寓居人の独言

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思い出話「エアロフロート機に乗って8」(20140821)

2014年08月21日 22時13分04秒 | 日記・エッセイ・コラム

 ウィーンで思い出すのは、プラータ公園の大観覧車とアントン・カラスのツイターの音色である。私はプラータ公園に行って大観覧車に乗りたいと欲していた。その夢を叶えるために出かけた。大観覧車は東京にあるものよりも大きく頂点に近づくとウィーン中がすべて見渡せるようだった。この観覧車は平和を象徴するものであったという。ウィーンには有名な高架鉄道と地下水路がある。「第三の男」に出てきた話であるが地下水路はゲリラ活動で利用されたという。そう言えばピカソの絵にゲリラ活動とナチとの壮烈な戦いが行われれゲリラ側に勝利が見えてきたことを象徴する場面をヤジロベイで表現したものを見たことがあった。

 その絵を見ていたときに、「芸術家というのは死にものぐるいで自分の考え(社会情勢)をカンバスに表現しているのですよ。この絵の本当の意味をナチスに知られたらピカソは殺されていたかもしれなかったんです」と、新宿三越で開催された絵画展を見に行ったときに教えてくれた年配の方の話を思い出した。その方に芸術論を学生に話して欲しいとお願いしたが「私はもう晴れがましいところにでる年ではありませんから」とやんわりと断られた。全く残念であった。

 午後、ドナウ川を見に行った。ドナウ川は滔々と流れる水量豊富な川であり、楽曲に表現されているさざ波とはほど遠いと思った。しかし曲はすばらしいと思っている。観光船に乗車しようと思ったが、地下湖の方に興味がありそちらに行くことにした。

 ウィーン南駅(今はないようである)に戻り電車に乗って出かけた。直ぐに目的地に着いた。地底湖の入り口は暗かったが、中に入ると何とも広い湖であった。遊覧船があるというので乗ることにした。何の変哲も無いような湖であるが大きさと言ったらとんでもないと思った。周辺の地質は石灰岩が多く大理石の産地であったという。 

 ウィーンにはまだまだ見たいところがあるが予定も迫っているために明日はウィーンを後にしてザルツブルグ経由でミュンヘンへ行く。O氏に依頼された書類を顔も知らない日下教授にわたせるのだろうか。