机の上

我、机の上に散らかった日々雑多な趣味(イラスト・劇画・CG・模型・HP・生活)の更新記録です。

007 劇画より愛をこめて

2022-11-23 20:23:33 | 映画の味方
 当時のプロが描いた宣材ポスターのイラストをベースに劇画で描きたかったのだが、いまいち昇華仕切れてはいない。これはこれとして次に掛ける事とする。

 ボンドの顔はさいとうたかを先生のボンドを意識したのだが、これもまた中途半端かもしれない。さいとう先生と見まがうほどの画風にしたっかた。

 さいとう先生は、この映画を観た帰り道に、是非に劇画化したいと思ったそうだ。版権の問題やら色々と困難だろうとあきらめていた。

 その矢先に小学館から連絡が入り、007を劇画化しませんかとの申し込みに、願えば叶うものなのだと感涙したそうだ。

 1964年、映画公開とほぼ同時期に劇画007は雑誌ボーズライフに連載開始される。あの頃は一冊150円の雑誌が宝物だった。


部分 ロバート・ショウ

2022-11-23 07:21:34 | 映画の味方
 ロバート・ショウ。この方の映画は当時、劇場で沢山観た。その中でも一番は「バルジ大作戦」だ。

 ヨーロッパ戦線も末期、連合軍への巻き返しを狙うドイツ軍。戦車隊の隊員は皆、幼顔の少年達であった。

 戦車隊長のロバート・ショウはその隊員達を激励する。自分達を鼓舞する為に歌を唄う少年兵、その有様は悲しいシーンであった。

 映画「007危機一発」でのロバート・ショウは刑務所上がりの犯罪者、冷血な殺し屋を演じているが、当の本人は小説や脚本も書く才人とある。

 映画「ナバロンの嵐」の公開時、残念ながらロバート・ショウはこの世を去っている。まだ五十一才であったとある。

部分 ロッテ・レーニャ

2022-11-23 05:15:42 | 映画の味方
 ロッテ・レーニャ。「007危機一発」が映画出演三作目とある。戦前は舞台中心に活躍したともある。マイナーな女優だが、この一作で記憶に残る女優の一人となった。

 絵はそのラストシーンだ。手駒を失って御大自ら、王手と活きたいところだが、この映画、ファーストシーンがチェスで始まるから言うわけじゃないが、婆さんの足蹴りはどう見ても歩だ。

 朝のホテルの一室で婆さんが銃殺された。次のシーンはどうみてもパトカーが駆け付けて、取り調べだろう。なのに鳩が飛びベニスのゴンドラの上でキスシーンだ。やはりこの映画はファンタジーだ。

 余談だが、娘夫婦が新婚旅行でイタリアに行った。このラストシーンの風景をバックに写した娘夫婦の写真や動画等を見せてもらった。見て何故だが感動のあまり涙が出てきた。

 そして、あのマット・モンローの歌声が耳元で鳴り響いてきた。いいなあ。いいなあ。娘夫婦が画面で笑っている。イタリアに行けていいなあ。そして、映画っていいなあ。

部分 ダニエラ・ビアンキ

2022-11-23 02:27:32 | 映画の味方
 ダニエラ・ビアンキ。欲のない女性のようである。早々に映画界から引退している。当時はスパイ映画が花盛りで、多くの亜流のスパイ映画が量産されていた。その加勢の中、一、二本ほど彼女の主演作を観た。

 観たという記憶だけで、今となっては内容も題名も憶えていない。お茶らけたコメディタッチの作品だったような気がする。スパイ映画などと銘打っても緊迫感のかけらも無く一種のファンタジーだった。

 今、ヒッチコック映画を観ている。「北北西に進路を取れ」「知りすぎた男「泥棒成金」「めまい」と来ている。なるほど、「007危機一発」は前作の「007殺しの番号」を含めてヒッチコック映画にティストが似ている。

 ちなみに「泥棒成金」「北北西に進路を取れ」のケイリー・グラントは当時の007のボンド役の候補のひとりであったし、ショーン・コネリーもまた「マーニー」というヒッチコック作品に出演している。

 昔のテレビの洋画劇場でヒッチコック作品は一通りは観ているのだが、この歳になると、すっかり忘れている。もう一度、おさらいをしてみよう、という今日この頃であるが、こうして文を綴っていても映画の題名や出演俳優の名前が出てこない。苦笑の日々である。