ひまわり博士のウンチク

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和光学園での宮城喜久子さん

2008年12月10日 | 日記・エッセイ・コラム
次代を生きるみんなへ
 「ひめゆり少女」からのメッセージ


 和光学園は、毎年修学旅行の一環として、沖縄での現地学習が行われます。
 いわゆる「観光旅行でない沖縄」をめぐり、ひめゆり資料館や第一外科病棟として使われたガマを見学し、ひめゆり学徒の生の証言を聞きます。

 今日、鶴川にある和光鶴川小学校で、先日出版された行田稔彦著『沖縄戦 生と死・いのちの証言』の出版記念講演会ということで、宮城喜久子さんが講演。
 娘さんを経堂の和光小学校に通わせている知り合いに誘われて、鶴川まで行ってきました。
 行田稔彦さんは、和光学園の校長先生です。

Wako1

 午後12時半過ぎ、電車を乗り継いでようやく鶴川駅に着き、和光学園まではさらにバスに乗ります。
 で、和光学園行きのバスの時刻表を見ると、ない!
 昼の時間帯の時刻表が真っ白です。要するに、鶴川駅?和光学園間は朝夕だけの運行なのです。
 さて、どうしよう。
 じっくり探せばほかにもルートがあるのでしょうが、時間がないのでタクシーで向かうことにしました。

 山の中に、和光学園はありました。
 タクシーが着いたのは中学・高校の正門前。目的の小学校はさらにこの奥になります。

Wako2

 学校の敷地内にこんな自然林があり、小学校の建物に行くにはこの自然林の脇の道を一山越えていきます。
 途中何カ所か「小学校→」という小さい案内板が立ち木やフェンスに括りつけられています。
 まるでハイキング。

Wako3

 ここが、和光鶴川小学校。
 ようやく着きました。知り合いの娘さんは経堂の和光小学校を来春卒業で、中学に上がるとすれば鶴川まで通うことになり、そうなると片道2時間、これはいささか無理。

Wako4

 玄関を入ると、いきなりジョー・オダネルの写真をあしらった、被爆者支援のポスターが。
 そのとなりは沖縄の祭り。
 フツーの小学校とはだいぶ雰囲気が違います。
 今回の講演会も、和光鶴川小学校9条の会の協力で開かれます。
 天沼小学校9条の会を作ったらどうだろうか。

Wako5

 会場は6年生の二つの教室をぶち抜いて行われました。
 前半分は子供たちで、大人は用意された折りたたみ椅子で後ろ半分をうめています。

Wako6

 宮城喜久子さんは、熱心に1時間半、子供たちを前に講演しました。
 すでに修学旅行で見学した「第一外科壕」の中で話を聞いているのですが、長時間集中して聞き続ける子供たちもすごい。
 宮城さんの話はおおむねいつもと同じ。
 しかし、子供たちには皇民化教育のことをもう少し詳しく説明したほうがよかったような気がしました。
 終了後に質問を受け付けると、ゲストの一人の女性からこんな質問が出ました。

 女性「手榴弾を受け取って死ねと言われたそうですが、中には死にたくないと言って逃げた人はいなかったんですか」
 宮城「一人もいません」
 女性「えええええ~~~! どうしてですか、私はイヤだって逃げる人いなかったんですか」
 宮城「そんなことをしたら、卑怯者とか非国民とか言われるんです」
 女性「卑怯者でも非国民でもかまわないから、死にたくないって言う人はいなかったんですか」
 宮城「いません」
 女性「えええええ~~~! どうしてそうなるんですか?」(信じられないというようす)
 宮城「教育なんですよ。教育というのは正しい教育を行えばすばらしい人間が育ちますが、間違った教育は間違った考えの人間をつくってしまうんです。天皇陛下のために死ぬのは日本人の義務だって教えられるんです」
 女性「それは沖縄だけのことですか」
 宮城「いいえ、日本中全部です」
 女性「えええええ~~~!」

 まだ納得できないようですが、時間の都合で進行係に止められました。

 以前「赤紙が来たって断ればいいじゃないですか」と言った大学生の話をしましたが、最近の若者には、軍国主義一辺倒の時代がどうしても理解できないようです。

 こういう若者は、けっして少なくはないのでしょう。
 このような若者たちにとっては、「つくる会」や「田母神論文」のような考えに対する批判は出にくいのだろうと感じました。

 行田校長にお会いできなかったのが残念。

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