人などを、どのように「管理」するかという発想で対応しました。今の入国管理行政も、基本的な発想は変わっていません。
1980年代に受け入れたインドシナ難民にしても、「第三国定住制度」という新しい枠組みで受け入れたミャンマー難民にしても、欧米諸国に比べればきわめて限定的。受け入れに積極的とは言えません。人々は難民を身近に感じる機会が少なく、認識も深まっていません。
日本政府は難民条約に基づいて極めて厳格に審査しています。ですが、条約の定める「迫害を受ける恐れ」を、命懸けで逃げて来た人が客観的な証拠として出すことは難しい。国際社会は人道的な立場から彼らに庇護(ひご)を与えています。その基本は人権意識です。
日本政府は「人道的配慮」として在留資格を与えています。しかし、難民と認められれば受けられる日本語学習や職業訓練など定住支援を受けられない状態のまま留め置くことを果たして「人道的」と言えるのか。いま問われているのは日本社会の人権意識なのです。
■難民を助ける会会長・柳瀬房子さん
シリアの難民が世界的課題となるなかで、日本政府も早期に一定の数の受け入れを表明し、ビジョンを示すべきだと思います。
一方、難民認定の数が少ないことから、日本を「難民に冷たい国」と呼ぶ向きがありますが、数の問題ではありません。文化的にも地理的にも遠い日本への定住希望者は多いとは思われず、日本社会も急に大勢の方々を受け入れられる態勢にはないでしょう。
むしろ、数は限定的でも、シリアや周辺にとどまっている病気の人や障害者、その家族を率先して受け入れ、国立病院などで医療を提供するのも日本らしい役割だと思います。
私は、日本への難民申請が不認定となるなどして異議申し立てをした人たちの話を聞いて法務省に意見を言う「参与員」を10年間つとめています。彼らの多くは就労目的で、条約上の「難民」とは言いがたいのが現状です。そんな中で、ただ「認定数を増やせ」というのではなく、認定はできなくても、人道的な観点から保護すべき人は保護するとともに、彼らの日本語教育や就労のサポートに、国も地域も重点を置くべきではないでしょうか。
■ご意見をお送りください
メールや電話で寄せられた約40件のご意見からは、賛成、慎重と立場は違っても、難民受け入れをどうするか、真剣に向き合おうとする気持ちが伝わってきました。「受け入れる前に、社会に溶け込めるための準備が官民ともに必要だ」といった提案もいただきました。
「日本には難民を受け入れる余裕などない」といった意見も寄せられました。パリ同時多発テロの犯人が難民危機に乗じて欧州に入った可能性が浮上し、欧州で難民受け入れに慎重な声も強まっています。こうした声の背景も取材したいと思います。
来年の1月ごろには、難民だけでなく、外国人労働者の受け入れ、外国人と共生する社会のあり方などを「隣の外国人」(仮題)としてフォーラム面でみなさんと一緒に考えます。ご意見をぜひ、下記にお送りください。(今村優莉、市川美亜子)
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難民と日本、さらに外国人と共に生きる社会についてのご意見を募集します。
asahi_forum@asahi.comメールするか、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「隣の外国人」係へ。
2015年11月23日 朝日新聞デジタル