goo blog サービス終了のお知らせ 
monologue
夜明けに向けて
 



昨日の「GRACE of JAPAN」は先週に続き富士浅間神社で湖面に写るいわゆる「逆さ富士」を紹介していた。

『逢うことも涙にうかぶ我身には死なぬ薬も何にかはせむ
かの奉る不死の薬に、又、壷具して、御使いに賜わす。
勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、
駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せ給ふ。
嶺にてすべきやう教へさせ給ふ。
御文、不死の薬の壷ならべて、火をつけて燃やすべきよし、
仰せ給ふ。
そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、
その山をふじの山とは名づけゝる。
その煙いまだ雲なかへたち上るとぞ言ひ伝へたる。』

(日本古典文学大系『竹取物語・伊勢物語・大和物語』岩波書店より)

 以上のように竹取物語の結末では富士の語源が語られる。士(つわもの)に富むからということと不死の二つの意味がかけられていた。
 最後に、昇天するかぐや姫は不死の薬をおいてゆくが帝(みかど)はかぐや姫がいないこの世で不死の薬をのんで、長生きしてもしかたないので焼かせてしまったという。 かぐや姫は木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)とみられていてかの女の正式名は「なよ竹のかぐや姫」であった。「なよ竹の」は、「よ(節、夜、世」「ふし」にかかる枕詞。「なよ竹のかぐや姫」とは富士(不死)の姫ということを暗示する名前であった。 富士山とは日本のみならず霊界のヘソと言われ、「不尽」「不二」「不死」などの読み替えによって暗示される、この「逆さ富士」の形状が大いなる宇宙亀のヘソの部分なのである。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )