昔は、ふつうの家には、電話がなかった。
昭和の中ごろまでは、電話があるのは商家かお金持ちの家と決まっていた。
電話のあるお金持ちは、そのあたりの人たちにかかってくる電話を取り次いで貸してあげるのが普通のことだった。
これを「呼び出し電話」といった。
履歴書などには(呼)と書いて赤の他人の電話番号を記していたのだから、いま考えれば、あきれた話である。
○○さあ~ん、電話ですよ~、
ありがとうございま~す、と数軒先まで、どちらもが走って行くのである。
だから、テレビが我が家に来たときも、電話を我が家に引いたときも、とても晴れがましく嬉しかった。
つい十年ほど前までは、各家庭の電話はおもに居間あたりにあり、誰かにかかってくると、家族みんなが聞き耳たてているところで喋らないといけなかった。
場所や時間などを約束していると、ははん、あそこへ行くのだなとか、あの人と会うんだなとか、家人の行動はおよそ知れたものである。
風子ばあさんの息子がはじめて携帯電話を買ったとき、彼の携帯がテーブルの上で鳴った。
たまたま彼は洗面所かどこかへ行っていたので、傍にいたばあさんが、モシモシと出たら、あとで息子からえらく怒られた。
携帯は、本人しか出たらいけないものだとは、この時まで知らなかった。
今は固定電話、と、わざわざ「固定」をつけるけど、これにも子機というものがある。
子機をそれぞれの部屋に持って入れば、どこへかけているのか、誰と話しているのかわからない。
昔……といってそれほど大昔というわけではないのだけど。変われば変わったものである。
昭和の中ごろまでは、電話があるのは商家かお金持ちの家と決まっていた。
電話のあるお金持ちは、そのあたりの人たちにかかってくる電話を取り次いで貸してあげるのが普通のことだった。
これを「呼び出し電話」といった。
履歴書などには(呼)と書いて赤の他人の電話番号を記していたのだから、いま考えれば、あきれた話である。
○○さあ~ん、電話ですよ~、
ありがとうございま~す、と数軒先まで、どちらもが走って行くのである。
だから、テレビが我が家に来たときも、電話を我が家に引いたときも、とても晴れがましく嬉しかった。
つい十年ほど前までは、各家庭の電話はおもに居間あたりにあり、誰かにかかってくると、家族みんなが聞き耳たてているところで喋らないといけなかった。
場所や時間などを約束していると、ははん、あそこへ行くのだなとか、あの人と会うんだなとか、家人の行動はおよそ知れたものである。
風子ばあさんの息子がはじめて携帯電話を買ったとき、彼の携帯がテーブルの上で鳴った。
たまたま彼は洗面所かどこかへ行っていたので、傍にいたばあさんが、モシモシと出たら、あとで息子からえらく怒られた。
携帯は、本人しか出たらいけないものだとは、この時まで知らなかった。
今は固定電話、と、わざわざ「固定」をつけるけど、これにも子機というものがある。
子機をそれぞれの部屋に持って入れば、どこへかけているのか、誰と話しているのかわからない。
昔……といってそれほど大昔というわけではないのだけど。変われば変わったものである。
電話のある家も、「○○さ~んお電話ですよ」
と呼び出しに行くのを当然と思っていた時代でしたね。
家の者ばかりではなく、
隣近所の出来事まで知っている時代だったなんて、
今では信じられませんが。
呼び出してあげたお宅のひとは、
全部聞こえていても、聞こえない顔して
他言はしなかった、それが暗黙のルールだったような気がします。
それをべらべら喋るようだと世間から笑われました。ああ、世間様という言葉も懐かしい言葉になってしまいました。