寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記録的豪雨について(20140818)

2014年08月18日 11時27分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今年は広い地域で歴史に残るほどの大量も降雨量を記録した。前線が北陸ー中部関東北部に停滞しそこへ太平洋高気圧から湿った熱い空気が流れ込み大量の雨を降らせているそうである。TV映像で見る洪水のすごさは目を覆うほどである。この前線はもしかして秋雨前線なのだろうか。太平洋高気圧の強さが中途半端なのが原因かもしれない。この洪水によって多数の方が被害を受けたり、家屋の浸水、流失、土砂崩れによる崩壊、田畑の冠水と土砂に埋まるという非常に大きな被害を受けた。災害地の皆様には心からお見舞い申し上げます。

 20年ほど前になるが梅雨前線が9月になるまで本州上空に停滞し作物の日照時間不足という現象が飽きたことがあった。その年は野菜や米などを大量に輸入する必要に迫られた。

 自然現象をコントロール出来るようになるにはまだまだ未来の話であるが。自然現象による災害を防ぐ方法を講じても、その基準が過去の経験を基準にしているのでそれを上回ることが起きると防ぎようがない。これは前の巨大地震による津波の例でも同様であった。その地域の過去の記録を基準にするのも必要であるが、その地域の周辺の地形からこの位の降雨量ではこの位の水量になるそのエネルギーの大きさはこれほどになるということを計算して対策を立てる必要があるだろう。

 例えば素人の単純計算で、河川のある平地面積と周辺山地面積の比率が1対3であるとすればその地域一帯に500mmの降雨があれば少なくとも平地の水量は2000mmになる。周辺部から平地への境界がどれほどの広さがあるかによって水量はさらに増加することを計算しなければならない。地域の比率が増えればそれだけ水量が増加する。もちろん経験値は必要なものであるとは思う。しかしもっと科学的に考えることも必要なのではないだろうか。そろそろどんぶり勘定の対策から脱却する必要に迫られていると考える。


ツクツクボウシが鳴き始めました(20140818)

2014年08月18日 11時11分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日も暑くなりそうである。朝食を終えてお茶を飲んでいると、8時半頃ツクツクボウシ鳴いているのが聞こえた。暑いと言ってももう秋の気配が近づいていることを実感できる。

そういえば近頃、庭やアプローチに蝉の亡骸が落ちている。アブラゼミだったり、ヒグラシだったり小型のジージーゼミだったりいろいろである。あの喧しくなく音がいつの間にか聞こえなくなっていた。

 庭には沢山のヤマユリの花が咲き始めた。季節は少しずつ移っているんだなと感じる。


思い出話「エアロフロート機に乗って6」(20140818)

2014年08月18日 07時37分12秒 | インポート

 インターラーケンオストから再び列車に乗ってチューリッヒに向かった。発車して直ぐ右側に湖が見えてきた。これはブリエンツ湖という。湖に沿って北東方向に列車は進んでいった。スイスは湖の多い国のようだった。幾つかの湖を過ぎてしばらくするとルツエルン駅に停車した。ルツエルンは夜景が美しいというが今は昼間なので残念であった。また高名な交響楽団のある町だ。ルツエルン交響楽団の演奏したレコードを何枚も持っている。本当は下車して夜景を見たかったのだが、ミュンヘンまでの時間が少なくなってきたので通過することにした。夕方チューリッヒ駅に着いた。早速駅のインフォーメイションに行きホテルの予約をした。インフォメーションの年配の女性は私の条件を聞いて「あまり勧められないがあなたの条件を満たすホテルはここしか無い」とチューリッヒ湖北端から川になるところの一軒のホテルを紹介してくれた。そこへ歩いて行こうと駅を出ると2人の日本人の若い方がうろうろしていた。旅行者ではなさそうだったのでホテルへの行き方を聞いたところ時間があるので一緒に行きましょうと行って荷物を持ってくれた。目的地に近づくと川端にある柳の葉を風にゆだねているような風雅のあるところであった。ホテルへ着くと1階は何か飲み屋のようだった二階への階段を上がっていくと踊り場のような所に机に向かって本を読んでいる学生風の男がいた。彼にここが受付かと聞くとそうだという。3泊したいのでよろしくというと前金だというので宿泊代を払って、いわれた部屋へ行った。そこは5階の屋根裏部屋でベットが幾つもおいてあった。と言うことはここは日本風にいう布団部屋ということなのかもしれないと思った。荷物を置いて下へ降り若い方と食事に行った。

 食事をしながら話を聞くと2人はそれぞれ別のホテルの調理場で働いているという。日本のホテル協会からスイスのホテルで調理の修行をするようにと派遣されてきた。しかし調理場では毎日毎日ジャガイモの皮むきしかやらせて貰えないという。自分たちも日本では一応調理場で料理を作っているというのに。もう止めたくなってきたのだそうであった。食事を済ませて帰り道、明日は休暇を取ってチューリッヒを案内してくれるというので大丈夫かと聞いたが、問題ありませんというのでお願いした。ホテルの近くに来ると川端に植えてある柳の木の下にどぎつく化粧をし、着飾った女性が沢山いた。興味深そうに私の方を見たが仲間で話し合って無視した。アメリカ映画に出てくるシーンと似ているなと思った。そう、彼女たちは娼婦であのホテルは彼女たちが商売をするところだったのだと気がついた。これは変なところに宿泊することにしてしまったと思い受付の男性に今夜1泊だけにして後はキャンセルしたいというと、ジロッと私を見て「シュア」と言って2泊分の宿泊代を返してくれた。宿泊代を返してくれないと思っていたが案外正直なのかなと思った。翌朝荷物を持って1階へ降りると昨日の2人が待っていてくれた。事情を話すと、一人の方が私のホテルへ来て下さい親戚と言うことにして安くして貰えると思います。と言うので申し出を受けることにした。彼の働いているホテルは昨晩泊まった所とは雲泥の差であった。初めからこのようなホテルを頼めばよかったと思った。

 荷物を預けて町中にでると日本企業の看板がやたらと目についた。スイスの人はこれらの企業はスイスの会社だと思っていると言うことだった。まあ全員がそうとは思っていないのだろうが。2人のお陰でチューリッヒがよい想い出になった。感謝、感謝。お二人には「石の上にも三年」と言うことがあります。だから頑張ってください、と言葉を残してオーストリアのウィーンへ向かう。