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NHKスペシャルドラマ『東京裁判』を観る

2016年12月17日 | テレビ番組

 
 70年前の東京で、11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論 で取り組んだ東京裁判。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、 私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威 信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達し たという、裁判の舞台裏の姿だった。11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的 な視点で「東京裁判」を描く。人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った 男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。

 出演:ジョナサン・ハイド(豪・ウエッブ裁判長役)、ポール・フリーマン(英・パトリック 判事)、マルセル・ヘンセマ(蘭・レーリンク判事)、イルファン・カーン(印・パル判事)、マイケル・アイアンサイド(加・マッカーサー)、塚本晋也(日・竹山道雄) ほか 。
 *NHKの企画原案による、カナダ、オランダとの国際共同制作。
 *判事役を演じる俳優たちは、それぞれの判事の母国出身。
               (NHKプレスリリース より)




 12日から15日まで、4夜連続で放送された「NHKスペシャルドラマ『東京裁判』」を観る。
 「東京裁判」(極東国際軍事裁判)は、海外では「ニュルンベルク裁判」の陰に隠れてその存在さえあまり知られていないらしい。しかしこの裁判は日本の戦後を左右する重大なイベントであっただけでなく、現在でも評価についてさまざまな議論が存在する。
 
 東京裁判では、戦争犯罪を三つに分類した。
 A級戦犯=平和に対する罪(侵略戦争の罪)
 B級戦犯=通例の戦争犯罪(捕虜や非戦闘員に対する虐殺、略奪、虐待など)
 C級戦犯=人道に対する罪(特定の民族に対し、虐殺や殲滅の罪)
 
 よく、会社などでミスが起きた場合に第一責任者のことをA級戦犯と言ったりするが、それは間違いで、ABCは罪をランク付けしたものではない。あくまでも戦争犯罪の分類である。A級戦犯の「平和に対する罪」とは、戦争(侵略戦争)を引き起こした人間を処罰の対象とするので、おのずとそれなりの地位にいた人間になる。したがって戦後、上記のような誤解が生じたのだろう。
  
 ニュルンベルク裁判(ナチスドイツの戦争犯罪を裁いた裁判)では、おもに「人道に対する罪」(C級戦犯)が対象であった。つまり、A級とB級は東京裁判で初めて適用された戦争法である。
 これが、東京裁判を語るときに、後々まで問題にされている。つまり、事件が起きて後、裁くことのみを目的に作られた「事後法」だからである。
 すなわち、パル判事(インド)に代表される、「事件が起きた当時、侵略戦争は違法ではなかったのだから、事後に作られた法律で被告は裁かれるべきでない」とされる論理も成り立つことになる。(あくまでも「ハーグ陸戦条約」や「ジュネーブ条約」が存在しなければの話だ)
 パル判事の理論をさらにわかりやすく言えば、「これまでは、国際法上合法であった侵略戦争が、後で法律が作られて犯罪行為になってしまった」ということだ。
 しかし、11人の判事の大半は、「仮に事後法であっても、残虐な戦争犯罪を引き起こした人間を無罪にはできない。もし彼らを無罪放免すれば、また同じ過ちを引き起こし、第3次世界大戦を起こされかねない」と主張した。
 このように、いささか強引な手段に及ばなければならないほど、日本の侵略行為は衝撃的であったということだ。ナチスのホロコースト以上の戦争犯罪だと捉えた判事もいたのである。だからどうしても裁かなければならないと。
 

 
 パル判事の論理は、これが個人を対象とするものであるなら法律家としては真っ当な意見であろう。合法だと思って行なったことが、逮捕された後で作られた法律によって裁かれたらたまったものではない。
 しかし、問題は日本という軍事国家(当時)の引き起こした戦争によって、アジアの膨大な人々の命が失われたということだ。南京事件に代表される大量虐殺行為は、それがたとえ戦争という特殊な状況下であっても許されるべきことではない。
 だとするならば、アメリカの原子爆弾による虐殺も裁かれなければならないはずなのだが、戦勝国アメリカの戦争犯罪が裁かれたことはない。それは後のイラク戦争も、ベトナム戦争も同様である。明らかな片手落ちだ。
 
 ただ、ここで確認すべきことがある。パル判事の発言は考慮すべき点が多いのだが、ドラマでも言っているように、日本の残虐行為を許すことではない。彼は法律家として「事後法で裁くことはできない」と言っているのだ。もしそんなことが可能なら、不都合な出来事がある度に、いくらでも後から法律を作って罰することができるようになり、法体系が崩れてしまう、と言っているのだ。
 例えば今日本では、共謀罪法が作られようとしているが、その法律ができたとき、何年も前に行なわれた集会が法に触れ、逮捕されたとしたらどうだろう。そんなむちゃくちゃなことはない。
 したがって、東京裁判で判決の根拠となった罪状は、特例中の特例と言える。
 
 だが、それらの法律が、何の根拠もなく適用されたわけではない。すでに「ハーグ陸戦条約」など、交戦者の定義や、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱いについての決まりがあった。日本もその条約にもとづいて、1911年(明治44年)11月6日批准、1912年(明治45年)1月13日に「陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約」として公布した。したがって、日本軍の戦争犯罪は、国内法でも違法であって、東京裁判での判決が、まったく寝耳に水というわけではなかったのだ。
 
 結果は、多くの被告の量刑は「B級」の通例の戦争犯罪をもとに決められた。そして「C級」で裁かれた被告は一人もいなかった。
 
 最後に、パル判事の理論は法律家として理に叶った一面を持っているが、靖国神社に「パル判事の日本無罪論」として碑を建てたり、右派の論客が東京裁判そのものを否定するようなことは間違いであると言っておきたい。パル判事は、決して日本の戦争行為を正当化してはいない。それどころか「あってはならない残虐行為として非難されるべきものである」ことを承知している。問題は、法律の運用方法と裁判のあり方について納得できないということなのだ。
 
 靖国神社のパル判事の碑については以前から違和感を持っていた。もしパル判事がその事実を知ったらなんと言うだろうか。
「私は、当時の日本政府がまったく無罪であるなどとは考えていない。法律的には無罪であっても、道義的には重罪であることを自覚して欲しい」
 こうい言ったのではないだろうか。
 
【参考】
 戸谷由麻『東京裁判』みすず書房(2008年)
 著者はハワイ大マノア校准教授。カリフォルニア大学での博士論文に加筆訂正し、当初英文で出版。本書は著者自身による翻訳で一部改定を加えたもの。
 大変ていねいに研究してまとめたもので、東京裁判についての重要な文献である。
 ただし、初版には重大な誤字・脱字・誤用が散見している。そのことについては版元に連絡済みで、ていねいな回答も受け取っているから再版以降では修正されていることと思う。

 東京裁判研究会『共同研究 パル判決書』(上・下)講談社学術文庫(1984年)
 佐山高雄氏の呼びかけで発足した5人の法学博士・弁護士による東京裁判研究会が、膨大なパル判決書を精査したもの。判決書の全文に解説を加えた本書は、上下巻あわせて1600ページを超える。
 パル判決をリスペクトしながらも、すべてを肯定するものではない。とくに、パル判決には「ハーグ陸戦条約」や「ジュネーブ条約」などの国際法を考慮すべき部分が欠落しているとのべ、過去の研究書が「日本無罪論」という間違った風評を生んでしまったことへの批判にも言及している。