ひまわり博士のウンチク

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漱石没後100年=大正3年の珍本

2016年12月11日 | 本と雑誌
 去る12月9日は、夏目漱石が死んでちょうど100年。1916(大正5)年12月9日、享年49歳である。短い一生のうちに、よくぞまあこれだけ膨大な作品を残したものだと感心する。コンピュータもワープロもない時代だから万年筆の手書きである。
 没後100年ということで、漱石をさまざまな面から描いたいくつかのドラマも放送され、イベントが開催されたり細君の夏目鏡子さんや孫娘の半藤末利子さんの著書が書店に並べられるようになった。
 夏目漱石については、改めて紹介するまでもないだろうから、蔵書の中から変な本を1冊紹介する。
 

 
 「三四郎」「それから」「門」の三部作を1冊にまとめ、970ページに及ぶ大冊である……はずだが小さい。
 天金が施された布装で、なかなか立派な本に見える。ところが現在の文庫本と比べると、天地はほぼ同じ、幅は2センチほど小さい。菊判(A5判より少し大きい)の元本から写真製版でそのまま縮小したものだから、文字の大きさが10級ほどに縮小され、読みにくいこと甚だしい。版元の春陽堂が売り上げ目的にスケベ根性で考えた企画に間違いなく、前後して漱石の代表作をことごとく縮刷版を作って出版している。まあ、考え方は文庫本と同じと言っていい。
 こんな本誰が読むのかと思ったら、兵士が戦地に持っていったり、慰問袋に入れて送るときに便利なのでけっこう売れたらしい。
 上の写真はもちろん復刻版で、神保町の古本屋のワゴンに放り込んであったのを救出した。まあ、普通の読者は手を出さない。資料的な価値などほとんどないしろもので、コレクターなら三部作それぞれオリジナル初版を求めるだろう。発行は大正3年、漱石が亡くなる2年前だ。
 「三四郎」「それから」「門」が三部作であることは、今ではだれでも知っているが、じつは、出版当初はそうでもなかったらしい。ほとんどの人がまったくの別物扱いにしていたようなのだ。そこで三作を1冊にまとめたならば、通して読んでくれる読者が増えると考えたとすれば、一理ある。
 訓練の終わった兵隊は戦闘のないときは暇を持て余していて、よく本を読んだと聞く。ならばコンパクトな漱石三部作は願ったり叶ったりだ。(ただ、こんな小さな文字を、兵舎の暗い照明で読めたのだろうか。
 
 合本の冒頭に、版元からのメッセージが掲載されている。
 
  旧字旧仮名で読みにくいだろうから、平文に直すと以下だ。
 
「『三四郎』と『それから』と『門』は、もともと三部小説(トリロジイ)として書かれたものである。それをこの度縮刷版にして一巻にまとめたので、今まで個々の別な本として、まったく無関係に取り扱われがちであったものに、はじめて一貫した意味を与えることができた」
 
 本当のところは、「出征兵士の背嚢に入れるのにちょうどいい大きさだから、銃後の皆さんはぜひ買って持たせてやってくれ」と言いたいところなのだろうけれど、時代が時代である。不謹慎と受け取られかねないので、商売よりも文学的な意味を前面に出したのだろう。
 しかし、持たされても、読まなかっただろうなあ。
 ただ、同じサイズの『草枕』が手元にあって(これは多分戦場を渡り歩いて来たのだろうぼろぼろである)、こちらは逆に「坊っちゃん」「二百十日」とともに『郭籠』というタイトルで1冊にまとめて発売されたのを分冊している。組み直しもされて12級ぐらいになっているのでいくぶん読みやすい。