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ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

障害者の就職率87・2%、個別訓練で能力育成 所沢の「職リハ」

2015年07月02日 02時25分53秒 | 障害者の自立

 87・2%―。障害者の職業訓練と就職支援を専門に行う「国立職業リハビリテーションセンター(職リハ)」(所沢市)の就職率は極めて高い。1979年の開所から今年5月末現在で、修了者4849人のうち4229人が職に就いた。障害者雇用の重要性が叫ばれる中、1年間にわたるきめの細かい訓練とサポートを通じて、障害がある入所者の就職を後押ししている。

 ■企業ニーズに対応
 
 職リハは厚生労働省が設置し、独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構が運営。全国から障害者を受け入れている。出身地別では東京都と埼玉県で7割以上を占めるが、北海道や東北地方から来る入所者もいる。同様の施設として、岡山県に「国立吉備高原職業リハビリテーションセンター」がある。
 
 時代の変化に応じ、企業ニーズに合った職業訓練を実施。現在は「メカトロ系」「建築系」「ビジネス情報系」「職域開発系」の4訓練系で計11訓練科・20コースを設け、年間約200人を受け入れる。
 
 入所希望者は基礎学力検査や適性検査、面接などを経て、入所の可否が判断される。訓練は原則1年間。1時限50分で平日6~7時限、計1400時限に及ぶ。個別のカリキュラムに沿って行い、ビジネスマナーや職場をイメージした実践的な訓練も取り入れている。費用は教材費や作業着などの実費を除き、基本的にかからない。
 
 ■高い就職意欲

 「事務職系の仕事を希望している。親を安心させて、自立した社会人になりたい」。昨年11月から職域開発科オフィスワークコースに通う佐藤祐太さん(25)は、再就職への意気込みを語る。

 昔からコミュニケーションが苦手だったという佐藤さんは、新卒で印刷会社に入社して半年後、広汎性発達障害と診断された。半年経過を見て、主治医から社会生活上制限があると言われ、会社と相談して退職。その後、障害者職業センターの紹介を経て、職リハに入所した。

 「同じ障害がある人たちと交流し、悩みを分かち合えたことで、自信を取り戻すことができた。訓練は自分のペースでコツコツと進められ、指導員にも相談しやすい。毎日がとても充実している」と笑顔を見せる。

 重度の視覚障害がある泉人(いずみ・ひとし)さん(49)は、40歳を過ぎてから症状が悪化し、勤めていた自動車部品メーカーを退社した。

 昨年10月から職リハに入所し、OAシステム科の視覚障害者情報アクセスコースに所属。画面の文字や数字を拡大するソフトや音声化するソフトを活用して、エクセルなどの習得に励んでいる。

 「再就職に向けて学べる環境を与えていただき、本当にありがたく思う。訓練を積めば、資料の作成もできるようになる。もう一度、ものづくりの会社で働きたい」。泉さんの表情は明るい。

 ■進む障害者雇用

 障害者の就職件数は、企業の社会的責任(CSR)や法定雇用率の引き上げ、労働力人口の減少などを背景に、増加傾向にある。埼玉労働局によると、県内のハローワークを通じた2014年度の就職件数は前年度比6・1%増の3155件に上り、5年連続で過去最高を更新した。

 障害者雇用への関心が高まる中、職リハでは本年度から毎月1回(第3火曜日)、入所希望者を対象に見学説明会を実施。8月2日には、訓練体験会「職リハオープンキャンパス」も初めて開催する。

 14年度の就職率は92・9%と9割を超えた。定着率が高いのも特徴で、就職後6カ月で9割以上を維持している。上市貞満所長は「就職率と定着率は、訓練を受けていないケースと比べて倍近く高い。障害のある方も企業の方も、ぜひ利用してほしい」と呼び掛けている。問い合わせは同センター(04・2995・1201)へ。

                                                               

視覚障害者情報アクセスコースで、画面拡大ソフトを活用して数字を入力する訓練      本年度から毎月1回開催している見学説明会

 2015年6月30日(火)    埼玉新聞


長崎モデルの明暗(3)

2015年07月02日 02時15分42秒 | 障害者の自立

「障害者は天使みたいにかわいい」タブー視された「犯罪」 58人の〝父親〟の矜恃

 「ろうそくのように身を焦がし、日の当たらない障害者に光を届けたい」

 社会福祉法人「南高愛隣会」(長崎県雲仙市)の前身に当たる福祉施設「コロニー雲仙」は、田島良昭前理事長(70)がそんな信念のもとに開設した。昭和53(1978)年、33歳のときだ。

 小学生の頃から障害者福祉に関心を持ち、厚生大臣(当時)になることを夢見ていた。政治家の秘書にもなったが、政治よりも現場の方が志を遂げられると決断したという。

 開設までには3年8カ月を要した。地域住民から「障害者は危ない」などと猛反対されたからだ。特別支援学級の教師を主人公にした映画の上映会を開き、「障害者は天使みたいにかわいい。犯罪者はいない」と必死に理解を求めた。

 もちろん、それは建前だった。健常者と同様、障害者にも犯罪を繰り返す者はいる。当時はそんな「累犯障害者」を黙って受け入れるのが全国の福祉関係者の矜持(きょうじ)であり、口にすることはタブーだったという。

 処遇が難しい障害者のそばにずっといられるよう、施設で寝泊まりし、身寄りがなければ保護者になった。現在は58人の〝父親〟だ。「愛情や奉仕といった『情』で救ってあげようと思っていた」と田島前理事長は振り返る。

「獄窓記」の衝撃

 「収容者たちが抱える障害は、実に様々(さまざま)だった」。秘書給与詐取事件で1年2カ月間、獄中で過ごした元衆院議員、山本譲司氏(52)は平成15年、著書「獄窓記」(ポプラ社)で刑務所の実態を明かした。

 これに衝撃を受けたのが、田島前理事長だった。累犯障害者をひそかに受け入れてきた現場感覚で、刑務所にあふれているとまでは思えなかったからだ。

 試しにある刑務所に問い合わせると「障害者は一人もいない」と回答された。真偽を確かめるべく、翌16年に勉強会を発足させた。

 18年に厚生労働省の科学研究費を得て本格調査を進めると、法務省が受刑者410人に知的障害の疑いがあると初めて公表した。中でも問題は、療育手帳の所持者がわずか26人(6%)という現実だった。

 「94%はいわば『幽霊』。このまま社会に出れば、パスポートなしで入国するようなものだ」。事態の深刻さを理解した田島前理事長は、以後、累犯障害者を積極的に受け入れていく。「情」の福祉の真骨頂だった。

負担増加の果て

 検察や弁護士らと連携する「長崎モデル」の礎はこうして築かれた。一方で「情」に溺れた結末が、県が認定した計23件の虐待行為ではなかったか。

 確実に増していた職員の負担。5年ほど前から「南高愛隣会は仕事が厳しい」という風評が立ち、就職希望者が減っていた。長男の光浩理事長(40)は「若い職員は『身を焦がせ』というお父さんの言葉を理解できない。1日8時間労働の中で支援すべきだ」と苦言を呈していた。

 田島前理事長は言う。 「一生懸命『情』を尽くせばだれにでも福祉はできる、という幻想がまかり通っていた。理性や知性で対応する福祉に変えることは、私にはできなかった」

 新規利用者の受け入れ停止を命じた行政処分の後、施設を利用している障害者の家族らは「追い出されるのか」と不安を募らせ、福祉関係者には「南高愛隣会で受け入れられない障害者は、うちには無理だ」というあきらめが渦巻いた。

 それでも、問題の責任を取る形で、田島前理事長は法人の理事と福祉施設の全役職を辞任した。

 福祉にとって、本当に「情」は不必要なのか。   

累犯障害者への支援について語る南高愛隣会の田島良昭前理事長=長崎県雲仙市

2015.7.1    産経ニュース



障害者施設で“暴行”逮捕 元職員を処分保留で釈放

2015年07月02日 02時10分33秒 | 障害者の自立

 山口県下関市の障害者支援施設で利用者に暴行を加えたとして逮捕された元男性職員について、山口地検下関支部は30日、処分保留として釈放しました。

 処分保留となったのは障害者支援施設「大藤園」元職員の35歳の男性です。元職員は去年2月、施設内で知的障害者の男性に暴言を浴びせ、頭を3回平手打ちしたとして暴行容疑で逮捕されました。山口地検は、処分保留の理由について、「施設は再発防止に努めていて、利用者など関係者も期待しているのでよく見極めることとした」とコメントしています。

(06/30 20:00)   テレビ朝日



視覚障害者ランナー・道下選手、防府市長を訪問

2015年07月02日 02時06分17秒 | 障害者の自立

 防府読売マラソン大会でも活躍している視覚障害者マラソンランナー、道下美里選手(38)が29日、防府市役所を訪れ、出場が有力になっている来年のリオデジャネイロ・パラリンピックなどへの思いを語った。

 道下選手は下関市出身で福岡県太宰府市在住。2年連続で防府読売マラソン大会に出場し、昨年は2時間59分21秒と日本記録を更新。4月に英国で開かれた国際パラリンピック委員会主催の世界選手権では3位となり、「日本盲人マラソン協会」はリオ・パラリンピック代表の推薦順位1位に内定した。

 この日、松浦正人市長から「防府読売マラソンを盛り上げてもらって感謝しています。今後も頑張ってください」などと激励を受けた道下選手は、報道陣の取材に対し、リオ・パラリンピックについて「夢の舞台。(出場が決まれば)悔いのないレースをしたい」と語った。

2015年06月30日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

パラリンピックなどについて思いを語る道下選手

パラリンピックなどについて思いを語る道下選手


「国連でのロビー活動」その2―ハンセン病と障害―

2015年07月02日 01時55分58秒 | 障害者の自立

ハンセン病の障害者は、エチオピアや日本財団が支援するインド、インドネシア、ブラジルを除くと世界的には未組織状態であり、日本財団と笹川記念保健協力財団は、一カ国でも多く組織化したいと努力をしているところである。

この度『障害者インターナショナル』のアビディ会長より、「ハンセン病の障害者も『障害者インターナショナル』に加盟しないか」との暖かい協力の申し出をいただいた。

第8回国連障害者権利条約締結国会議がニューヨークの国連本部で開催中に、ロビー活動を兼ね、初めての会議を開催した。

以下は私のスピーチです。
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第8回国連障害者権利条約締約国会議サイドイベント
「ハンセン病と障害〜Voices of People Affected by Leprosy」

2015年6月10日

於:ニューヨーク国連本部

本日は、ハンセン病と障害というテーマで初めてイベントを開催することができることを嬉しく思っております。

このサイドイベントを通じて、障害者とハンセン病患者・回復者それぞれの声を結集し、互いに連携を深める可能性を見出すための貴重な機会となることを願っています。

私が「障害者インターナショナル」(Disabled People’s International:DPI)のグローバルチェアのアビディさん(Mr. Javed Abidi)と出会ったのは3年前、私たちがハンセン病の人権に関するシンポジウムをインドで開催した際に、アビディさんが参加してくださったことがきっかけでした。

冒頭のビデオでもありました通り、ハンセン病は人類の歴史の中で最も過酷な差別を伴う病気として知られています。今は治療法も確立されており、確実に治る病気となりました。しかし、治療をせずに放っておくと症状が進行し、手足や顔などに障害を負うことがあります。このような障害が原因で、長い間、業病あるいは天刑病などと誤解され、人々に恐れられてきました。

ハンセン病回復者の中には、病気の後遺症として負った重い障害により、様々な場面で社会活動に参加できない人々がいます。また、十分な教育を受けられない人もいます。就職できない人も多く、なかには物乞いで生計を立てることを余儀なくされる人もいます。

私は世界保健機関(World Health Organization:WHO)からハンセン病制圧大使、日本政府からハンセン病人権啓発大使を拝命し、ハンセン病に伴う差別の撤廃やハンセン病患者・回復者の生活の向上のための活動に取り組んでいます。

インドでの会議はアビディさんが初めて参加したハンセン病の会議でした。彼は、その会議の場で、「原因は何であれ障害を負った者同士、共に何かできるのではないか」と、DPIとしてハンセン病患者・回復者と障害者との連携を強化することを強く提案してくださいました。

アビディさんからの提案は非常に心強く、たとえ状況は違っても、DPIが目指すものとハンセン病の問題について取り組む私たちが目指すものは非常に近いということを再認識することとなりました。

ハンセン病コミュニティも障害コミュニティも、誰も疎外されることのないインクルーシブな社会をつくっていくことを目標にしています。その目標に向かって、私たちは各国政府の政策改善や当事者の生活改善のための活動に取り組み、成果を上げてきました。

それぞれのグループの人権に対する活動に関していえば、障害者については、2006年に国連総会で「障害者権利条約」が採択され、ハンセン病については、2010年に国連総会で「ハンセン病差別撤廃決議」が採択されました。

こうした大きな前進を遂げて以来、障害者もハンセン病患者・回復者も、徐々に政策の改善が見られるようになりました。しかし、世界中の当事者の方々の生活に目を向けてみると、真にインクルーシブな社会を実現するためには、まだまだ長い道のりが続いています。

昨年、DPIと日本財団は、障害者とハンセン病患者・回復者との連携を強化する事業を新たに立ち上げました。詳しくは後ほどお話があると思いますが、例えばインドでは、アビディさんとインドのハンセン病当事者団体の創設者であるゴパールさんのイニシアティブのもと、互いの活動に協働して取り組む可能性を探りはじめています。インドの例のように、これまで別々に活動していた障害者とハンセン病患者・回復者が連携していくことを見据えて動きはじめた国もあれば、エチオピアのように、DPI加盟団体である障害者団体とハンセン病患者・回復者の団体の連携がすでに進んでいる国もあります。

一方、そもそも当事者団体がない国もあります。ハンセン病患者・回復者の声を社会に届けるためには、今後、当事者団体の設立が検討されるべきでしょう。

国によって状況は異なりますので、皆さまには、それぞれの国の状況にあった解決策を模索していただきたいと思います。その際、障害の原因を限定せず、障害当事者とハンセン病当事者が連携できれば、互いの人権についての主張をより大きなものにしていけるかもしれません。

このイベントが障害当事者とハンセン病当事者の協力関係構築のきっかけとなれば大変嬉しく思います。

最後に、このイベントの開催をサポートしてくださった国連の皆さま、エチオピア、日本、フィリピン政府代表部の皆さま、このようなすばらしい機会を用意してくださったDPI会長はじめスタッフの皆さま、会議期間のお忙しい中ご参加くださった会場の皆さまに心より感謝申し上げます。そして、この会場に足を運んでくださり、貴重な声をお聞かせくださるハンセン病回復者であり、私のよき友人でもあるラミレスさんとゴパールさんに厚く御礼を申し上げます。

約100人の方が出席してくださった    2015年6月10日    於:ニューヨーク国連本部