新刊で買ったのについ今まで読んでいなかった。先日映画を観た機会に読んでおこうと思いつつ、これまたひっきりなしに送りつけられる雑誌や通信に引きずり回されてすっかり時間がかかってしまった。
とまあ言い訳はともかく。
で、原作を先に読んだ人の中には、映画に物足りなさを覚えた人もいたかもしれない。それくらい原作はすばらしい。
「悼む人」静人をめぐって、さまざまな人のそれぞれの人生が、独自の物語をもって描き出される。
母の坂築巡子、妹の坂築美汐、週刊誌記者の薪野抗太郎、そして静人の同伴者奈義倖世、それぞれがしっかりとしたストーリーを持ち、誰が主役になってもおかしくない。そして誰もが、「悼む人」静人に大きく影響されている。彼によって救われることも、人生を狂わされることもすべて含めて。
登場人物たちは、別々の物語を育みながら、すべての登場人物が「愛」に帰結する。
「あなたを心に刻みます。愛され、愛し、感謝されたあなたをずっと覚えています」
読者は登場人物のいずれかに感情移入してしまう。自分が男であろうと女であろうと性別は関係ない。それぞれが生きてきた環境、体験や経験などによって、感情移入する人物は異るはずだ。
その結果、読者は独自の物語を創造する。
映画では、原作にある複数の“物語”のひとつ、静人を中心にストーリーが進行していくので、観客が感情移入できるのは静人、あるいは同伴者の倖世に限られる。この2人のいずれにも同期できなければ、多分映画はつまらない。だからといって、映画が不完全ということではない。上映時間約2時間でひとつの作品をつくりあげる場合、手を広げすぎると収拾がつかなくなる。作品の世界が見え過ぎ、鑑賞者の想像の範囲が狭まる映像においてはなおさらだ。堤幸彦監督はそれを承知の上で、身を切る思いで物語についた豊かな肉をそぎ落としていったことだろう。
原作を読んで、映画がいかに苦労して作られたかが、逆にわかる。映像化することが何と難しい作品であるか。
彫刻家が作品を創るにあたって、素材の中にあるなにがしかを彫り出すと表現することがある。原作を素材呼ばわりするのは傲慢だと思うが、よい素材から生まれた優れた映画と言ってよいのではないか。