ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

沖縄4 ひめゆりの塔~健児の塔

2009年05月22日 | 旅行記
 今回、南の方を回る予定はなかったのだが、時間が空いたので南部の戦跡を回ることにした。
 那覇のホテルから小一時間かかるとフロントに脅されたが、これまでの体験上そんなにかかるはずはないと、勝手に思い込んで車に乗り込む。
 
 小一時間どころか、30分で着いた。
 道がすばらしくよくなっていて、とても走りやすかったのだ。
 
Himeyuri1jpg
 
 ひめゆりの塔は、井原第三外科壕跡の上に建てられている。
 正面の大きな碑は1974年に建てられたもので、戦争直後に建てられた碑は右端に残されている。
 
Himeyuri2
 
 この小さな碑は、1946年、遺族によって建てられたもの。
 
Himeyuri3
 
 資料館は、前回来たときからリニュアルされて、実に立派になり、展示も充実している。
 資料館内に、壕の内部から外をながめるようにしつらえた施設があり、上を見ると外が見えている。
 資料館内で地下に降りたところはなかったのに、どういう構造になっているのかと不思議に思っているとき、奇しくもひめゆりの生存者の一人、宮城喜久子さんにお会いした。
 
 「お久しぶりです」
 「おやおや、東京から?」
 「はい」
 
 「ああ、これはレプリカですよ」
 「え? ずいぶんみごとですねえ」
 「こんな壕の中に負傷者を担いで出入りしたんですか」
 「いいえ。負傷した人は入れません。ここには100人くらいの医者と看護婦がいただけです。治療なんかできません。だいいち、包帯も薬もないんですから」
 「じゃあ、ここは医者と看護婦が退避していた壕なんですか」
 「病院壕なんて名ばかりですよ」
 
 何人もの負傷者を抱えて四苦八苦していたのは緒戦の頃の話。戦況が悪化してからは、米軍の攻撃から身を守るための壕になっていった。
 しかし、この第三外科壕は、米軍のガス弾の攻撃を受け、中にいたほとんどが亡くなった。
 
 *参考=『沖縄戦の全女子学徒隊』青春を語る会編 フォレスト発行 琉球新報社発売(地方小扱)
 
Kennji1
 
 ひめゆりの塔にほど近い場所に、「健児の塔」がある。
 健児の塔は、鉄血勤皇隊として戦場に駆り出され、短い生涯を終えた少年たちの慰霊碑である。
 鉄血勤皇隊は、ひめゆりと同じ10代の少年たちだが、一般にはひめゆりほど知られていない。
 それを裏付けるように、かつてはあったのだろう記念品売り場はシャッターが下ろされ、ひめゆりと比較しても寂しいかぎりである。
 
 やはり、少年よりも少女の方が悲劇性があるからだろうかと、いささかひがんでしまう。
 
 さまざまな理由から遺族や生存者の、しっかりした組織化と活動ができなかったからだろう。
 元沖縄県知事の大田昌秀さんは、鉄血勤皇隊員としての体験がある。
 大田さんは当時19歳で、中では年長だったため、小銃や手榴弾を手渡されたが、若い隊員の多くには武器はなく、ほとんどが砲弾の飛び交う中を伝令や弾運びに使われた。
 
Kennji2
 
 沖縄戦では、数えで15歳以上(満年齢14歳)の男子はことごとく徴集されて、日本軍とともに闘った。
 天皇のために命を捧げることこそ男子の本懐であるという、皇民化教育の犠牲者である。
 
 *参考=『血であがなったもの』大田昌秀 那覇出版社
 
Ishiji1
 
 ひめゆりの塔からさらに4キロほど南に行ったところに、「平和の礎(いしじ)」と平和祈年資料館がある。
 平和の礎には、無数の黒い御影石に、約24万人の戦没者名が刻まれている。
 
Ishiji3
 
 ここには、日本人だけでなく、朝鮮人やアジアの人々、そして欧米人も含め、名前が判明している沖縄戦犠牲者のすべてが記録されている。
 
Ishiji2
 
 礎の向こうに見える赤瓦の建物が、県立平和祈年資料館。
 この資料館は大田県政時代に計画されたものだが、その後政権が保守に渡ってから展示内容に変更が加えられようとした。
 とくに、日本兵の残虐性を表現した展示物に手が加えられようとしたが、住民からの怒りの反発によって当初の予定通りの展示になったいきさつがある。
 
 この日はこの後、県民大会に参加する予定になっていたので、資料館までは見学する時間がなかった。

 リンク=「大田昌秀さんと『鉄血勤皇隊』」
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆出版と原稿作りのお手伝い◆
原稿制作から自費出版まで、ご相談承ります。
メールでお気軽に galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで

*アドレスをコピーするか、右の「□メール送信」をクリックしてください。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。