
五・七・五の定型にしばられない、自由律俳句の代表的な俳人である尾崎放哉(おざき・ほうさい)。よく種田山頭火(たねだ・さんとうか)と並び称され、学校で習う文学史上には必ず登場するそうだが、忘れてしまっている人の方が多い。ぼく自身も、どこでこの名前を知ったのか定かでない。学校で教わったわけではない気がする。いずれにしろ、出会いは大昔だ。
表題の「咳をしても一人」という句を読めば「ああ、あの人か」と察する人もいるにちがいない。
いれものがない両手でうける
足のうら洗えば白くなる
漬物石がころがって居た家を借りることにする
障子の穴から覗いてみても留守である
すばらしい乳房だ蚊がいる
口をあけぬ蜆死んでゐる
現代ならツイッターのつぶやきみたいな俳句だが、1885(明治18)年生まれ1926(大正15)年没の放哉がツイッターを知るはずもない。
放哉はわずかだが、短編小説や随想なども書いていて、さぞかし面白いだろうから読んでみたいものだとずっと思っていた。
たまたま筑摩書房2002年発行の『放哉全集』(全3巻)の状態のよい古書を見つけた。ちょっと場所取りになるなあと思ったが、最近荻原井泉水(はぎわら・せいせんすい)の家から出てきた大量の未発表の句が収録されているということも食指を動かした。
さて、期待していた短編・随想だが、はっきりいって俳句ほどの面白さはない。余分なものをそぎ落として、1行に凝縮された文章の方が、内容も濃密になるということか。
〈紹介〉
『尾崎放哉句集』(岩波文庫)
『放哉文庫』全3巻(春陽堂)