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佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫)

2018-03-12 | 書評「さ」の国内著者
佐藤正午『ジャンプ』(光文社文庫)

その夜、「僕」は、奇妙な名前の強烈なカクテルを飲んだ。ガールフレンドの南雲みはるは、酩酊した「僕」を自分のアパートに残したまま、明日の朝食のリンゴを買いに出かけた。「五分で戻ってくるわ」と笑顔を見せて。しかし、彼女はそのまま姿を消してしまった。「僕」は、わずかな手がかりを元に行方を探し始めた。失踪をテーマに現代女性の「意志」を描き、絶賛を呼んだ傑作。(「BOOK」データベースより)

◎直木賞作家のデビューのころ

佐藤正午は『永遠の1/2』(集英社文庫)で、すばる文学賞を受賞してデビューしました。当時私は、サラリーマンと書評家の二束のワラジをはいていました。いまは廃刊になりましたが、PHP研究所のメルマガ「ブックチェイス」で、毎週文芸書の紹介をしていたのです。
 
佐藤正午『永遠の1/2』は、新人離れした刺激的な作品でした。しかしその後の作品(『王様の結婚』(集英社文庫)以降の作品は、あまり感心できませんでした。

逃げ腰になった私の襟首をつかまえて、引きもどしてくれたのが『Y』(ハルキ文庫、初出1998年)でした。『Y』は忘れかけていた佐藤正午が、久し振りで存在感を示してくれた傑作だったのです。もちろん書評を発信しました。
 
それまでの佐藤正午が描く小説の舞台は、すべて佐世保に似た西海市でした。純文学でデビューした佐藤正午は、少しずつ立ち位置を変えはじめています。そして安住の舞台である西海市をかなぐりすてました。
『Y』は揺れ動く自分自身との、訣別を告げた作品だったのです。
 
その後佐藤正午は、『個人教授』(角川文庫、初出1988年)で山本周五郎賞を受賞します。ここまでは浮沈をくりかえしながらも、巧みな作家がいるくらいの印象でした。
 
少し駆け足で、デビュー作『永遠の1/2』から『Y』までの奇跡をたどりたいと思います。単行本(初版)の帯コピーを、ならべてみることにします。そして冒頭の1行をそえてみたいと思います。佐藤正午の初期作品は、チャンドラーの影響が色濃くでています。
 
■『永遠の1/2』(集英社文庫、初出1984年集英社)
帯コピー:ぼくがこよなく愛したもの。ウイスキー、競輪、チャンドラー、バルドー、江川卓、そして、良子、2つ年上――。通りすぎた愛、ぼくらの青春。
冒頭の1行:失業したとたんにツキがまわってきた。

■『王様の結婚』(集英社文庫、初出1984年集英社)
帯コピー:苦しすぎたあの愛。過去完了。もうひとつの愛。現在進行形――。すばる文学賞『永遠の1/2』に続く、待望の第二弾!
冒頭の1行:西海市青柳町三三-二一というのが女の住所だった。

■『リボルバー』(集英社文庫、晶出1985年集英社)
帯コピー:17歳には17歳の誇りがある。怒りも、そして殺意も。拳銃を拾った少年は北へ。拳銃を失くした元警官も、北へ。奇妙な味のサスペンス。初の書き下ろし長編。
冒頭の1行:「寝てるのか」と、芝生のうえに寝そべって眼をつむった男が訊ねた。

■『ビコーズ』(光文社文庫、初出1986年光文社)
帯コピー:10年前に起こした心中事件はなんだったのか? ビコーズ BECAUSE……/なぜなら 僕は 君を――。新感覚の青春小説。
冒頭の1行:「あんたはいつも片眼を閉じてるから駄目なのよ」と、よく叔母は言った。

■『Y』(ハルキ文庫、初出1998年角川春樹事務所)
帯コピー:アルファベットのYのように人生は右と左へわかれていった。(略)<時間(とき)>を超える究極のラヴ・ストーリー。
冒頭の1行:一九八〇年、九月六日、土曜日。その夜、青年は渋谷駅のプラットホームで女を見かけた。

■『ジャンプ』(光文社文庫、初出2000年光文社)
帯コピー:自分で自分の人生を選び取ったという実感はありますか? 失踪をテーマに、現代女性の「意志」を描く。著者待望の文芸ミステリー。
冒頭の1行:一杯のカクテルがときには人の運命を変えることもある。

身辺雑記に思いつきを重ねて、青春を描きつづける。純文学と佐世保という呪縛からのがれようとあがく若い作家。そんな固定概念を佐藤正午は、『Y』と『ジャンプ』で払拭してみせました。

◎佐藤正午は飛躍した

『ジャンプ』で、佐藤正午は飛躍しました。こじつけがましいのですが、私にはそう感じさせられるタイトルでした。『ジャンプ』を読みながら、村上春樹を連想しました。文体のリズムがどこか似ているのです。

『ジャンプ』は半年間つき合っていた、恋人の失踪をテーマにしています。主人公の「僕」(三谷純之輔)は「酒に弱い」。「毎朝リンゴを1個食べる」ことを習慣にしています。2つの単語が、物語のキーワードになります。

ある日恋人(南雲みはる)の行きつけの店で、カクテルを飲んだ「僕」は酔いつぶれます。そして恋人に連れられて、彼女のマンションまでたどりつきます。部屋へはいってから「僕」は、リンゴを買い忘れたことに気づきます。みはるは「リンゴを買ってくる」と出かけたまま、失踪してしまいます。

酔っていた「僕」は、それにも気づかず朝をむかえます。その朝、「僕」は札幌へ出張しなければなりません。後ろ髪を引かれる思いで、主のもどっていない部屋をでます。

出張からもどって「僕」は、恋人の部屋を訪ねます。不在。「僕」はみはるの姉とともに、恋人の足跡をたどりはじめます。「僕」がカクテルを飲み過ぎなければ……。「僕」がリンゴを求めなければ……。恋人の失踪はなかったのでしょうか。後悔の間から、疑念がわきあがります。

 少しずつみはるの行動が、かいま見えてきます。「僕」には、みはるがなにを考えているのかわかりません。いたずらに月日がたってゆきます。

『ジャンプ』は仮定形の世界をさまよう「僕」と、失踪した恋人の現在形の心模様を描いた良質な作品でした。佐藤正午は「ヒロインが失踪し、5年後に再会することはきめていた」となにかに書いていました。つまりテーマを温めつづけ、熟成のときを待っていたのです。本書は思いつきで書かれた作品ではありません。

成長した佐藤正午の、記念碑的な作品と申し上げます。佐藤正午は、大きな文学賞とは無縁の作家です。純文学と佐世保から脱皮した佐藤正午は、もうひとつ脱がなければならないものがあります。それは若い主人公との訣別です。
 
佐藤正午は「すばる文学賞」の応募作品につぎのような手紙をそえています。
――届いたらなにしろ連絡を下さい、それから、仕事ありませんか?(『すばる』1991年12月臨時増刊、「すばる文学賞・特集別冊1991」より)

しばらくして集英社編集部から電話がありました。「仕事あります」。「ジャンプ」した佐藤正午に読者は、どんなコメントを発信するのでしょうか。私は「ものすごく可能性あります」と伝えたいと思います。

ここまでが『ジャンプ』を読んでの感想でした。あれから6年。佐藤正午はいまだに、私の期待に応えてはくれません。佐藤正午、がんばれ。
(山本藤光:2010.05.11初稿、2018.03.12改稿)

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