ずっと昔に書いた記憶があるが、
離婚したとき、一瞬で自分の人生の景色が変わった。
人生そのものだけでなく、日常生活で目にするものの多くが
カラーからモノクロに変化し、何の色合いも感じられなくなった。
もちろん、世の中は何も変わらないが、心の変化がそう感じさせた。
とはいえ、その後、数年で再びカラーの景色に戻っていく。
そんな人生の大きな転機でなくとも、本来は誰でも日常でそんなことを感じることができる。
感性だけの違いで。
例えば、このコロナ流行、ウクライナの戦争、それによる世界での物流や品不足、円高と、
わずか数年で世界は大きく変化した。評論家以外のふつうの人で、誰がこんな時代を本気で予想していたか。
自分たちが生きてきた何十年の中でも、オウム事件や、東北と阪神の大震災、御嶽山の噴火による登山者の死
とにかく、予想しないことは多く起きている。
もっと小さい事件でも、多くの方が家族、子供、恋人を突然亡くされるニュースを毎日のように見ている。
そこで、あなた自身が何を感じて、どう行動するかは、人それぞれで、
良いも悪いもないし、正解不正解もない。
ただ、ひとつ言えるのは、感じてみたか、何も感じないかは大きな違いだということ。
その感じ方で、見える世の中も景色も違ってくる。
先日のWEB記事で、女優の仁科亜希子さんの壮絶な人生を読んだのだが、若いころから4回の癌を患い、
乗り越えてきたそうで、4回目には、「神様もういいかげんにしてよ」と叫んだという。ほんとうにそうだと思った。
今はまた元気に過ごされているようですが、はたからはそんな苦労は見えないが、
想像できないくらいの大変さを乗り越えてきたのだと知らされました。
どんな人生の景色を見ているのだろうとも感じました。
そして、どんな景色を見るのかは、受け身的ではなく、能動的なものだということも伝えたい。
感じるか、感じないか、それを受けてどう行動するかしないか、
自分に対しても、他人に対しても、どう在りたいのか。
この得体の知れない人生で、何をするのか、ただ過ごすのか。
すべては自分の選択なのだ。誰も指示していないし、強制できない。
確実なことは、時間は限られていて、先にも書いたように、未来はわからない。
であるなら、今日どう生きるのか。
将来への貯蓄も、未来予想図も必要かもしれないが、
確実なのは、今だけであると気づけるかどうか、今日の夕方のことは誰も知らない。
すべては希望的観測にすぎない。
たぶん今夜もいつも通りに、眠りのベッドに入れると思うし、ほぼそうなのだろうが、
そうならない世界を私たちは何度も目にしているはずだ。
ただ見ていないふりをしているだけに過ぎない。
いつも伝えているように、苦しみ、悲しみを越えていくには、
これまでと同じ視点、考え、見方をしたらその延長線にしか行けないし、乗り越えるのは大変だ。
あなたの人生でも最大級のひとつといえるかもしれない悲しみを乗り越えるには、
これまでと違った景色を主体的に見ていくことも大切ではないかと感じます。
もちろん、正解不正解はないですよ。
すべては自分で決めるしかないし、未来は誰も知らないのだから。
私自身は、悲観的にとらえても、楽観的にとらえても、
自分のコントロールできないことが起こるのだから、
すべてはプロセスのなかだと感じているから、
流れを感じて、流れに逆らわずに生きていくと決めています。
今日も一日大切に過ごしましょう。
離婚したとき、一瞬で自分の人生の景色が変わった。
人生そのものだけでなく、日常生活で目にするものの多くが
カラーからモノクロに変化し、何の色合いも感じられなくなった。
もちろん、世の中は何も変わらないが、心の変化がそう感じさせた。
とはいえ、その後、数年で再びカラーの景色に戻っていく。
そんな人生の大きな転機でなくとも、本来は誰でも日常でそんなことを感じることができる。
感性だけの違いで。
例えば、このコロナ流行、ウクライナの戦争、それによる世界での物流や品不足、円高と、
わずか数年で世界は大きく変化した。評論家以外のふつうの人で、誰がこんな時代を本気で予想していたか。
自分たちが生きてきた何十年の中でも、オウム事件や、東北と阪神の大震災、御嶽山の噴火による登山者の死
とにかく、予想しないことは多く起きている。
もっと小さい事件でも、多くの方が家族、子供、恋人を突然亡くされるニュースを毎日のように見ている。
そこで、あなた自身が何を感じて、どう行動するかは、人それぞれで、
良いも悪いもないし、正解不正解もない。
ただ、ひとつ言えるのは、感じてみたか、何も感じないかは大きな違いだということ。
その感じ方で、見える世の中も景色も違ってくる。
先日のWEB記事で、女優の仁科亜希子さんの壮絶な人生を読んだのだが、若いころから4回の癌を患い、
乗り越えてきたそうで、4回目には、「神様もういいかげんにしてよ」と叫んだという。ほんとうにそうだと思った。
今はまた元気に過ごされているようですが、はたからはそんな苦労は見えないが、
想像できないくらいの大変さを乗り越えてきたのだと知らされました。
どんな人生の景色を見ているのだろうとも感じました。
そして、どんな景色を見るのかは、受け身的ではなく、能動的なものだということも伝えたい。
感じるか、感じないか、それを受けてどう行動するかしないか、
自分に対しても、他人に対しても、どう在りたいのか。
この得体の知れない人生で、何をするのか、ただ過ごすのか。
すべては自分の選択なのだ。誰も指示していないし、強制できない。
確実なことは、時間は限られていて、先にも書いたように、未来はわからない。
であるなら、今日どう生きるのか。
将来への貯蓄も、未来予想図も必要かもしれないが、
確実なのは、今だけであると気づけるかどうか、今日の夕方のことは誰も知らない。
すべては希望的観測にすぎない。
たぶん今夜もいつも通りに、眠りのベッドに入れると思うし、ほぼそうなのだろうが、
そうならない世界を私たちは何度も目にしているはずだ。
ただ見ていないふりをしているだけに過ぎない。
いつも伝えているように、苦しみ、悲しみを越えていくには、
これまでと同じ視点、考え、見方をしたらその延長線にしか行けないし、乗り越えるのは大変だ。
あなたの人生でも最大級のひとつといえるかもしれない悲しみを乗り越えるには、
これまでと違った景色を主体的に見ていくことも大切ではないかと感じます。
もちろん、正解不正解はないですよ。
すべては自分で決めるしかないし、未来は誰も知らないのだから。
私自身は、悲観的にとらえても、楽観的にとらえても、
自分のコントロールできないことが起こるのだから、
すべてはプロセスのなかだと感じているから、
流れを感じて、流れに逆らわずに生きていくと決めています。
今日も一日大切に過ごしましょう。
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