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アジア記者クラブ定例会「倉沢愛子さん講演」

2015年12月10日 | 国際・政治


 9日水曜日、倉沢愛子さんの講演会があった。
 倉沢さんは長年日本占領期のインドネシア史を研究してきた。
インドネシアは日本が占領するまでオランダ領(オランダ領インドシナ)であり、日本軍は「蘭印」と呼んでいた。
 日本は、アメリカからの石油が途絶えて後、原油を求めて南太平洋の島々を次々に占領していった。当然のように慰安所がつくられ、インドネシアの若い女性たちが強制的に慰安婦にさせられた。
 インドネシアでの慰安婦問題は、スマラン事件(白馬事件)が有名で、駐留していたオランダ人の女性たちが日本軍によって、慰安婦にするために拉致された事件である。これは後にバタビア臨時軍法会議で、首謀者たちが裁かれた。
 ご存知のように、以前国会で辻元清美議員が、日本軍が慰安婦問題に直接関わった証拠として、日本の法務省が所有するスマラン事件の記録を安倍総理に突きつけたが、総理は事件そのものの存在を知らなかったようだ。
 
 倉沢さんはスマラン事件には触れなかったが、ちょうど今年の夏から「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)で資料展示が行われていることもあり、慰安婦問題を含めた日本軍の圧制について述べられた。
 日本軍がアジアに侵略していった名目は、ヨーロッパ各国の占領から解くためであったと言われるが、矛盾していることに、それらの国々が独立することは許さなかった。
 
 インドネシアが大きく変わったのは、ベトナム戦争期の1965年9月30日に起きた、いわゆる「9・30事件」である。この日深夜、革命評議会を名乗る軍人たちによって、軍の上層部6人が暗殺された。その結果、スカルノ政権は崩壊し、反共色の強いスハルト少将が政権巻き返しを図った。
 当時インドネシアでは共産党の力が強く、スカルノは共産主義者ではないが、共産党の力をうまく利用していた。しかしスハルトは共産党への弾圧を開始し、各地で虐殺事件が発生した。死者は50万人とも100万人ともいわれる。
 
 日本は最大の投資国・援助国になっていったが、日本企業がぞくぞくと進出したものの、インドネシアの文化や宗教を理解せず、インドネシア従業員たちの習慣を否定したために、徐々に反日感情が高まっていった。 そして1974年1月の田中角栄首相(当時)のインドネシア訪問時に大規模な反日暴動が起きた。「マラリ事件」である。
 
 この経験から、トヨタ自動車などの日本企業では「隣人を知ろう」プログラムを作成し、現地の従業員たちの文化や暮らしを尊重する動きへの発展して行く。
 
 まだ読んでいないが、この日の講演内容は、倉沢さんの著書『9・30世界を震撼させた日──インドネシア政変の真相と波紋』(岩波現代全書)や『戦後日本──インドネシア関係史』(草思社)に詳しいはずである。
 
 毎度のことだが、アジア記者クラブの事務局をやっていると、ゆっくり話を聞くことができない。この内容は、2月発行の「アジア記者クラブ通信」に委ねることになる。


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