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滝井孝作『無限抱擁』(講談社文芸文庫)

2018-03-11 | 書評「た」の国内著者
滝井孝作『無限抱擁』(講談社文芸文庫)

男と女が出会ったのは吉原。春に出会い晩秋に別れた。それから三年目の春、二人は再会する。そしてその年の冬、男は求婚し結婚した。…出会ってから六年目、一月に雪、二月の或る朝、女は息を引き取った。血を吐き死んだ。―著者のストイックな実体験を、切ない純粋な恋愛小説に昇華させ、「稀有の恋愛小説」と川端康成に激賞された不朽の名作。日本近代文学史上屈指の作品。(「BOOK」データベースより)

◎ まるで、だだっ子

 瀧井孝作は、1894(明治27)年に飛騨高山で生まれました。13歳で母親を失い、15歳で魚問屋の丁稚となります。このころ俳句に興味をもち、河東碧吾郎に師事します。
 その後、芥川龍之介の知遇を得て、佐佐木茂索や小島政二郎らと知り合い、創作への道を踏み出します。また志賀直哉を慕い、その転居先を千葉県我孫子からはじまり、京都、奈良と追いかける執拗さをみせます。

小町谷新子『一生の春 父・瀧井孝作』(蝸牛社、初出1990年)を読みました。著者は瀧井孝作の次女です。非常に暖かな眼差しで、父親やそれを取り巻く人々を活写していました。また瀧井孝作が愛した風景を、実にていねいに描写しています。
 
――父は勝手に毎日出て歩き、勝負事に徹夜や朝がけ、坐のあたたまるときがない。たまに帰って来ると、他人の持ち物が気に入ってそれと同じものがほしくなったりする。ストーブがほしいという。今すぐ三十円が必要だという。一日三十銭の石炭代がいる。それはあまりに今の生活からは贅沢だと母が云うと、「俺の云うことに何でも買わせまいとする」と父は怒る。まるでだだっ子である。(本文より)

――父は、高山のものは何でも自慢した。高山から送られた塩せんべいをたべると、「これには高山の空気が入っているヨ」と嬉しそうだった。(本文より)

『一生の春』は文人としての瀧井孝作と、父親としての瀧井孝作がみごとに書き分けられています。そしてその落差が、何ともいえないおかしさを誘います。

◎芥川賞の選者

 瀧井孝作は、芥川賞の第一回から第八十五回までの選者でもありました。瀧井孝作は第一回の芥川賞の選評でこういっています。
 
――こんどの候補者選出の責任はぼくにある。この五人のほかにもっとよい候補者があったかも分からない。もし洩れていたらぼくの識見の至らない点で、はなはだ相済まないことだと思うし、ひたすらお詫びするわけだ。(「芥川賞全集・第一巻」より)

私はこの文章を読んだ後、書棚に並んでいる「芥川賞全集」の中から、瀧井孝作の選評をたどってみました。やさしいのです。芥川賞の候補作をきめ細かに読み、前作からの成長を見極めています。また作者の出身地まで考え、作品の中にその影を見出します。ていねいでもあります。

◎生真面目と正直

 主人公の竹内信一は、小説家を志す二十三歳。吉原の遊郭で二十一歳の松子と知り合います。彼は松子の正直な性格と美貌に一目惚れし、一緒になりたいと切望します。信一の生真面目な性格を熟知している周囲の人は、心配します。
 結婚を迫る信一に、松子は我が身の不浄さを考えて拒絶します。それからの信一は、抜け殻のような状態になります。
 そして約一年後、二人は再会します。松子は信一の申し入れを受諾して、結婚します。しかし新婚間もない松子は、結核に罹患してしまいます。
 喀血。松子の死。物語は単純なのですが、研ぎ澄まされた文章が臨場感を与えます。瀧井孝作の文章について、触れている論評があります。

――瀧井孝作の散文は俳文に端を発している。また、私小説は日本の文学伝統のうちでは随筆文学にも根をもっているにちがいない。(松原新一ほか『戦後日本文学史・年表』講談社P331)
 
本書は瀧井孝作の自伝小説です。タイトルの「無限抱擁」は、「夢幻泡影」をもじったものです。夢幻泡影(むげんほうよう)は、人生や世の中の物事は実体がなく、非常にはかないことのたとえです。(むげんほうえい)とも読みます。

◎塩せんべい美味いだろう

 川端康成は『無限抱擁』を、希有な恋愛小説として絶賛しています。川端康成の『雪国』の冒頭文は、本書の影響を受けているという説もあります。

――浅川駅よりトンネルもなくなり空は夜明であった。/車室の窓ぎわで一人、信一は、靄(もや)の間から麦の穂の赤んで居る有様に向いて、「もう麦が赤む」と呟いた。(『無限抱擁』冒頭文)

 小林秀雄は瀧井孝作の文章を引いて、次のように書いています。

(小林秀雄の引用箇所)
――街角の裂目に、しのばずの水面が光って居た。松子は惹かれるような気がして、供れの信一に一寸目を呉れた。彼も一緒に水面の光っておる方へ踏出した。/平に伸べた水が明るく、池べりの広っぱの上には疎らな砂利が残っており、二人が踏む其僅な礫が折々音を立てた。(本文P76)

 引用文はもっと長いのですが、割愛することにします。以下、小林秀雄の文章です。

――何と正確な拡張をもった溌剌たる文体であろう。この文章から光と陰とが同時に在る様な映像が浮かび上がる。(小林秀雄『全文芸時評集・上巻』講談社文芸文庫P37)

過日、友人家族と飛騨高山へ行って、自分たちで塩せんべいを焼いて食べました。瀧井孝作の自慢げな声が、聞こえたような気がしました。
 (山本藤光1998.12.05初稿、2018.01.06改稿)

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