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monologue
夜明けに向けて
 



 わたしは幼い頃から音楽が好きでおどけものだった。小学校のクラスのお別れ会で三船浩の歌う連続テレビ映画「月光仮面」の挿入主題歌「月光仮面の歌」を英語版といって「ムーンのライトをバックに受けて」と踊りながら歌ったりした。長じてはリズムアンドブルースやイギリスのバンドに傾倒しアメリカで音楽をやると吹聴した。毎朝犬をひっぱって走り人気のない校庭や畑で大声を張り上げ声を鍛えロック歌手としての基本訓練をした。そして七年間働いて貯金が留学に必要とされる額にやっと達したのでついに計画を実行に移すに至った。わたしは高校卒業後、京都市内の紙関係の商事会社に就職し半年ほどして大阪高槻の松下電子工業に転職した。それはテレビのブラウン管を製造する仕事で毎日ただひたすら決められた数のブラウン管を作るだけであった。昼休みにはみんな広場でソフトボールやバトミントンなどさまざまに過ごした。その工場の隣の班に横堀という同僚がいた。
休み時間に顔を合わせると不思議なことに、かれもアメリカへ行くということだった。
1976年11月、早起きして京都の家を出た。胸躍る新たなる門出。
空港でタイ エア・サイアム航空のロサンジェジェルス便に横堀氏と一緒に搭乗していざ出発した。
途中ハワイで給油中、食堂で食事しているとまわりが慌ただしくなった。英語がわからないのでわかりそうな日本女性のそばで話しを聞いた、今まで乗ってきたこの飛行機はロサンジェルスには行かないという。会社がつぶれたらしい。1965年に発足した格安料金航空会社が格安の看板に負けてこの日突然終焉を迎えたのだ。ギャグではなかった。なにもわたしの門出の日を狙ってつぶれなくとも、もう一日でも長く持ちこたえてくれれば良かった。みんな必死で電話したり対策を立てている。どうしていいかわからない。英語もわからないし公衆電話のかけ方も知らないしただおろおろして人の行き来を見守り途方に暮れて前途に拡がる虚空を見つめた。
fumio

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