monologue
夜明けに向けて
 



カミ・コメ・ツチ・ヒト〕

 カミとヒトの間には、コメとツチがある。
 カミはコメとツチによってヒトを養い、
 ヒトはツチに働き、コメを供することでカミと交わる。
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 万物霊象、精霊のこだま。カミとヒトの間の万物の移り替わり。
これらは全て、カミとヒトとの間の契りの移り変わりを示す。

 日本の民がコメとツチを失い始める時、流砂の中の磐としての列島は、流砂の流れに止まることを忘れるだろう。
大地が血を噴き上げ、その身体をよじって嘆く時に、木々も身を潜め、鳥は住処(スミカ)を失うだろう。
ツチとコメをないがしろにすることの先にあるものは、ツチの無い大地と実りの無い稲刈りだ。
これを、そのままカミとヒトとの契りの言葉に直すと、中身の無い身体と、創造の期待の出来ない人間関係だ。

 つまり、肉体があっても肉体の機能の低下した人間と、生殖器があっても、子を成さない男女関係、そして目的の無い破壊だ。
これはカミとヒトとの契りであって、カミの一方的な怒りの表現では無い。
一人一人の顕在的・積極的・意志的な契りでは無いが、ヒトは、その意図と予定を自分たちの大地に表現することになっているのだ。

 あなたがたが、よく話題にするナスカの地上絵も、契りの表現の一つだ。
古墳や大規模な石造建築も同様だ。大昔から、ヒトはカミと契りをしてきた。

 カミ・コメ・ツチ・ヒト、これが基本的な世界の構図だったのだ。
カミは神ではない。カミは人間の似姿ではない。カミは、万物霊象のオコリだ。

 ヒトがオコル時、カミである万物霊象のオコリである揺すぶりを受けていた。
しかし、今、ヒトは人間となり、オコリでは無くイカリ(怒り)を表現する。
オコリとイカリは異なる。オコリは大きなカミの身体的な揺すぶりであり、イカリは小さな局部的な滞りだ。

 あなたがたは、恐らく上記のことを論理的に解釈しようとしても理解は出来ないだろう。
あなたがたの中にある、カミ・コメ・ツチ・ヒトが理解するのを待たねばならないだろう。
       ---ARION,O∴O---
1991/07/04/3:52
「ARION語録」より

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カミは漢字にすれば火水で縦と横ヒトは霊止でカミのヒを止める存在。
オコリは熾りで火に音(ノン)
fumio

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