寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話「エアロフロート機に乗って」(20140802)

2014年08月02日 17時08分55秒 | 日記・エッセイ・コラム

 1970年代の話です。ドイツミュンヘンで学会があり、そのついでにヨーロッパを約1ヶ月間見学して回る機会に恵まれたときの話です。大学生協の紹介でモスクワ経由ロンドン行きのソ連のエアロフロート機で行くことになった。機内に入ると座席の間隔が非常に狭く足を伸ばすことが出来ないほどであった。トレー台を手前に倒すとお腹がつかえてしまい思わず姿勢を正してしまった。羽田空港を離陸して新潟上空・ウラジオストック上空を過ぎて果てしなく続くタイガ(寒帯林)を眼下に見てその広大さに感動しました。やがて耕作地帯と思われる所にさしかかり、しばらくすると真っ直ぐな未舗装の道が現れた。

 その道はどこまでも続いていた。その道路上を飛ぶこと約4時間、スチュワーデス(当時はこう呼んでいた)に飛行機の速度を聞くと900Km/時と言うことだった。つまり単純計算で3600Kmの長ーい道だった。やがて大きな川が現れてさしもの道が途切れた。その間太陽はずーっと機の左上空にあり太陽を追っていくように飛んでいたことになる。モスクワ近くになったとき下の方を逆方向へ飛んでいる飛行機と交差した。そのとき乱気流が発生し機は大きくゆれた。やがてシェレメチボ空港についてトランジット(寄港)のために空港近くのホテルで1泊することになった。空港の入国手続きの際に異変が発生した。私の数人前の乗客が本人確認が出来ないようでほぼ1時間ほど入れ替わりたち替わり別の係官が来て本人確認をしていたがどうも別人だったようで短剣のついた鉄砲を持った兵士?にどこかへ連れて行かれてしまった。ようやくゲートを過ぎてバスに乗り小さな川の畔にある新築らしいホテルに着いた。日本人6人(内女性1人)が1室に通された。自己紹介をしあって食堂へ行った。一人の人が食券を忘れてしまったがそのまま席に着いた。やがてホテルの食事とも思えないようなものが出てきた。それでも皆で食べてしまった。しばらくすると食堂内が慌ただしくなって配膳所がカーテンで仕切られたしまった。様子を見ていると後から来た人たちの分の食事が足りなくなってしまったらしい。その後何事もなかったように静かになってしまった。結局一人の方が食事を取れなかった。

 部屋に戻って風呂に入ろうとすると湯どころか水も出ない始末であり少し出てきた水は泥水であった。洗面上も同じ状態で泥水しかでなかった。しばらくして薬を飲みたいという人がいて飲料水!を客室係の部屋へ貰いに行った。しかし直ぐ持って行くと言いながらとうとう持ってこなかった。

 翌朝、食事時間になると直ぐに食堂へ行き硬いライ麦パンとかりかりのベーコンとコーヒーで食事を済ませた。部屋に戻り窓から外を見ると川で数人の人たちが釣をしていた。トランジット客はホテルから1歩も外へ出ることが出来ないので周辺の様子は不明であった。

 バスで空港へ引き返し空港内で出発時刻まで待っていた。窓に近づくと搭乗口の下に儀仗兵が並んでいたので写真を撮ろうと思い近くにいた階級が高いような軍人に手振りで写真を写しても良いかと聞くと、頭を上下に振ったので許可を貰ったと思い写真を撮った。そこへ丁度満艦飾に着飾った大きな黒人が来た。儀仗兵がささげ筒の姿勢を取ったのでまた写真を写した。すると一人の外国人が近寄ってきて『空港で写真なんか写すとシベリヤへ連れて行かれるぞ』と言われぞーっとした。空港、港、橋などは軍事施設となる可能性があり写真撮影は危険だと言うことを初めて知った。

 飛行機に搭乗して眼下に浮かぶ雲や地上のきれいな景色を見ながら20時頃にロンドンへ着いた。上空から見るロンドンは真珠の首飾りのように街灯が縦横に走り幻想の世界のような気がした。このこと一つを見ても国の主義主張の違いによってこんなにも違う世界になるのだと言うことを初めての海外旅行で知ることが出来た。