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山本文緒『恋愛中毒』(角川文庫)

2018-02-23 | 書評「や行」の国内著者
山本文緒『恋愛中毒』(角川文庫)

もう神様にお願いするのはやめよう。―どうか、どうか、私。これから先の人生、他人を愛しすぎないように。他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。哀しい祈りを貫きとおそうとする水無月。彼女の堅く閉ざされた心に、小説家創路は強引に踏み込んできた。人を愛することがなければこれほど苦しむ事もなかったのに。世界の一部にすぎないはずの恋が私のすべてをしばりつけるのはどうしてなんだろう。吉川英治文学新人賞を受賞した恋愛小説の最高傑作。(「BOOK」データベースより)

◎主人公が「僕」から「私」に

イントロダクションでの主人公は「僕」でした。別れたいと思っている恋人の、執拗な追っかけに悩んでいます。住まいを移し、仕事も変えました。「僕」が新たに勤めたのは、芸能人・創路(いつじ)功二郎の事務所でした。その事務所に、水無月という45、6歳くらいの女性スタッフがいました。

ストーリーが次の章に進むと、突然主人公が「私」に変わっています。読み間違ったのかと思って、ページを戻したほど意外でした。いくら読み返してみても、主人公は水無月美雨になっています。

私(山本藤光)には、主人公が入れ替わる必然性が理解できませんでした。創路という名前も、最後まで読むことができませんでした。面倒だからルビがないときは、釧路と馴染みの呼称におきかえていたほどです。

水無月は離婚して、弁当屋でアルバイトをしていました。そこに創路が、買い物にやってきます。水無月は創路のファンでした。創路の求めに応じてアルバイトを辞め、いつの間に創路の愛人兼秘書兼運転手兼雑用係になっていました。

小さな創路のオフィスには、陽子と千花という女性事務員がいました。彼女たちは「羊ちゃん」と呼ばれ、求めに応じていつでも創路と寝ていた経歴を持っています。創路は勝手気ままな男であり、先妻と別れていまは若い奥さんと暮らしています。水無月がはじめて創路のオフィスを訪れた日、陽子と次のような会話をしています。以下引用させていただきます。

(引用はじめ)
「先生の新しい恋人なんでしょう?」
 まったく何でもないことのように彼女は聞いてきた。私はすかさずそれそ否定した。
「違います」
「いいのよ別に。先生は公私混同が好きだから」
「だから違いますって」
「先生は馬鹿だから、一回やると愛着が湧いちゃうのよ」
(引用おわり)

◎純文学の衣を着たミステリー

「僕」が「私」に変わることについては、あえてふれません。作品の最後で私(山本藤光)は、「なるほど」とうなってしまいました。それまでは、意味のない構成だと思っていたのです。

山本文緒はいやらしい女性を描く、天才なのかもしれません。水無月は職場の後輩にたいしても、ていねい語を用います。ていねい語というのは、相手をうやまって用いるのが普通です。でも水無月の場合は、違います。同化したくない、というきっぱりとした意識の表出が、ていねい語となってしまうのです。
 
最初のうちは誰もが、組しやすい相手だと心を開いてしまいます。しかし少しずつ、一風かわった本性が透けてみえはじめます。離婚した元夫、友人であり編集者である荻原、事務所の同僚たち、創路の元愛人、創路の後妻、前妻の娘、創路の前妻、そして創路功二郎にまで、それがおよびはじめるのです。
 
山本文緒は、この作品でブレイクしました。多くの評論家は口をそろえてそういいます。コバルトの延長線上に、飛躍の踏み台があったのでしょう。山本文緒は自らのHPに、次のような文章を掲載しています。
 
――別居期間中コバルトの大先輩だった唯川恵さんと親しくなって受けた影響は、すごく大きかった。(中略)たくさんお酒おごってもらったし、ホテル代とかタクシー代がないから何度も泊めてもらったし、本当にご迷惑をかけ、かつ助けてもらいました(笑)」

創路先生のモデルは、唯川恵だったのです。作品を読んでいて、筒井康隆のイメージがついてまわったのですが、この一文にめぐりあって、胸のつかえが消失しました。
 
作品の性格上、あらすじには触れません。ぜひ水無月の本性を、しっかりと堪能してもらいたいと思います。本書は純文学というよりも、ミステリー小説のはんちゅうに入れるべきなのかもしれません。純文学という衣を着たミステリー。怖い小説です。
 
◎ちょっと寄り道
 
江國香織(推薦作『号泣する準備はできていた』集英社文庫)は、唯川恵(推薦作『肩ごしの恋人』集英社文庫)の小説を「アフォリズム」に満ちていると書いています。アフォリズムとは、簡潔鋭利な表現、警句、謹厳、箴言(しんげん)のことです(「広辞苑」より)。つまり説教じみていない、すばらしい表現力の持ち主と評価しているわけです。

山本文緒は1988年(26歳)のときに結婚し、コバルト文庫で小説の腕を上げていきました。したがって本格的に小説デビューしたのは、30歳になってからです。当初の作品には、まだコバルト色が残っていました。そういう先入観で、読むためかもしれませんが。1999年、『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞受賞。2001年には『プラナリア』で直木賞を受賞しています。その後うつ病治療のため、執筆活動を中断していた時期があります。現在は再婚しています。

山本文緒と村山由佳は、非常に経歴が似ています。村山由佳は山本文緒の2歳下ですが、本格デビューするまでは「ジャンプ・ジェイブック」を活動の場にしていました。1993年『天使の卵』に改題)で小説すばる新人賞。2003年『星々の舟』で直木賞受賞を受賞しています。離婚経験も同じです。
 
2人の併走を楽しみにしています。
(山本藤光:2009.07.14初稿、2018.02.23改稿

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