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ドラマ『遺族』は1961(昭和36)年8月16日、終戦の日の翌日にNHKで放送されたドラマである。
脚本は山田洋次・野村芳太郎。出演は、北村和夫、鳳八千代、湯浅実ほか。
当時はまだVTRのテープがたいへん高価であったために、ほとんどのドラマが残されていなかったが、この作品は幸運にもフィルム(16ミリ)で制作された。しかし番組を記録するという意識のない時代で、NHKアーカイブスのデータベースに登録されておらず、保管庫の片隅にあったのが偶然発見されたのだ。
発見した職員は「『ドラマ 遺族』と書かれたタイトルを最初に見た時に、何か大きな事件か事故を描いたドラマだろうか……」と思ったそうだ。映像を観ると、オープニングがインタビューだったので、ドラマではなくドキュメンタリーの印象だったと言う。
このドラマは発見された翌年の2014年1月に再放送されたのだが見落としていて、今回CSでさらに再放送されたのを録画しておいた。
1961年放送だが、制作はその1年前、戦後15年だ。冒頭の若者(当時)へのインタビューを聞くと、わずか15年前の戦争が、既に過去のものになっていることに驚く。
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シーンは、「ダンスクラブ」。当時は「ディスコ」と言わなかった。
アナウンサー「特攻隊っていうのを聞いたことあるでしょ?」
若い女性「ええ、あります。」
アナウンサー「どう思いますか?」
若い女性「どうって分からないです、全然」
アナウンサー「特攻隊で亡くなった人たちについてはどう思いますか?」
若い男性「どう思うって、あまり利口じゃないと思います」
特攻を命じられても断ればいいと思っている若者が、すでに現れていたことに驚く。彼らにとって、戦争は既に遠い過去のことになってしまっているのだ。
戦後70年の現在、戦争が歴史の中に埋もれ、記憶が希薄になっていることも、さもありなん、と思う。だからこそ、戦争体験者の言葉が永久に語り継がれなければならないのだ。
国会議員や元特攻隊員、及び遺族へのインタビューもはさまれる。当時は自民党の国会議員ですら、「絶対に戦争をしてはいけない」と語っている。
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特攻機の命中率は9%、撃沈率は0.8%。
脚本の山田洋次さんは「NHKアーカイブス」の中でこう語っている。
「劇中にも出てきますが、特攻隊の攻撃がいかに確率の低い、ひどい作戦だったかというデータも調べました。当時、“一機一艦”と言っていたけれど1000機出て行って敵艦10隻も沈まなかったのですから」
撃沈できたのは、2機以上が命中しての戦果だったという記録もある。多くが攻撃を行う前に撃墜され、海の藻くずと消えた。「一機一艦」など到底不可能だったのだ。
燃料不足で満足な訓練もできず、空母は一隻もなし、そのほかの艦船も数えるほどしか残っていない。なけなしの飛行機を使っての体当たり作戦は、まさに国そのものが「玉砕」しようとしていた。
戦力は大人と赤ん坊ほども差があった。それでも日本は戦争を続けようとしていた。
日本にとっては多大な犠牲、アメリカにとっては蚊に刺された程度の被害。
まったくバカな作戦であった。未来ある有能な若者を犬死にさせた軍部の責任は大きい。
彼らの死が意味をもつとしたら、それは何があっても、日本が二度と戦争をしないことだ。
彼らの犠牲のもとに成立した日本国憲法の「9条」を守り続けることだ。