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佐藤友哉『デンデラ』(新潮文庫)

2018-02-28 | 書評「さ」の国内著者
佐藤友哉『デンデラ』(新潮文庫)

斎藤カユは見知らぬ場所で目醒めた。姥捨ての風習に従い、雪深い『お山』から極楽浄土へ旅立つつもりだったのだが。そこはデンデラ。『村』に棄てられた五十人以上の女により、三十年の歳月をかけて秘かに作りあげられた共同体だった。やがて老婆たちは、猛り狂った巨大な雌羆との対決を迫られる―。生と死が絡み合い、螺旋を描く。あなたが未だ見たことのないアナザーワールド。(「BOOK」データベースより)

◎五十人の老婆が巨大熊と戦う

佐藤友哉は2001年(21歳)『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』(講談社文庫)で第21回メフィスト賞を受賞して作家デビューしました。投稿時は19歳でした。しかし本作も含めて、しばらくは評価されませんでした。

その後、2007年、島本理生と結婚、離婚、復縁を繰り返したあたりから、少しずつ頭角を現してきました。

島本理生は、何度も芥川賞候補になっている作家です。作家としては、佐藤友哉の先を走っていました。しかし2009年『デンデラ』(新潮社)を読んで、佐藤友哉が島本理生を抜いたと確信しました。

『デンデラ』は「姥捨山には、続きがあった」というキャッチフレーズで、2011年映画化されました。浅丘ルリコ、倍賞美津子、山本陽子、草笛光子らの競演は、大きな話題になりました。。

佐藤友哉は、本書の創作秘話を語っています。紹介させていただきます。

――『デンデラ』は、五十人の老婆が巨大熊と戦うだけの話で、実際、「五十人の老婆と巨大熊」というタイトルで書き進めていたほどだ。それが『デンデラ』となったのは、小説を書き終えて、あとは世に出すだけとなった本当にギリギリのタイミングだった。ぼくは一括置換機能を使い、それまで作中に一言も出てこなかったデンデラという言葉と、ある言葉を置き換え、『デンデラ』を完成させた。以上、創作秘話をお送りしました。(佐藤友哉、『波』2009年7月号より)

コラムニストの香山二三郎は『波』(2009年7月号)の中で、「デンデラ」は柳田国男の『遠野物語』から借用したものだと書いています。調べてみました。

柳田国男『遠野物語』に、「111.ダンノハナと蓮台野」という章がありました。60歳になった老人は、蓮台野に追われるという話です。追いやられた老人は、日中は里へ降りて農作業などを手伝います。こうした姥捨ての地は、デンデラ野と呼ばれていました。デンデラ野は、漢字で蓮台野と表記しますが、蓮台野は「れんだいの」と読みます。これを遠野では「デンデラノ」と転訛したのだと伝えられています。

◎『楢山節考』と重なる

『デンデラ』の冒頭は、深沢七郎『楢山節考』(500+α推薦作)と重なります。70歳を迎えた主人公の斎藤カユは、我が子に背負われて、真冬の山に棄てられます。カユは寒さと疲労で気を失います。目覚めると老婆ばかりの集団の中にいました。そこはデンデラと呼ばれ、49名の老婆が共同生活をしていました。すべて村の掟により、山に棄てられた老婆ばかりです。長老・三ツ屋メイ(100歳)は、カユに自分たちを捨てた村へ復讐すると告げます。デンデラでは、村への襲撃を目論む襲撃派と穏健派が対立していました。

デンデラ村に疫病が流行します。収穫も乏しく、自給自足の生活に暗雲が垂れこめます。そんなときに、巨大なヒグマに襲撃されます。すさまじいシーンが続きます。

デンデラ村に運ばれて以来、カユは極楽浄土へ行きそびれたことを恨みに思っています。しかしカユはデンデラ村のために、毅然として困難に立ち向かいます。

『デンデラ』は、スケールの大きな作品です。映画は観ていませんが、佐藤友哉はこの作品で花開きました。存分にご堪能ください。
(山本藤光:2010.12.14初稿、2018.02.28改稿)

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