ひまわり博士のウンチク

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日本政府は日本国民を守らなかった

2015年02月02日 | 国際・政治
 後藤健二さんが殺害されたニュースが列島を駆け巡った。
 しかし、本当に助けることはできなかったのか、それ以前に、このような事件が引きこされるのを未然に防ぐことはできなかったのか、多いに疑問が残る。
 
 まず、戦闘地帯への取材はフリージャーナリストに限られることだ。大手メディアは、直属記者やカメラマンによる危険地域での直接取材を禁じている。したがって、現地のニュースはフリージャーナリストに頼ることになる。彼らなしで苛酷な戦闘地帯の現状を、われわれが知ることはできない。
 したがって、またもささやかれはじめた「自己責任論」はまったくの見当違いである。まして後藤健二さんは、盟友である湯川遥菜さん救出の目的でシリアに入ったと聞く。過去に別の武装集団によって拘束されたジャーナリストを、後藤さんが交渉して解放に至った実績があるからだ。しかし、「イスラム国」にこの前例は通用しなかった。「イスラム国」とは理屈が通らない国なのである。
 
 日本政府は「イスラム国」に2人のジャーナリストが拘束されていることを知りながら、有志国連合に対する「人道的」支援を発表した。この瞬間、「イスラム国」側は日本を敵であることを確信したのだ。「イスラム国」側にとって、人道支援であろうが軍事支援であろうが、敵を支援することには変わりがない。
 安倍総理は最悪の時期に発表したことになる。事態が解決するまで、公表を控えるとか時期をずらすという考えはなかったのか。これは「テロに屈しない」のではなく、「殴り掛かる」ことに等しい。
 もしこうした事態になることを承知の上で支援を公表したのだとしたら、国民の安全よりもアメリカに対するポーズを優先したことになり、菅官房長官が言った「人命最優先」と矛盾する。
 さらには、懸命に救出のための努力をしているというが、それも国民に見せるためのポーズであって、できることをすべてやったとは思えない。
 つまり、安倍総理の頭の中にあるのは「日米関係最優先」であって、そのためには多少国民が血を流してもやむを得ない、と考えているのではないか。これはもう、戦前の大日本帝国と同じである。
 日本国内にも「イスラム国」を信奉する人間が多数いるとされる。つまり、国内でのテロが今後発生する可能性も否定できなくなった。すでに日本は「イスラム国」に対し、宣戦布告したのと同じなのだから。
 当然安倍首相は、自分にはテロの被害はおよばないと考えているかもしれないが、もしそうならとんでもない間抜けである。
 テロの対象に例外はない、いまこの瞬間も、あなたや私の頭の上に爆弾が落ちてくるかもしれないのだ。これは大げさでも妄想でもない。テロで犠牲になった多くの人々にとって、例外なく青天の霹靂であったろう。予測できないのがテロなのだ。
 
 国民は国家のために存在するのではない、国民のために国家が存在する。それが民主国家である。
 少なくともいまの日本は、あきらかに独裁主義・全体主義に近づいている。
 しかし日本は、決して武力行使に走ってはならない。それこそ挑発に乗ることになり、テロに屈したことと同じである。
 
 また絶対に、多くの一般のイスラム教徒をテロリスト扱いしてはいけない。
 コーランの教えの中には、「人を殺してはならない」とする、以下のような一節がある。

 人を殺した者、地上で悪 を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を 救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである。(『聖クルアーン』食卓章5-32 宗教法人日本ムスリム協会発行131ページ)
 
 すなわち、「イスラム国」はコーランの教えに背いており、イスラム教徒ではないと言えるのだ。
 
 
 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)による
 「後藤健二さんら人質殺害を受けての緊急声明」

 
 私たち日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)は、日本人人質事件の発覚後、2通の声明文とビデオメッセージを通じて、後藤健二さんと湯川遙菜さんの解放を関係者に求めてきました。しかし湯川さんに続き、後藤さんを殺害したとする映像が公開され、私たちは深い悲しみでいっぱいです。
 後藤さんはこれまでに世界各地で苦しむ人びとの側に立ち、事実を伝えることでジャーナリズムの役割を果たしてきました。公開された映像が事実であるならば、後藤さんが否定してきた理不尽な暴力により、命を奪われてしまったことになります。
 なぜこのような事件が起き、そして繰り返されるのか、「報復」は憎しみと対立を煽るばかりです。暴力による負の連鎖を断ち切るために、原因を追求し、私たちは賢明な平和的手段で解決することを訴えます。
 今も世界各地では戦闘や空爆が続き、犠牲者は増え続けています。暴力から尊い命を守ること、それが後藤さんがジャーナリストとして命をかけて伝えたかったことではないでしょうか。後藤さんと湯川さんのご冥福を祈ると同時に、彼らの犠牲が最後となることを祈ります。

 2015年2月1日
 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)



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