読谷村の楚辺通信所跡地で知花昌一さんと待ち合わせる。
ここはかつて、巨大な檻を思わせる通信施設があったところで、アメリカの占領を象徴する施設として有名だった。
この写真は今から7年前、2002年の3月に撮影したもの。
この通信施設はキャンプ・ハンセン内に移設されることになって、移転が完了した2006年12月に敷地は日本に全面返還された。
2007年6月には、すべてが撤去されている。
知花さんによると、新しい通信施設は、「象の檻」といわれたような鉄塔群は存在せず、コンパクトでより高性能の設備だという。
知花さんはこの通信所の土地の一部を所有する反戦地主だ。
長年、この土地の返還に向けて日米両政府を相手に闘ってきた。
写真は、航空写真を広げ、自身の所有地を示す知花さん。
残波海岸での昼食のとき、三線を出して弾き語りを聴かせてくれた。
本来はライブハウスでなければ聞くことはできないのだが、好意で演奏してくれたのだ。
もちろん、こっそり録音してある。
この後、大田昌秀元知事の大田平和総合研究所に向かう。
泡盛とコニャック、それにたっぷりの沖縄料理で迎えられ、話が弾んだ。
初代県知事の屋良朝苗さんのこと、「沖縄の歴史」をまとめた比嘉春潮さんのこと、基地のこと、県政のこと。
録音しておかなければならないほどのすばらしい内容の話だったのに、なぜか録音機を車の中に置いたままホテルの駐車場に入れて来てしまった。
大失敗である。
「また、いつでもいらっしゃい」
といわれたので、また出かけるか。
話が弾み、ホテルに戻ったのは深夜だった。
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