離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

日常の在り方

2022-12-01 04:27:34 | 日記
あたたかいコメントやご心配をおかけしました。

特に何かあったわけではございませんでしたが、

日常の忙しさのなかで、すこし筆が遠ざかっておりました。

今日から12月に入り、今年もあと少しというところになりました。

世の中を見ていると、日々目まぐるしい変化を目の当たりにしますし、

物価高騰やコロナ8波と、まだまだ安心できる状況でもないようですね。

おひとりで生活していると、離婚という苦しみにプラスして

そんな安定しない日常や世情が、さらにしんどさをプラスするのではないでしょうか。

年末のイベントなどもテレビや街でみると、目をそらしたくなったり、

心が締め付けられるような気持ちになるかもしれません。

先日、ウクライナで生まれて2日の赤ちゃんが砲撃で亡くなったということや、

最前線にいく前日に結婚式を挙げた若い二人のニュースを見ました。

ご両親の思いはもとより、人間が生まれてくるとか、人生というのは何なのか

そんなことを考えざるを得ませんでした。

日本だって戦時中は同じであったのに、もうみんな忘れてしまったかのようです。

なぜこんな離婚とは関係なさそうな記事を書いているのかというと、

いつもお伝えしていることですが、離婚の苦しみを超えていくには、

結婚したとき、離婚したときとは、別次元での視点を得て、新しい自分の軸を見つけることが大切だからです。

排他的、刹那的になるというのではなく、

生きるということや、人生そのものをいろいろな視点でみて、

できれば起きてほしくなかった離婚という悲しみ、苦しみを自分自身のなかで

あらたに位置づけることで、その先が見えてくると思うのです。

偉そうに言っていますが、私自身はすでに15年以上の年月を経ても

今だに、そんなことを考えながら生きております。

離婚について何か月も全く考えないときは来ていないようです。

だからといって、悲しみのなかで生きているわけではなく

ただの思考のひとつであるということだけで、日常に影響は全くしませんし、

別の幸せや楽しみがあるわけです。

あなたが今、苦しんでいることはそれはそれでいい。

悲しみはふつうのことで、あなたが弱いわけでも、おかしいわけでもない。

私も含めて、みんなが通ってきた道。

一歩、一歩です、焦っても、焦らなくても、

自分のプロセスに任せましょう。

今日も一日、なんとか乗り切れますように。

また少しずつ年末に向けて、記事を更新していきます。





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1 コメント

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Unknown (behonestasmyself)
2022-12-04 09:07:41
多くの方々のこころの支えとなるようなブログを書いている方が、しばらく更新がないと、やはり不安や心配な気持ちが生起するものです。

それで、久しぶりにでも更新されて、著者が元気そうだと思うと、やはり嬉しいという感情が生起するものです。

そして、それでおしまいにする。感情の奴隷にならない。思考の奴隷にならない。
「最近更新がないな、心配だな」という感情がある。そう考えている。と、そう観察する。心配だからと暗く落ち込むところまで連れ去られない。

「更新された、元気そうで良かった」という感情がある。そう考えている。と、そう観察する。元気そうで良かった、それが分かって私も幸せだ、などと巻き込まれない。

離婚という出来事についても同じかと思っております。
この人間社会における結婚の意味合いを理解しているなら、やはり離婚という出来事は重大だと考えることができます。
その出来事に不快な感情を抱くことがまともであるという見解は当然に成り立つと思います。その出来事を数ヶ月にわたって考えることがなくなる、そういうことは適切ではないという見解が成り立ちます。

離婚の出来事、その記憶から不快感を生じる。そういう感覚がある。そう観察する。

そんな好まない記憶を、ときどき思い出してしまう認識機能が存在する。そう理解する。

そして、その奴隷にならない。

思い出せば必ず不快感を生ずる離婚という出来事、そんなことは自分の人生にあって欲しくなかった、と、そういう思考が存在する、と理性で観察する。

離婚の出来事を忘れたいと願うこころの働きがあると、理性で観察する。
できればそんなことはなかったら良かったのに、と、そう思う気持ちがあると、理性で観察する。

感情も、こころの働きも、気持ちも、好ましい餌を与えてあげないと、どんどん好ましくない方向に暴れる怪物、バケモノのようなものだと思います。そんなものの奴隷になっていたら、幸福になるのに大変な苦労がいります。

感情やこころを理性で観察し、調伏していくことは大切なことだなあ、と、私には最近、そういう見解があります。

うつ状態の頃の自分に、このことが理解されていたらどうであったろうか、と思いますが、それは推測不可能なことで、考えても仕方がないのだろうと思います。
脳みそが不健全な働きしかできなくなっているとしたら、理性は正しくは働かないのだろうし、そんなときは適切な服薬などが必要なときもあるのだと思います。

なんにせよ、fujyouriさまのご無事が分かってホッとしました。一気に寒さが増してきております。お身体に気を付けてお過ごし下さいますよう。

ここを訪れる方々の悩み苦しみがなくなりますよう。
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