最近は、ほんとうにいろいろなニュースがある。
ウィルス問題で、街からはマスクが消えた。
たしかに近所の薬局のどこにもない。
ネットで高額で売る人もいるというから、一部の買占めも要因のひとつだろう。
だが、普通の家だって、家族分の1カ月分ともなれば、少なからず量が必要であるから、
買占めたくなくても、買わざるを得ない。
他人は二の次である。
また、芸能人の不倫や薬物事件は毎日のようにあるし、
離婚のニュースも多い。
世の中の人は、単なる他人事で、ドラマを見るのと変わらないような感覚だろう。
芸能人でなければニュースにもならないが、
我々の周囲でも、不倫や薬物に関わる人がたくさんいるのが現実だろう。
要するに、人間というのは、そういうものだということ。
聖人君子でもないし、強さもあるし、弱さもある。
他人よりも身内を優先する場合がほとんどで、
自分よりも他人を優先できる人はわずかだ。
不倫なんて、相手の家庭を壊すことを考えれば、おすすめできないが、
それでもこれだけ多いのは、やはり自分が中心の証拠である。
だが批判も難しい。なぜなら、いつもいうように、他人は変えられないのだから、
他人の人生に介入するなんて中途半端なことはできない。
そしてその責任は自分でとるしかない。
いつも言うが、人生は自分自身でしか生きられない。
これらの最近のニュースをみて、くだらないと思うことも、
人生に絶望することも、刹那的に生きることもできるでしょう。
だが、結局のところ、どう生きるのかはその人次第。
人間、人生を正しく認識して、そのルールは絶対であるという基盤のもとに、
じゃあ、どうするのか?どうしたいのか?
そこが大切ではないだろうか。
いつも言うのだが、人生は、トランプゲームと同じで
配られたカードで勝負するしかない。しかも一度しかプレーできない。
死ぬこと以外はすべてかすり傷 というようなことを言っている方がいるが、
実際にそうだと私も思う。
かつて、聖路加病院の日野原先生は、クリスチャンだが、
死が最大の試練、課題だとしたら、人生で起こることはその練習にすぎないとも
言っていた。
人生は何が起こるかわからない。
離婚を経験したのだから、そのことは実体験としてわかると思う。
離婚は良い出来事ではないかもしれないが、
それは、良いことも悪いことも同じように未来はわからないということも示している。
将来の自分の生き方こそが、離婚を良いものにも悪いものにもしていくのだと思う。
過去の出来事に意味を与えることができるとすれば、
それは現在の、そして将来の在り方がその意味をつくる。
新しい、素敵な人生になれば、離婚もまたターニングポイントとなるであろし、
別れた相手とのことも、人生に大切な出会いであったことにもなるかもしれない。
それで残りの人生が崩れてしまえば、ただ辛い出来事で終わってしまう。
厳しい言葉になるが、やはりどう自分が生きていくのか、
それが未来を決めていくのではないだろうか。
ウィルス問題で、街からはマスクが消えた。
たしかに近所の薬局のどこにもない。
ネットで高額で売る人もいるというから、一部の買占めも要因のひとつだろう。
だが、普通の家だって、家族分の1カ月分ともなれば、少なからず量が必要であるから、
買占めたくなくても、買わざるを得ない。
他人は二の次である。
また、芸能人の不倫や薬物事件は毎日のようにあるし、
離婚のニュースも多い。
世の中の人は、単なる他人事で、ドラマを見るのと変わらないような感覚だろう。
芸能人でなければニュースにもならないが、
我々の周囲でも、不倫や薬物に関わる人がたくさんいるのが現実だろう。
要するに、人間というのは、そういうものだということ。
聖人君子でもないし、強さもあるし、弱さもある。
他人よりも身内を優先する場合がほとんどで、
自分よりも他人を優先できる人はわずかだ。
不倫なんて、相手の家庭を壊すことを考えれば、おすすめできないが、
それでもこれだけ多いのは、やはり自分が中心の証拠である。
だが批判も難しい。なぜなら、いつもいうように、他人は変えられないのだから、
他人の人生に介入するなんて中途半端なことはできない。
そしてその責任は自分でとるしかない。
いつも言うが、人生は自分自身でしか生きられない。
これらの最近のニュースをみて、くだらないと思うことも、
人生に絶望することも、刹那的に生きることもできるでしょう。
だが、結局のところ、どう生きるのかはその人次第。
人間、人生を正しく認識して、そのルールは絶対であるという基盤のもとに、
じゃあ、どうするのか?どうしたいのか?
そこが大切ではないだろうか。
いつも言うのだが、人生は、トランプゲームと同じで
配られたカードで勝負するしかない。しかも一度しかプレーできない。
死ぬこと以外はすべてかすり傷 というようなことを言っている方がいるが、
実際にそうだと私も思う。
かつて、聖路加病院の日野原先生は、クリスチャンだが、
死が最大の試練、課題だとしたら、人生で起こることはその練習にすぎないとも
言っていた。
人生は何が起こるかわからない。
離婚を経験したのだから、そのことは実体験としてわかると思う。
離婚は良い出来事ではないかもしれないが、
それは、良いことも悪いことも同じように未来はわからないということも示している。
将来の自分の生き方こそが、離婚を良いものにも悪いものにもしていくのだと思う。
過去の出来事に意味を与えることができるとすれば、
それは現在の、そして将来の在り方がその意味をつくる。
新しい、素敵な人生になれば、離婚もまたターニングポイントとなるであろし、
別れた相手とのことも、人生に大切な出会いであったことにもなるかもしれない。
それで残りの人生が崩れてしまえば、ただ辛い出来事で終わってしまう。
厳しい言葉になるが、やはりどう自分が生きていくのか、
それが未来を決めていくのではないだろうか。