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佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』(新潮文庫)

2018-10-07 | 書評「さ」の国内著者
佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』(新潮文庫)

俺は今昔亭三つ葉。当年二十六。三度のメシより落語が好きで、噺家になったはいいが、未だ前座よりちょい上の二ツ目。自慢じゃないが、頑固でめっぽう気が短い。女の気持ちにゃとんと疎い。そんな俺に、落語指南を頼む物好きが現われた。だけどこれが困りもんばっかりで…胸がキュンとして、思わずグッときて、むくむく元気が出てくる。読み終えたらあなたもいい人になってる率100%。(「BOOK」データベースより)

◎締まらない落語教室

佐藤多佳子は1962年生まれの一児の母親です。青学中等部でアストリッド・リンドグレーン『やかまし村』シリーズに出逢って以来、ずっと児童文学の愛読者でした。そして自らも児童文学を書きはじめ、1989年に『サマータイム』(新潮文庫)で月間MOE童話大賞を受賞しデビューしています。児童文学について、佐藤多佳子自身は次のように語っています。

――中学高校時代、私は、まさに、児童文学マニアでした。今思うと不思議なほどの強烈な思い入れとストイックさを持って、子どもの本のみを愛していました。(あさのあつこ編集『10代の本棚』岩波ジュニア新書P99)

 デビューから約10年の1998年、佐藤多佳子は大人向けの素敵な作品『しゃべれどもしゃべれども』(新潮文庫)を上梓します。本書は吉川英治文学新人賞および山本周五郎賞にノミネートされましたが、受賞には到りませんでした。しかし「本の雑誌」で高い評価を得たり、映画化され大いに話題になりました。

 主人公はうだつの上がらない二ッ目の落語家・今昔亭三ッ葉。『しゃべれども しゃべれども』は、三ッ葉が「俺」として綴る形式になっています。自らの落語もままならない「俺」は、ひょんなことから四人の生徒に「落語」を教えることになります。
「俺」は頑固で生真面目な二十六歳。茶道教室を開いている祖母との二人暮らしです。「俺」はそこへ通う生徒の郁子に恋しています。その郁子から関西から引っ越してきた小学生の甥・村林優に話し方を教えてほしいと頼まれます。優は関西弁を同級生に笑われ、いじめにあっていると郁子はいいます。
 そんなきっかけで、「俺」は落語「まんじゅうこわい」を指導することになります。その教室には、個性的な三人が加わることになります。
 十河五月は美人ですが、人との会話がうまくできなく悩んでいます。綾丸良はテニス教室でコーチをしていますが、吃音の持ち主で口下手です。湯河原は元阪神の代打の切り札で、引退してラジオで解説をしています。解説はとてつもなく下手くそです。
 本書はそれらの生徒をなだめすかし、時には怒り狂う「俺」の奮戦記であり成長物語です。四人の生徒を総括して。北上次郎は次のように書いています。

――ようするに、自分を表現することが苦手なために、周囲とぶつかっている人間たちだ。世の中と折り合いが付けられずに苦しんでいる人間たちだ。(北上次郎『エンターテインメント作家ファイル』本の雑誌社P142)

◎金木犀を意識して

映画では四人の生徒のうち、綾丸良は削除されているようです。映画を観ていませんが、キャストをみると存在していなかったのです。私は「俺」を支える良が、最も重要な役割をしていると思っています。

本書には大きな事件も、派手な立ち回りもありません。そしてエンディングは、誰もが想像できる展開になります。それでも本書に深く揺すぶられますし、それぞれの登場人物に「がんばれ」と声援をおくりたくなります。佐藤多佳子は巧みな比喩を用いて、読者を物語のなかに引きずり込みます。児童文学作家に特有な、登場人物の内面までみごとに描き上げてみせます。

本書を代表する名場面を紹介します。「俺」と十河は散歩中にほおずき市に遭遇します。二人でおみくじを引くと、二人とも凶でした。そして一度ほおずきがほしいといった十河に、プレゼントしようとすると、十河はひょうへんして「いらない」といいます。以下物語の引用です。

――「買ってくれっていったじゃないか」/「気が変わった」/「なんでだ?」/「別に」/女じゃなかったら、思いきりひっぱたいているところだ。(本文P124)

そしてその後の展開も紹介します。「俺」は十河の住む家へ行きます。

――しばらく迷ってから、門の前にほおずきの鉢を置いた。大吉のおみくじを添え木に結んだ。/そのまま、こっそりと帰った。(本文P131)

佐藤多佳子は飾らない文章で、テンポよく物語を進めます。物語の中で何度か登場する、「金木犀(キンモクセイ)」を意識してお読みください。秋の読書に最適な一冊を紹介させていただきました。
山本藤光2018.09.07

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