鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)
東日本大震災と原発事故で、「新聞報道の限界」をつくづく思い知らされた。
2014年、朝日新聞を次々と大トラブルが襲う。「慰安婦報道取り消し」が炎上し、福島原発事故の吉田調書を入手・公開したスクープが大バッシングを浴びる。そして「池上コラム掲載拒否」騒動が勃発。ネット世論に加え、時の安倍政権も「朝日新聞バッシング」に加担し、とどめを刺された。著者は「吉田調書報道」の担当デスクとして、スクープの栄誉から「捏造の当事者」にまっさかさまに転落する。(アマゾン内容案内)
◎朝日が夕日になった
前記アマゾン案内には、続きがあります。以下、引用です。
――保身に走った上司や経営陣は、次々に手のひらを返し、著者を責め立てた。そしてすべての責任を押し付けた。社長の「隠蔽」会見のあと、待っていたのは「現場の記者の処分」。このときに「朝日新聞は死んだ」と、著者は書く。戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。(アマゾン内容案内)
鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)を手にしたのは、50年間購読を続けてきた朝日新聞を解約した1年後のことでした。学術欄、特に文芸欄に未練がありました。だからずっと歪んだ報道に、目をつぶっていました。それが「虎ノ門ニュース」を視聴するようになってから、ふつふつと許せないという感情がわきあがってきました。コメンテーターたちが、こぞって朝日新聞批判をしていたからです。そして購読紙を産経新聞へと切り替えました。
その後朝日新聞が社説で、東京オリンピック反対の論陣を張ったことを知りました。朝日が夕日にまで、落ちぶれたことを実感させられました。そんな背景から、内部告発本に興味を持ちました。本書のサマリーは「現代ビジネス」のネット欄で読んでいました。筆者が朝日新聞時代の、上司や同僚や部下たちが実名で登場します。
東京オリンピック反対の社説については、本書でも少し触れられています。スポーツ部などから、大きな反発があったようです。この社説が象徴するように、朝日新聞には根強い反日・政権批判の姿勢があります。また中国や韓国に対する、弱腰な立ち位置が目立ちます。しかし本書では、これらのことに関する記述はありません。
官僚的な組織の体質。派閥と保身を第一義に考える経営陣。ネット時代を顧みない、傲慢な上から目線の人群れ。腐敗した朝日新聞の内部を、元政治部記者は舌鋒鋭く糾弾してみせます。
印象的な記述がありました。駆け出しだったときの著者が、上司である先輩大物記者から感じとったことです。
――それまで新聞記者は「過去に起きたこと」を取材して報じるものと思っていた。橘さんの話を聞くうちに、政治経済の「未来」を的確に見通す記事はとても重要だと気づいた。(本文より)
若き鮫島浩はこの訓戒を胸に、過去と現在を未来へとつなぐ記事を書こうと意欲的でした。ところがやがて、この訓戒はきれいごとだと悟ります。朝日新聞は立憲民主党の機関誌なのか。こういい放った友人がいました。番記者として頭角をあらわしてきた著者も、朝日新聞本体の歪みを実感することになります。
朝日新聞は吉田清治の嘘の告白を真に受け、日本軍は朝鮮の女性を拉致して従軍慰安婦にした、と大々的なキャンペーンをしました。やがてそれがすべて嘘だと判明し、記事の撤回を余儀なくさせられました。
「現代ビジネス」(2022.06.16)に、グーグル日本の元社長・辻野晃一郎氏が本書の感想をよせています。
――舞台は天下の朝日新聞社。ネットメディアの台頭に押されて凋落を続けるオールドメディアの「凋落の本質」が、鮫島さんという一人の反骨精神豊かなエリート政治記者の栄光と挫折を通じて生々しく描かれている。凋落の本質とは、詰まるところ「自滅」だ。
◎薄っぺらな防露本ではない
『朝日新聞政治部』の核心部分は、鮫島浩が福島第一原発事故の責任者が語った「吉田調書」のスクープから幕が開きます。極秘扱いされていた「吉田調書」を入手した鮫島たちは、膨大な文章を読みこなします。そして次のような記事を発信します。
――震災4日後の3月15日朝、第1原発にいた9割の650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の第2原発に撤退したというものだった。 吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容だった。(この引用文献の出典わかりません)
大スクープ記事だったはずのものは、予期せぬ大パッシングに遭遇します。混乱のなかで吉田所長の命令は、確実に全員に届いていたはずはない。これが批判の論拠です。鮫島はこの批判をもっともだと判断します。そして第一報の脆弱だった部分を補完する、第2弾の記事を提案します。ところがこの申し出は、経営陣から拒否されます。このことで問題は、さらに大きくなります。最終的には、社長が謝罪に追い込まれます。
その点について鮫島は、次のように語っています。
――吉田調書の第一報は、百点満点ではなかったと思います。「吉田所長の待機命令に違反し、福島第一原発の所員650人が福島第二原発に撤退していた」と書いたわけですが、そもそもあれほどの災害の渦中ですから、命令が届いていない所員もいたでしょう。「結果的に命令に違反する形で、退避をしていた」と表記すれば、あれほどの問題にはならなかったかもしれない。(鮫島浩と中島岳志との対談。鮫島チャンネル2022.06.13の鮫島浩の発言から)
そして次のように続けます。
――「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」(鮫島浩と中島岳志との対談。鮫島チャンネル2022.06.13の鮫島浩の発言から)
吉田所長については、私は門田隆将『死の淵を見た男』(角川文庫)の書評を発信しています。この本を読む限り、鮫島が発信した第1報は、軽率だったと思います。
鮫島は会社を去ることになります。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っています。
2021年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出しました。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っています。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのでしょう。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれません。(現代ビジネスを参考にまとめました)
鮫島浩『朝日新聞政治部』は、薄っぺらな暴露本ではありませんでした。組織論、ジャーナリズム論として受けとめるべきでしょう。
山本藤光2022.07.15
東日本大震災と原発事故で、「新聞報道の限界」をつくづく思い知らされた。
2014年、朝日新聞を次々と大トラブルが襲う。「慰安婦報道取り消し」が炎上し、福島原発事故の吉田調書を入手・公開したスクープが大バッシングを浴びる。そして「池上コラム掲載拒否」騒動が勃発。ネット世論に加え、時の安倍政権も「朝日新聞バッシング」に加担し、とどめを刺された。著者は「吉田調書報道」の担当デスクとして、スクープの栄誉から「捏造の当事者」にまっさかさまに転落する。(アマゾン内容案内)
◎朝日が夕日になった
前記アマゾン案内には、続きがあります。以下、引用です。
――保身に走った上司や経営陣は、次々に手のひらを返し、著者を責め立てた。そしてすべての責任を押し付けた。社長の「隠蔽」会見のあと、待っていたのは「現場の記者の処分」。このときに「朝日新聞は死んだ」と、著者は書く。戦後、日本の政治報道やオピニオンを先導し続けてきた朝日新聞政治部。その最後の栄光と滅びゆく日々が、登場人物すべて実名で生々しく描かれる。(アマゾン内容案内)
鮫島浩『朝日新聞政治部』(講談社)を手にしたのは、50年間購読を続けてきた朝日新聞を解約した1年後のことでした。学術欄、特に文芸欄に未練がありました。だからずっと歪んだ報道に、目をつぶっていました。それが「虎ノ門ニュース」を視聴するようになってから、ふつふつと許せないという感情がわきあがってきました。コメンテーターたちが、こぞって朝日新聞批判をしていたからです。そして購読紙を産経新聞へと切り替えました。
その後朝日新聞が社説で、東京オリンピック反対の論陣を張ったことを知りました。朝日が夕日にまで、落ちぶれたことを実感させられました。そんな背景から、内部告発本に興味を持ちました。本書のサマリーは「現代ビジネス」のネット欄で読んでいました。筆者が朝日新聞時代の、上司や同僚や部下たちが実名で登場します。
東京オリンピック反対の社説については、本書でも少し触れられています。スポーツ部などから、大きな反発があったようです。この社説が象徴するように、朝日新聞には根強い反日・政権批判の姿勢があります。また中国や韓国に対する、弱腰な立ち位置が目立ちます。しかし本書では、これらのことに関する記述はありません。
官僚的な組織の体質。派閥と保身を第一義に考える経営陣。ネット時代を顧みない、傲慢な上から目線の人群れ。腐敗した朝日新聞の内部を、元政治部記者は舌鋒鋭く糾弾してみせます。
印象的な記述がありました。駆け出しだったときの著者が、上司である先輩大物記者から感じとったことです。
――それまで新聞記者は「過去に起きたこと」を取材して報じるものと思っていた。橘さんの話を聞くうちに、政治経済の「未来」を的確に見通す記事はとても重要だと気づいた。(本文より)
若き鮫島浩はこの訓戒を胸に、過去と現在を未来へとつなぐ記事を書こうと意欲的でした。ところがやがて、この訓戒はきれいごとだと悟ります。朝日新聞は立憲民主党の機関誌なのか。こういい放った友人がいました。番記者として頭角をあらわしてきた著者も、朝日新聞本体の歪みを実感することになります。
朝日新聞は吉田清治の嘘の告白を真に受け、日本軍は朝鮮の女性を拉致して従軍慰安婦にした、と大々的なキャンペーンをしました。やがてそれがすべて嘘だと判明し、記事の撤回を余儀なくさせられました。
「現代ビジネス」(2022.06.16)に、グーグル日本の元社長・辻野晃一郎氏が本書の感想をよせています。
――舞台は天下の朝日新聞社。ネットメディアの台頭に押されて凋落を続けるオールドメディアの「凋落の本質」が、鮫島さんという一人の反骨精神豊かなエリート政治記者の栄光と挫折を通じて生々しく描かれている。凋落の本質とは、詰まるところ「自滅」だ。
◎薄っぺらな防露本ではない
『朝日新聞政治部』の核心部分は、鮫島浩が福島第一原発事故の責任者が語った「吉田調書」のスクープから幕が開きます。極秘扱いされていた「吉田調書」を入手した鮫島たちは、膨大な文章を読みこなします。そして次のような記事を発信します。
――震災4日後の3月15日朝、第1原発にいた9割の650人が吉田所長の待機命令に違反し、10キロ南の第2原発に撤退したというものだった。 吉田所長の発言を紹介して過酷な事故の教訓を引き出し、政府に全文公開を求める内容だった。(この引用文献の出典わかりません)
大スクープ記事だったはずのものは、予期せぬ大パッシングに遭遇します。混乱のなかで吉田所長の命令は、確実に全員に届いていたはずはない。これが批判の論拠です。鮫島はこの批判をもっともだと判断します。そして第一報の脆弱だった部分を補完する、第2弾の記事を提案します。ところがこの申し出は、経営陣から拒否されます。このことで問題は、さらに大きくなります。最終的には、社長が謝罪に追い込まれます。
その点について鮫島は、次のように語っています。
――吉田調書の第一報は、百点満点ではなかったと思います。「吉田所長の待機命令に違反し、福島第一原発の所員650人が福島第二原発に撤退していた」と書いたわけですが、そもそもあれほどの災害の渦中ですから、命令が届いていない所員もいたでしょう。「結果的に命令に違反する形で、退避をしていた」と表記すれば、あれほどの問題にはならなかったかもしれない。(鮫島浩と中島岳志との対談。鮫島チャンネル2022.06.13の鮫島浩の発言から)
そして次のように続けます。
――「管理職だった私が結果責任を免れないのは理解できます。ただ、経営陣が自分たちの危機管理の失敗を棚上げして現場の記者に全責任をなすりつけたら、失敗を恐れて無難な仕事しかできなくなってしまう。これが、朝日新聞が死んだ最大の原因ではないでしょうか」(鮫島浩と中島岳志との対談。鮫島チャンネル2022.06.13の鮫島浩の発言から)
吉田所長については、私は門田隆将『死の淵を見た男』(角川文庫)の書評を発信しています。この本を読む限り、鮫島が発信した第1報は、軽率だったと思います。
鮫島は会社を去ることになります。今はネットメディアを立ち上げ、本来の報道倫理に立ち戻った言論活動を行っています。
2021年6月、朝日新聞社は創業以来最大の約458億円の大赤字を出しました。'90年代は約800万部を誇っていた発行部数も、いまや500万部を割っています。記者が失敗を恐れて萎縮し、無難な記事しか載らない紙面が読者に見捨てられつつあるのでしょう。朝日新聞の凋落は、誰にも止められないかもしれません。(現代ビジネスを参考にまとめました)
鮫島浩『朝日新聞政治部』は、薄っぺらな暴露本ではありませんでした。組織論、ジャーナリズム論として受けとめるべきでしょう。
山本藤光2022.07.15
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