深沢七郎『楢山節考』(新潮文庫)
お姥捨てるか裏山へ、裏じゃ蟹でも這って来る。雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しいの掟なのだ―因習に閉ざされた棄老伝説を、近代的な小説にまで昇華させた『楢山節考』。ほかに『月のアペニン山』『東京のプリンスたち』『白鳥の死』の3編を収める。(「BOOK」データベースより)
◎人生永遠の書の一つ
深沢七郎が『楢山節考』(新潮文庫)で中央公論新人賞を受賞し、文壇デビューをしたのは42歳(1956年)のときです。それまでは日劇ミュージックホールで、ギターをひいていました。
『楢山節考』は発表と同時に、大きな話題となりました。私は大学時代に読んでいます。いまは主人公おりんと同年代になり、読み返してみて胸が痛くなりました。本書の読みどころを指南している文章があります。
――民間伝承として有名な棄老伝説を基調にすえた本作は、民話風の語りに加えて随所に民謡の歌詞が散りばめられている。それらは楢山祭りの際に唄われる盆踊り歌や、楢山まいりの際に供の者が歌う「つんぼゆすり」とが主調になって、村人の諧謔な替え歌が幾通りも生み出されたと読むことができる。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版より)
――発表直後、正宗白鳥は「この作者は、この一作で足れりとしていいとさえ思っている。私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」と述べた。(権田和士、安藤宏・編『日本の小説101』新書館より)
宮本輝は著作のなかで、最近やっと「正宗白鳥が『楢山節考』を、〈人生永遠の書として心読した〉と書いたかを、ほんのわずかながら理解できるように思えたのだ」と書いています。それ以前の宮本輝の文章を引用させていただきます。
――いまは、楢山ではなく、設備の整った病院に棄てられる老人がたくさんいるのだから、おりん一家の貧しさと比べると、貧しいなどと口が腐っても言えない家庭の老人が病院に棄てられているような気がする。(宮本輝『本をつんだ小舟』文春文庫P244より)
◎2つの掟やぶり
信州の山奥の村に、もうすぐ70歳になろうというおりんが住んでいます。この村は貧しく70歳になったら神がすむという楢山へ、老人をすてなければならない掟があります。おりんの覚悟はきまっていましたが、心残りは息子の辰平に後妻をもらうことだけでした。
ある日隣りの村から、吉報がとどきます。後妻としてお玉が、きてくれることになったのです。お玉は気立てのよい嫁で、おりんは安心して山へいく決心をかためました。そんなとき孫のけさ吉が、おなかの大きくなった嫁を連れてきます。ひ孫が誕生するまでには山へいきたい。おりんは「まだ早い」ととどめる辰平を説得して、山へはいる日を迎えます。
村人を招き、ふるまい酒が出されます。村の古参が山へはいる作法を伝授します。「ものをいわぬこと」「うしろをふりかえらないこと」が伝えられ、山への道順を知らされます。
おりんは辰平の背板に乗って、楢山へ入りました。そこには無数の白骨や屍骸が横たわっており、烏が群がっていました。おりんはちゅうちょする辰平に、手で早く帰るように指示をします。雪が舞ってきました。
雪については前段で、こんな民謡が挿入されています。
――塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る
(本文P39より)
つづいてつぎのような、説明が施されています。
――楢山へ行く日に雪が降ればその人は運がよい人であると云い伝えられていた。塩屋にはおとりさんという人はいないのであるが、何代か前には実在した人であって、その人が山へ行く日に雪が降ったということは運がよい人であるという代表人物で、歌になって伝えられているのである。(本文P39より)
後ろ髪をひかれるような気持で、楢山をあとにした辰平は雪がちらついてきたことを知ります。彼は掟をやぶって、あともどりします。クライマックスの場面を引用させてもらいます。
(引用はじめ)
雪だった。辰平は、
「あっ!」
と声を上げた。そして雪を見つめた。雪は乱れて濃くなって降ってきた。ふだんおりんが、「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」と力んでいたその通りになったのである。辰平は猛然と足を返して山を登り出した。山の掟を守らなければならない誓いも吹きとんでしまったのである。
(引用おわり、本文P88より)
そしておりんのもとに駆けもどり、またも掟をやぶってさけびます。
――「おっかあ、ふんとに雪がふったなァ」
(本文P90より)
◎追記
佐藤友哉に、『デンデラ』(新潮文庫)という著作があります。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作として紹介予定ですが、本書は楢山で生き延びる、老人たちの共同生活を描いています。生きるも地獄という、すさまじい裏バージョンの楢山節考といえます。
(山本藤光:2011.11.18初稿、2018.02.17改稿)
お姥捨てるか裏山へ、裏じゃ蟹でも這って来る。雪の楢山へ欣然と死に赴く老母おりんを、孝行息子辰平は胸のはりさける思いで背板に乗せて捨てにゆく。残酷であってもそれは貧しいの掟なのだ―因習に閉ざされた棄老伝説を、近代的な小説にまで昇華させた『楢山節考』。ほかに『月のアペニン山』『東京のプリンスたち』『白鳥の死』の3編を収める。(「BOOK」データベースより)
◎人生永遠の書の一つ
深沢七郎が『楢山節考』(新潮文庫)で中央公論新人賞を受賞し、文壇デビューをしたのは42歳(1956年)のときです。それまでは日劇ミュージックホールで、ギターをひいていました。
『楢山節考』は発表と同時に、大きな話題となりました。私は大学時代に読んでいます。いまは主人公おりんと同年代になり、読み返してみて胸が痛くなりました。本書の読みどころを指南している文章があります。
――民間伝承として有名な棄老伝説を基調にすえた本作は、民話風の語りに加えて随所に民謡の歌詞が散りばめられている。それらは楢山祭りの際に唄われる盆踊り歌や、楢山まいりの際に供の者が歌う「つんぼゆすり」とが主調になって、村人の諧謔な替え歌が幾通りも生み出されたと読むことができる。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版より)
――発表直後、正宗白鳥は「この作者は、この一作で足れりとしていいとさえ思っている。私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の書の一つとして心読したつもりである」と述べた。(権田和士、安藤宏・編『日本の小説101』新書館より)
宮本輝は著作のなかで、最近やっと「正宗白鳥が『楢山節考』を、〈人生永遠の書として心読した〉と書いたかを、ほんのわずかながら理解できるように思えたのだ」と書いています。それ以前の宮本輝の文章を引用させていただきます。
――いまは、楢山ではなく、設備の整った病院に棄てられる老人がたくさんいるのだから、おりん一家の貧しさと比べると、貧しいなどと口が腐っても言えない家庭の老人が病院に棄てられているような気がする。(宮本輝『本をつんだ小舟』文春文庫P244より)
◎2つの掟やぶり
信州の山奥の村に、もうすぐ70歳になろうというおりんが住んでいます。この村は貧しく70歳になったら神がすむという楢山へ、老人をすてなければならない掟があります。おりんの覚悟はきまっていましたが、心残りは息子の辰平に後妻をもらうことだけでした。
ある日隣りの村から、吉報がとどきます。後妻としてお玉が、きてくれることになったのです。お玉は気立てのよい嫁で、おりんは安心して山へいく決心をかためました。そんなとき孫のけさ吉が、おなかの大きくなった嫁を連れてきます。ひ孫が誕生するまでには山へいきたい。おりんは「まだ早い」ととどめる辰平を説得して、山へはいる日を迎えます。
村人を招き、ふるまい酒が出されます。村の古参が山へはいる作法を伝授します。「ものをいわぬこと」「うしろをふりかえらないこと」が伝えられ、山への道順を知らされます。
おりんは辰平の背板に乗って、楢山へ入りました。そこには無数の白骨や屍骸が横たわっており、烏が群がっていました。おりんはちゅうちょする辰平に、手で早く帰るように指示をします。雪が舞ってきました。
雪については前段で、こんな民謡が挿入されています。
――塩屋のおとりさん運がよい 山へ行く日にゃ雪が降る
(本文P39より)
つづいてつぎのような、説明が施されています。
――楢山へ行く日に雪が降ればその人は運がよい人であると云い伝えられていた。塩屋にはおとりさんという人はいないのであるが、何代か前には実在した人であって、その人が山へ行く日に雪が降ったということは運がよい人であるという代表人物で、歌になって伝えられているのである。(本文P39より)
後ろ髪をひかれるような気持で、楢山をあとにした辰平は雪がちらついてきたことを知ります。彼は掟をやぶって、あともどりします。クライマックスの場面を引用させてもらいます。
(引用はじめ)
雪だった。辰平は、
「あっ!」
と声を上げた。そして雪を見つめた。雪は乱れて濃くなって降ってきた。ふだんおりんが、「わしが山へ行く時ァきっと雪が降るぞ」と力んでいたその通りになったのである。辰平は猛然と足を返して山を登り出した。山の掟を守らなければならない誓いも吹きとんでしまったのである。
(引用おわり、本文P88より)
そしておりんのもとに駆けもどり、またも掟をやぶってさけびます。
――「おっかあ、ふんとに雪がふったなァ」
(本文P90より)
◎追記
佐藤友哉に、『デンデラ』(新潮文庫)という著作があります。「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作として紹介予定ですが、本書は楢山で生き延びる、老人たちの共同生活を描いています。生きるも地獄という、すさまじい裏バージョンの楢山節考といえます。
(山本藤光:2011.11.18初稿、2018.02.17改稿)
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