対人関係で、多くの人が苦悩している。
職場でも、家族でも、ご近所でも、友人でも
そして、恋人や夫婦でも。
多くの人が、相手に要求しているからなのです。
人間だから、誰しも不安になったり、心配になったり、
イライラしたり、腹が立ったり、そういう感情はあるものです。
そんなときに、自分ではなく相手に原因を求める。
相手が〇〇してくれない、相手が〇〇するから、
相手の言葉が・・・、相手の態度が・・・、
冷静になって考えてみると、
たとえば、自分が上機嫌で、最高に幸せな気分のとき、
絶好調のときは、たいていの相手のことには我慢できるのではないだろうか、
大抵のことには寛容になれるのではないだろうか。
そして、寛容ではないとき、それは自分自身に余裕がないときではないだろうか。
相手に原因を求めるのは一番安易で簡単な方法で、
自分は傷つかないし、自分は悪くない、相手のせいだから。
他責の人というのは、そうやって生きてきている。
離婚した相手が、もしあなたのことを責めているなら、
それは他責の人かもしれない。
だからといって、自責して、自分で自分を苦しめるように言っているのではありません。
それで自己責任だと自分で追い詰める必要もありません。
ただ、他人、相手に自分の感情の原因を求めてしまうと、
いつも言うように他人は変えられないのだから、
長い間、自分の感情を他人にコントロールされてしまうようなものでないだろうか
自分の感情の主人公は自分の内にあるのであって、外にはない。もちろん他人は本来は関係ない。
間接的には関与するだろうか、最終的に自分の感情を決めるのは自分でしかない。
言われなくても、誰でもわかるのに、
はじめに書いたように、多くの人が相手のせいにする。
どうにもならない相手のせいで、自分の感情を左右されるなんて、なんとも無駄ではないか。
他人は変えられない。
どんなに説得しようとも、どんなにお願いしたところで、
相手も含めて、変えられるのは自分のことだけなのだ。
このことが本質的に理解できるようになると、
他人をコントロールすることがなくなり、とっても気持ちが楽になるはずだ。
職場でも、家族でも、ご近所でも、友人でも
そして、恋人や夫婦でも。
多くの人が、相手に要求しているからなのです。
人間だから、誰しも不安になったり、心配になったり、
イライラしたり、腹が立ったり、そういう感情はあるものです。
そんなときに、自分ではなく相手に原因を求める。
相手が〇〇してくれない、相手が〇〇するから、
相手の言葉が・・・、相手の態度が・・・、
冷静になって考えてみると、
たとえば、自分が上機嫌で、最高に幸せな気分のとき、
絶好調のときは、たいていの相手のことには我慢できるのではないだろうか、
大抵のことには寛容になれるのではないだろうか。
そして、寛容ではないとき、それは自分自身に余裕がないときではないだろうか。
相手に原因を求めるのは一番安易で簡単な方法で、
自分は傷つかないし、自分は悪くない、相手のせいだから。
他責の人というのは、そうやって生きてきている。
離婚した相手が、もしあなたのことを責めているなら、
それは他責の人かもしれない。
だからといって、自責して、自分で自分を苦しめるように言っているのではありません。
それで自己責任だと自分で追い詰める必要もありません。
ただ、他人、相手に自分の感情の原因を求めてしまうと、
いつも言うように他人は変えられないのだから、
長い間、自分の感情を他人にコントロールされてしまうようなものでないだろうか
自分の感情の主人公は自分の内にあるのであって、外にはない。もちろん他人は本来は関係ない。
間接的には関与するだろうか、最終的に自分の感情を決めるのは自分でしかない。
言われなくても、誰でもわかるのに、
はじめに書いたように、多くの人が相手のせいにする。
どうにもならない相手のせいで、自分の感情を左右されるなんて、なんとも無駄ではないか。
他人は変えられない。
どんなに説得しようとも、どんなにお願いしたところで、
相手も含めて、変えられるのは自分のことだけなのだ。
このことが本質的に理解できるようになると、
他人をコントロールすることがなくなり、とっても気持ちが楽になるはずだ。
その瞬間、憎しみだけが浮き彫りになり、子供を味方につけ嫌悪感の嵐が吹き荒れた。
もはや、どうしようもなく、離婚を受け入れた。
元嫁は、言った。お金をきっちり払って、とっととくたばれ!
挙句の果てに人生も返せとも言われた。
それでも、私は元妻に感謝すべきなのであろうか。
当時の僕には分かるはずもなく、ただ当然だとか責任を取るだとか思い結婚という選択肢を選んだ。
離婚した今では自分が愛していたのか愛されていたのか全く分からないけれど、知らぬ間に相手への依存心だけは大きくなっており壮大な喪失感だけが残った。
今、生き続ける事が僕の最大の課題であると思ってはいるが人生の後半戦にここまで苦しまないといけないのかと思うと結婚という選択肢を選んだことを激しく後悔してしまう。
彼らが私から逃れ、自由にのびのびと生活しているなら、それでいいと思えるようになった。
自分の欲求を満たすために彼らが嫌がることをしても、ますます嫌われることを呑み込むことができてきた。
勿論、子供との音信不通は改善したい。でも、今は無理だ。
随分と遠回りをしてきた。随分と自分で自分を虐めてきた。責めてきた。
もう、そろそろいいかなと思う。
子供にとって私がそばにいなくても、困らないのだから、それでいい。
そして、私も彼らを頼ってはいけない。
今は、彼らにとって親は、母親だけだ。
酷いことをしても、本人は新しい女性とヨーロッパ旅行へ行っている。
私には、会社の経営が厳しいから、婚姻分担費も払えない、養育費は最低の金額でと言ってきたのに。
それを信じて情けをかけた私もバカだった。
そこまで冷酷な人だとは、悲しすぎる。
私もあんな風に冷酷になれれば、戦えるのに。
でも、できない。
そんなに私が憎いのか、もしくは、そういう人格の人なのか?
よい時も知ってるから、余計混乱してしまう。
もうあの人のことは思い出したくない。
でも、憎しみを手放したら、奴の思いのままになる。
でも、自分のために、娘のために、この憎しみを手放したい。
淋しい、苦しい。
心の支えが欲しい。
そこまで出来るのは元々冷たい人だと思ったり、自分が悪かったと責めたり、でもそこまでされるのこともないと、さまざまな思いが渦巻きます。
良いときの思いも忘れられず…
いろいろな思いで苦しくなる、相手を恨むという気持ちも消し去りたい。けれど相手に言われた、親ならしっかりするべきだという言葉などを思い起こすと、子供の事情を抱えたことを理解をしてもらえなかったことが悔しく、もうそんな思いから自分を開放してもよいのじゃないかと思うのです。
そして、動けない自分、生きる気力もない。
「離婚うつ」なんだと自覚する...
寂しい、苦しい、生きることが辛い。
毎日、死にたいと思うが、死ぬ事が怖くて出来ない。
両親が老いていく姿
両親がいなくなったら、僕はどうなるのだろう。
今、布団から起き上がる事が出来ない。