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川端俊一氏(朝日新聞)講演

2016年12月16日 | ニュース
 15日(木)、多忙で余裕はなかったのだけれど、義務として出席せざるを得ない。
 それはそれとして、あまりにもタイムリーだ。オスプレイ墜落の重大事故が起きたばかりで、しかも、その報道を巡ってはさまざまな議論が各所で沸騰している真っ最中である。


 
川端俊一 1960年北海道赤平市生まれ。早稲田大学を卒業し、1985年に朝日新聞社入社。長崎支局、西部本社社会部を経て、1994年、交流人事で沖縄タイムス社へ。1995年、朝日新聞那覇支局員としてアメリカ兵による「少女暴行事件」を取材し、1997年からは東京本社社会部で基地問題、防衛問題などを担当。2011年、東日本大震災直後から、被災地・宮城県で石巻支局長。2013年から社会部。共著書に、『沖縄報告―サミット前後』『新聞と戦争』『新聞と昭和』『闘う東北』など。2015年10月から2016年2月まで、朝日新聞紙上で連載「新聞と9条-沖縄から」を執筆。
 
 おおかたの話は著書『沖縄・憲法の及ばぬ島で』に沿った内容だったが、特にここで紹介しておきたいのは、2004年に沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件報道である。
 当時(2004年8月14日付)の新聞コピーをいただいた。
 

 

 
 上は『朝日新聞』西部本社版(北九州市)、下は東京本社版である。
 米軍ヘリ墜落事件は現在でも米軍基地被害の象徴の一つとして語り継がれる重大事件なのだが、何と、この日の1面トップは読売巨人軍のスカウト問題であった。
 「ヘリ墜落は人命に関わる大問題、それに比べて巨人軍のスカウトが引き起こした事件など、野球ファンでなければほとんど興味がない。なのになぜ1面トップなのだ」と川端さんはかなり噛み付いたらしい。しかし編集長は、「なぜ」の問いに具体的な理由もなく、巨人1面を曲げなかったと言う。
 沖縄と距離的に近い西部本社版は、それでも1面肩に写真入りで掲載しているのだが、東京本社版にいたってはアテネオリンピックに次いで3番目の扱いである。
 朝日新聞でさえこれなのだから、保守『読売』、右翼『産経』に至っては小さなべた記事でしかなかったと言う。
 これは、報道に対して米軍や政府から圧力がかかったからではない。報道機関の意識の問題で、「沖縄での出来事など、本土の人間に興味はない」という差別意識から来るものだ。「インドで飛行機が落ちた、でも日本人は乗っていなかった、良かったね」という感覚と同じである。
 
 今回のオスプレイ「墜落」事件に関しては、さすがに各社1面トップに断抜きで掲載した。しかし、わが家に勝手に入ってくる『日経新聞』は、何と中面にベタ記事を載せただけである。まあ、金儲けにしか興味のない人が読む新聞なのだから仕方がないといえばそれまでだが、それにしてももう少し何とかならなかったのか。
 で、「墜落」と書いたが、報道では「不時着」である。『東京新聞』は「事実上の墜落」と表現しているが、この表現の問題を深く検証した新聞はない。
 コントロールされて人のいない浅瀬に着水したのだから、「不時着」であるという論理だが、コントロールされていてなぜあれほどばらばらに分解するのか、まったく不思議だ。そこには「墜落」したと言えない理由があるに違いない。
 沖縄米軍の最高司令官ニコルソンが、「集落を避けて着水したパイロットに、(沖縄住民は)感謝するべきだ、表彰ものだ」などと、声を荒げて逆切れした真意はどこにあるのか、冷静な分析をした新聞はない。
 アメリカという国にとって、ひっきりなしに事故を起こすオスプレイとは一体なんなのか、なぜそれほどまでして存在を正当化しなければならないのか、ぜひとも深く検証して欲しいものだ。
 
 そのオスプレイは、本土の米軍基地にも配備が予定されている。横田基地近辺の住民へのインタビューが、テレビのニュースで流れた。多くは「危険だから反対する」というものだったが、なかに「守ってもらっているのだから賛成だ」と答えた住民がいた。
 川端さんは言う、
「アメリカが日本を守っているという幻想に縛られている人々を、そこから解き放つ必要がある。それは報道の役割だと思っている」
 だが、今の安倍政権下では、自由な報道ができにくい状況にある。その事実を国民にどうやって気付かせるかが課題だと思う。
 
【参考】
  『沖縄・憲法の及ばぬ島で』
 川端俊一著 高文研発行